2010年8月15日【鹿港、台中】、16日【帰国】
◆8月15日(日)
【鹿港へ】
・高雄8:00発→彰化10:07着の自強号に乗車。本日も快晴なので、車窓に流れる田んぼや木々の緑が目に心地よい。彰化で下車、駅構内の観光案内所で鹿港行き彰化客運のバスの乗り場がどこにあるのかを教えてもらう。鹿港まではバスで30分前後くらい。今日は日曜日だからだろう、観光客が多い。鹿港の町に入りかけたところで降りる人が多いが、私は帰りのバス乗り場を確認するため終点まで行った。
・彰化駅の観光案内所でもらった観光案内パンフレットの略地図を見ながら歩く。まず、天后宮へ。媽祖を祭っているところは台湾各地で見かける。寺廟の前は門前市といったらいいのか、商店街、屋台街。ガイドブックに乗っている有名な肉包(肉まん)のお店がすぐ近くにあるので、そこで1個だけ買ってほおばる。ただし、うだるように暑い中、あまり食欲はなく、おいしいのかどうか味はよく分からなかった。軽食や小物を売る商店街、屋台街は台湾の観光地には必須。人がわいわい行きかっている。ここは昔ながらの街並みを利用、もしくは再現している。
・途中、旧鹿港公会堂。日本統治期の建物で古跡として修築されている。
・老街を南下して、龍山寺へ行った。龍山寺というのは台北の万華をはじめ台湾各地にあるが、どういう由来があるのかは知らない。古市街は割りと人出があったが、ここは観光客がまばらだった。
・旧鹿港火車站跡。鹿港はかつて「一府(台南)、二鹿(鹿港)、三艋舺」と並び称されるほどの賑わいを見せた商業都市であったが、第一に港が土砂で埋まって機能しなくなったこと、第二に台湾縦貫鉄道の敷設に反対して鉄道路線は彰化を通ったため、彰化の繁栄に対して鹿港は凋落してしまったと言われる。で、どうして鉄道駅跡があるのかと不思議に思ったのだが、どうやら日本統治期の台湾製糖株式会社が敷設したさとうきび運搬用(ついでに旅客運行もしていた)の軽便鉄道の駅だったらしい。すでに廃線となった駅跡が公園として整備・公開されているケースは台湾の各地で見かける。
・鹿港民俗文物館へ行く。辜顯榮の邸宅が博物館として一般開放。辜顯榮は日本に協力してのし上がった実業家で、鹿港の出身らしい。豪壮な洋館で、奥の方には台湾在来の形式の大型家屋もある。これらの建物の中で辜家の所蔵品のほか、台湾での庶民生活をうかがわせる民俗資料も展示されている。入口の受付で荷物を預けて入館。玄関入って左脇の部屋では鹿港の昔の写真を展示。鹿港の在来の街並みは細い路地がくねくね入り乱れた複雑なものだったようだが、日本統治期に入ってそれが崩され、整然とした街区に建て直される経過が写真からうかがえたのが興味深い。鹿港に住んでいた薬剤師の昔の薬局を再現した部屋もあった。庭には昔ながらの遊び道具が置いてあり、竹馬で遊んでいる人がいた。洋館内では、結婚記念だろうか、プロのカメラマンに記念撮影してもらっているカップルがいた。
・九曲巷は上述したような鹿港在来の街並みが残った区画。細長く湾曲した路地、狭い城門は、外敵の侵入を防ぐためらしい。分類械闘か。十宜楼は路地の上に橋のように建物がせり出している。
・鹿港鎮公所(町役場)の裏には日本統治期の鹿港街長官舎が記念館として公開されている。中では鹿港の歴史について簡潔な展示。このようにかつての日本式家屋が古跡として修築・保存されているケースは台湾各地で見かける。
・うだるような暑さの中で汗が滝のように流れ、体がだるくて歩き続ける気力がなくなってきた。来る時には気づいていなかったのだが、鹿港街長官舎のすぐ裏手が彰化客運のバスターミナルだった。15時ちょっと前のバスに乗って彰化車站まで戻る。
【台中にて】
・彰化から普通列車に乗って台中まで行く。ロングシートの車輌。台中まで20分ほど。高速鉄道台中駅と連絡している新烏日駅は台中と彰化の真ん中あたり。
・16:00過ぎに台中到着。駅前を歩くと、東南アジア系の顔立ちの人のグループが割合と目立った。雰囲気的に原住民とも違う。海外から来た出稼ぎ労働者か。新竹でも同様の光景を見かけた覚えがある。
