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2010年8月31日 (火)

ジェイ・テイラー『ジェネラリッシモ:蒋介石と近代中国へ向けての闘争』

Jay Taylor, The Generalissimo: Chiang Kai-shek and the Struggle for Modern China, The Belknap Press of Harvard University Press, 2009

 現代史のキーパーソンであればあるほど、その人物評価には当人よりも論評者自身の価値観が色濃く滲み出て、時代の政治的対立関係が浮き彫りにされやすい。蒋介石もまたそうした例に漏れない。残忍な軍事独裁者とみなされればファシストと呼ばれるが、彼の質実剛健な生活態度から潔癖な人格だと持ち上げられることもあった。反共という論点はもはや時代遅れとなったが、今度は中華ナショナリズムと台湾ナショナリズムとがぶつかり合う中、陳水扁政権が進めた正名運動では蒋介石が標的にされ(この頃に総統府を見学した際、解説ボランティアの人が蒋介石の遺品の前で「このハゲが台湾人をたくさん殺した!」と激しく罵るのを目の当たりにして驚いたことがある)、それと連動するかのようにむしろ大陸の方では蒋介石再評価の動きも表われていると聞く。蒋介石評価をめぐる議論は今後も続くことだろう。

 本書の著者はアメリカの外交官出身の研究者で、蒋介石の生涯を浩瀚なボリュームの中で描き出していく。サブタイトルからうかがえるように、蒋介石の生涯は中国社会の近代化を目指す奮闘で一貫していたとするのが基本的な視点である。一次史料として日記を活用し、一つ一つの事件に対して彼がどのような感想を抱き、判断を示したのかが細かく描写されているところが本書の面白いところだ。

 生い立ちから日本留学時代、孫文への傾倒、軍閥割拠の中国で権力基盤確立への模索、対日戦争下での共産党との葛藤(周恩来との関係は黄埔軍官学校から西安事件、さらには戦後も秘密のやり取りが続く)。アメリカが派遣した軍事ミッションのスティルウェル将軍との不和はよく知られているが、戦後になって冷戦という時代環境下にあってもアメリカとの関係は複雑であった。大陸の共産党という敵は一目瞭然分かりやすいが、他方でアメリカともかなり微妙な神経戦をしていたことも見て取れる。アメリカの歴代政権は民主党も共和党も、反共のため台湾へてこ入れしつつ、中共との将来的な和解も視野に入れるという二面戦略を常に考慮していた。そして、アメリカの歴代大統領の中では副大統領時代から知っていて最も好意を寄せていたニクソンによって蒋介石は煮え湯を飲まされることになる。しかしながら、対日戦争での日本に対しても、戦後のアメリカに対しても、体面を傷つけられたときには激昂したジェスチャーを示す一方、内心ではじっと辛抱して屈辱を受け入れ、将来を期すというプラグマティズムが蒋介石にはあったとも著者は指摘する。

 本書のタイトルはThe Generalissimo、日本語では「大元帥」と訳されるだろうか。軍人としてのパーソナリティーが蒋介石の特徴ではあるが、それを本書では暴力的な軍事独裁者と捉えるのではなく、むしろ厳しい規律意識の方に結び付けられていると言える。例えば、儒教とキリスト教に共通して見出される規律と献身という徳目、日本の武士道への評価、共産党には反感を抱きつつも彼らが示した鉄の規律への関心、彼はこれらのような規律意識を確立することが中国の近代化に向けて必要不可欠だという考えから新生活運動を展開する(日本語文献では段瑞聡『蒋介石と新生活運動』[慶應義塾大学出版会、2006年]を参照のこと)。政権基盤の確立は大陸にいた頃にはなかなかうまくいかなかったが、台湾撤退後、国民党組織のレーニン主義的な民主集中制とも言える機構改革を通してようやく中央集権体制を確立させた(日本語文献では松田康博『台湾における一党独裁体制の成立』[慶應義塾大学出版会、2006年]がこの過程を詳細に分析している)。

 権力基盤確立の努力を通して蒋介石が終局的に目指していたのは一体何だったのか? それは、法の支配、教育程度が高く豊かで開かれた社会、多元的かつ秩序だった社会、そういった意味での近代的な中国社会であったと本書では指摘される。大陸が文化大革命という非理性的な混乱状況を呈しているのを横目で睨みながら、この撤退先の台湾において近代的な国民国家を実現させることによってこそ、自分たちの方針の正しさが世界にも大陸にもアピールできると考えていた。そのようにして近代的な中国社会の実現を目指して奮闘してきたのが蒋介石の生涯であった。台湾に市民社会が定着し、大陸でも資本主義を原理とした社会へと進みつつあるこの現代の趨勢をもし蒋介石が見たならば、毛沢東よりも自分の方がやはり正しかったと確信するだろう、とまで著者は言う。

 しかしながら、蒋介石の呼号した「反攻大陸」が現実には極めて困難な国際環境下、何らかの方針転換が必要であったのも事実である。蒋介石は大方針を示すが具体的な政権運営は部下に任せるというやり方を取っており、とりわけ晩年にその役割を任された蒋経国は台湾人社会からの支持を得なければ現体制の維持は不可能だという現実的な認識を示し、民生向上のための経済政策、さらには台湾出身者の政治登用を提言、具現化していく。そして蒋介石の死後、中華民国の“本土化”“台湾化”へとつながるわけだが、それは著者のThe Generalissimo’s Son: Chiang Ching-kuo and the Revolutions in China and Taiwan(Harvard University Press, 2000)でのテーマである。こちらの本も入手してはいるのだがやはり浩瀚なボリュームで、読み通すのに骨が折れそうだ。

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