2010年8月14日【国立台湾史前文化博物館、台東市内】
◆8月14日(土)
・ホテル内で朝食を簡単に済ませ、カウンターでチェックアウト。昨晩頼んであったタクシーをちゃんと呼んでくれていたのでスムーズに花蓮駅まで戻ることができた。幸いなことに快晴。朝から暑いのは確かだが、雨に降られることに比べたらはるかに気分が良い。途中、外の風景を眺めていると、崩れかかったようにぼろい瓦葺木造の日本式家屋をところどころで見かける。
・花蓮7:43発→台東10:17着の自強号に乗車。この路線は電化されておらず、ディーゼルカーが客車を引っ張っていく。単線で発車本数は少ない。日本統治期には花蓮・台東間を軽便鉄道が走っていた。戦後になって線路幅が拡幅され、北廻り線として宜蘭方面と、南廻り線として屏東方面とつながり、台湾鉄道一周が完成することになる。中央山脈と海岸沿いの山脈とに挟まれた細長い平野部の花東縦谷を南下。夏らしい雲の浮かぶ青空の下、山あいには木々が生い茂り、平野部に出ると水田が青々と広がっている。時折、白い水鳥も見かける。車窓の風景をぼんやり眺めているだけで心地よい。
・池上駅では列車が駅に着く間際にドア前まで行き、列車が止まるやいなや半身乗り出し、売り子さん(中高生くらいの女の子だった。夏休みのバイトか)に向かって手を振って呼ぶ。100元札を出したら、弁当とおつりの10元玉3枚が入ったビニール袋を手早く渡してくれた。用意がいい。かの有名な池上便當である(写真、写真)。台鉄便當に比べたらはるかにうまい。台湾の駅弁はごはんを敷き詰めた上におかずがぎっしりと並べられており、タレがしみたごはんもおいしい。この近辺は台湾では米どころとして知られているようだ。
・時間通りに台東新車站に到着。市の中心部から離れているため、この駅前には何もない。タクシーを拾い、国立台湾史前文化博物館へ行く。台東の次の康楽という駅の近くらしいが、この路線では列車本数が少ないのであてにならない。車で10分くらい。
【国立台湾史前文化博物館】
・写真が国立台湾史前文化博物館。先史考古学と原住民族研究をメインテーマとした総合博物館である。展示内容は充実している。2時間くらい見て歩いたが、もう少し時間が欲しかった。以下、見ながらとったメモ書きの写し。
・プレート・テクトニクス→蓬莱運動(Penglai Orogeny)→ユーラシア・プレートとフィリピン海プレートとがぶつかり合ったところに花東縦谷。1932年、鹿野忠雄が雪山で氷河の痕跡を発見。サケを例に取ると、10万年~80万年くらい前から台湾での進化の分化が現れている。
・台湾における生態学的研究の先駆者として、スウィンホー、プライス、鹿野忠雄。
・現代における生態系破壊と回復の問題。
・科学的考古学についての概論的解説展示。
・台湾における考古学的研究は日本統治期から始まっている。
・台湾で一番古い人類は左鎮人で2~3万年前。八仙洞遺跡を宋文薫(※この人は確か台北帝国大学出身、国分直一から個人的に薫陶を受けていた人だ。台湾では考古学の第一人者として知られる)、林朝啓が調査→旧石器時代の長濱文化、3万年以上前~5000年前くらい。
・1980年7月、台湾鉄路の南廻り線工事の際に、現在の台東新站のあたり(以前は卑南駅だった)から大量の石棺や副葬品が発見された→宋文薫、連照美など台湾大学調査団により卑南文化の研究。この遺跡群の一部は史前博物館所属の卑南文化公園として整備されている。卑南文化は石造建築、石棺、玉器、遺骨には抜歯の風習(※日本の縄文時代を想起させる)。最も特徴的なのは巨石文化:1897年に鳥居龍蔵、次いで1930年代に鹿野忠雄が記録、1945年の日本の敗戦間際の時期に金関丈夫と国分直一が調査(※この経緯は金関丈夫・国分直一『台湾考古誌』[法政大学出版局、1979年]で読んだ覚えあり)→1980年代に上記の台湾大学調査団→1990年代に史前文化博物館の設立。