・台中市内の中山公園へ行く。かつて日本統治期に整備された台中公園。園内の大きな池が有名。行楽客でにぎわっており、公園の一隅ではパイナップル・ケーキのイベントをやっていた。公園内の旧台中神社跡を見に行く。狛犬と軍馬。社殿があった場所には孔子像が立っている。
・暑さで体がだるく、早く体を休めたいと思い、駅まで戻ってタクシーを拾ってホテルへ直行。台中金典會館。ビジネスホテルと高級ホテルとが一緒になったホテルで、私がチェックインしたところ、何かの手違いで部屋が確保されていなかった様子で、ワンランク上の広い部屋にしてくれた。25階で眺望がよく快適。
・ホテルの斜め向かいにある廣三SOGO百貨へ行く。上のレストラン街へ。台湾のデパートでは屋台風のビュッフェがある。担仔麺と貢丸湯、魯味の豆腐のセットで夕食。順次エスカレーターで降りながらデパートをぶらぶら見る。店舗内の雰囲気は日本とあまり変わらない。最上階にはなぜかゲームセンター。置いてあるゲーム機は日本製で、ディスプレイの字幕は日本語。若い世代はこういう経路で日本語に馴染んでいくのか。
・台中ではファッショナブルと言われる精明路をぶらぶらしてからホテルまで戻る。台中は駅前の繁華街と、そこから車で10分くらいの距離にある新市域の二段構えの街並みとなっており、後者の方に高層ビルなどが並んでいる。
◆8月16日(月)
・台中7:48発の自強号に乗って台北へ。途中、新竹を通過。以前、台北~新竹間及び高雄~台南間は列車で往復したことがあったので、新竹を通過した時点で台湾鉄道在来線の一周を達成。
・台北には9:30頃に到着。MRTに乗り換えて市政府駅まで。市政府駅に直結する形で統一阪急百貨店が建設中で、その地下道が誠品書店信義旗艦店にもつながっていた。10時の開店を待って入店。2時間半ばかりじっくりと棚を眺めた。
・早めに空港へ行こうと思い、台北駅までMRTで戻り(地下街でコーヒーパンの香りに誘われて一つ買い食い)、バスターミナルから桃園国際空港へ。14時前には到着。カウンターでチェックイン。背負ったリュックサック一つなのでそのまま機内に持ち込むつもりだったが、「荷物が大きすぎる、重量オーバーではないか」と指摘された。来る時は問題なかったが、午前中、誠品書店で本を買い込んでしまったせいだ。10冊前後と控えめにしたつもりだったが、それなりの重さにはなる。仕方なく機内で読む本など必要なものを誠品書店でもらった紙袋につめかえて、リュックは預けた。出国管理を通過。空港内でお土産にお茶を買う。
・桃園国際空港16:30発のチャイナエアラインCI106便。機内資材運搬の遅れということで30分の遅延。機内で先ほど書店で買った接接《接接在日本:日本、台湾大不同》(商周出版、2010年)をざっと読み終え、続いて王嵩山《台湾原住民:人族的文化旅程》(遠足文化、2010年)を3分の2くらいまで読んだ。当たり前だけど、機内で中国語の本を読んでいるとスチュワーデスさんから中国語で話しかけられるな。私はあまり聞き取れないのだが。成田には21時頃に到着。荷物がなかなか出てこず、電車に乗ろうとしたらもう21:40過ぎ。JRの成田エクスプレスはもうなくて、京成のスカイアクセスは22:20発。新宿行きのエアポートバスが22:00発なのでこれに乗ったのだが、後悔。首都高のどこかで工事中とのことで途中から一般道に降りたため通常よりも遅く、新宿到着は23:30頃。スカイアクセスだったら日暮里まで30分ほどだし、本も読めたはず。結局、家まで帰りついたのは24:00頃。
| 固定リンク
「旅行・町歩き」カテゴリの記事
- 麻豆を歩く、台湾史が見えてくる(2014.10.14)
- 一青妙『わたしの台南──「ほんとうの台湾」に出会う旅』(2014.09.17)
- 2013年8月12日 台湾・高雄を歩く(2013.08.26)
- 2013年8月10日 台北・胡適紀念館、殷海光故居など(2013.08.23)
- 2013年8月11日 台湾・嘉義を歩く(2013.08.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント