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2010年8月 9日 (月)

春山明哲『近代日本と台湾──霧社事件・植民地統治政策の研究』

春山明哲『近代日本と台湾──霧社事件・植民地統治政策の研究』藤原書店、2008年

・著者は台湾史研究では知る人ぞ知る権威だが、どうやら本書が初めての単著のようだ。日本による植民地支配下における①霧社事件をめぐる問題(第一部)、②日本本国の政治過程、とりわけ立憲体制との関わりの中での対台湾政策の展開(第二部)、以上2点をメインテーマとして過去の論文が集められている。入手の難しい論文もまとめて読めるのはありがたい。

・1930年の霧社事件に直面した日本本国での議会・内閣など政治過程でどのような議論がかわされたのかの分析。当時は民政党の浜口雄幸内閣。議会では無産政党系(浅原健三など)が批判。文官総督には政党色があった→野党の政友会は総督の交代による失策を探したが、見当たらず、台湾問題ではむしろ政友・民政とも政策の継続性。
・陸軍の対応。鎮圧に際して毒ガスは使われたのか?→十分な毒性を持った催涙ガス。

・台湾総督による事実上の立法権を認めた六三法→日本本国の政党政治家からすると、議会の立法権を一時的に台湾総督に貸与しただけ、従っていつかは回収されるべきという認識→明治憲法が議論の引照基準となっていた。
・政党政治リーダーとしての原敬による植民地官制改革→タイミングの悪さ(朝鮮の三一独立運動など)から朝鮮総督への文官登用には失敗(山縣有朋の養子で官僚出身の山縣伊三郎が念頭にあった)→代わりに海軍出身の斎藤実が就任(→従来の陸軍の武断統治に代わって文化政治)。一方、台湾総督には官僚出身の田健治郎が初の文官総督として就任。
・原は植民地総督を政府委員として議会に出席させる制度をつくった→議会の視線を意識させる→しかし、原の死後、この制度は廃止された。
・原敬と後藤新平の比較。原は国会制度の問題として植民地を考えた。疎外された東北出身者として藩閥支配という内地における不平等を克服するため明治憲法体制→これを植民地にも広げて制度的同一性(これは同時に「同化」にもつながる)→内地延長主義。
・対して後藤は、外交問題の中で植民地を考えた。日本の国際的地位向上のため文明的植民政策→憲法の有無は関係ない、植民地統治がうまく機能すればいい→「ヒラメの目をタイの目にすることはできない」というプラグマティズムから「同化」政策はとらない→特別統治主義。
・後藤や岡松参太郎には、台湾に関して特別立法を可能とする追加条項を憲法に盛り込みたいという思惑あり(「不磨の大典」たる憲法を改正しようとした試みとも言える)→台湾統治法(特別法は一般法に優越するという法理)の試み→日本本国から独立した法域の形成を意図。
・台湾独自の法慣習を考慮する必要→台湾旧慣調査→岡松参太郎は、清朝行政法研究のほか、とりわけ原住民の慣習の人類学的調査研究は法制史上で貴重な分野であることに気づいた。これについて著者は「法理論の継受」という問題意識から再評価できるのではないかと示唆している。

・第三部は台湾史研究の回顧。師であった戴国輝の思い出がしばしば語られる。

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