・氷河期が終わって海面が上昇し始めた1万年前くらい(※日本考古学で言う縄文海進)に台北盆地には台北湖があった。1897年に発見された圓山貝塚など。大陸から渡来した人々の痕跡:大坌坑文化(6000~5000年くらい前)→芝山巖文化。
・台湾南部では海洋交易、新石器時代、石材を使った文化。
・各民族の特徴を捉えながら原住民族に関する展示。タイヤル(泰雅)族→文身。パイワン(排湾)族→石板建築。アミ(阿美)族→厳格な年齢組織と両性分業。プユマ(卑南)族→年齢により服装が違う。ルカイ(魯凱)族→豊かな自然資源の使い方、貴族(大土地所有)と平民の区別。ヤミ(雅美、タオ:達悟)族→海洋文化。サイシャット(賽夏)族→小人祭。ツォウ(鄒)族→戦祭。ブヌン(布農)族→精霊の観念、キリスト教受容によって文化的変容。
・台湾原住民運動簡史の展示では、多元續紛的族群現象(brilliant tribal phenomenon)として近年の「族群」としての認知を求める動向を紹介。クバラン族(噶瑪蘭族)が2001年、タロコ族(太魯閣族)が2002年、サキザヤ族(撒奇萊雅族)が2007年、セデック族(賽德克族)が2008年に新たに政府から認知された。マイノリティーの存在が公的に認知され始めると、自分たちのルーツの確認をパブリックな空間で主張していく動きが活発化していくアイデンティティ・ポリティクスとして興味深い。
【旧台東駅、旧台東神社、台東市街地】
・帰ろうと思ったが、交通手段がない…。博物館受付にいた人(制服を着ていたので警備会社の人のようだった)にタクシーを呼んでもらうように頼んだ。旧台東駅前まで直行。博物館からだいたい15分くらい。250元。
・現在の台東新站は台東市の中心街から離れている。台東はかつて花蓮と結ぶ路線の終着駅だったが、南廻り路線は旧卑南站(現在の台東新站)から屏東方面へとつながったのに伴い、台東旧駅への路線は盲腸線となり、その後さらに廃線となった。現在、その旧駅が鉄道芸術村として開放されている。家族連れやカップルでそれなりに人出がある。草が生い茂り始めた線路に車輌が置かれている。この廃線駅の風景は日本でもなじみがある感じだ。機関車庫や給水塔も残され、線路跡は遊歩道として整備されている。日治時期防空壕というのも見かけた。コンクリ造でがっちりしたもの。以前、花蓮でも旧駅近くで、宜蘭では市役所前で防空壕を見かけたから、戦時中、主要施設近くに集中して造営したのか。
・旧台東駅近くにある鯉魚山へ行く。旧台東神社跡は現在、忠烈祠である。石段はいかにも神社らしい。境内で老人たちが集まってカラオケや象棋に興じているのは台湾ではよく見かける光景だ。隣の寺廟には塔があって台東市内を一望できそうだったが、前でお香をたいて鉦太鼓をたたきながら儀式をしていたので、それを遠巻きに見てから山を降りた。
・市内に戻る途中に誠品書店があったのでちょっとのぞく。こぢんまりとしていたが垢抜けた雰囲気は誠品書店らしいな。
・旧駅近くには古くて今にも崩れそうな瓦葺木造建築をちらほら見かける。日本統治期の日本人住宅だろう。花蓮、台東など台湾東岸の町には漢族系がもともと少なく、日本統治期には日本人居住者のパーセンテージがかなり高かったらしい。戦後も東岸部の開発は遅れていたので当時の家屋がそのまま残されてきたということだろう。大半はもう居住者がおらず(おそらく立ち退いたか)、近いうちに再開発のため崩されるのだろう。
・台東観光夜市の表示がある街路。写真の向うに見えるのは日本式家屋で、人が住んでいる様子。持参したガイドブックを見ると、この街路は水果街となっており、その名の通りに果物を売るお店が並んでいる。ただし、あまり人はおらず、3分の1くらいのお店はしまっている。このうだるような暑さ、本番はやはり夜なのだろう。釈迦頭はちょっと食べてみたいと思ったが、新駅前でばら売りしていたのを思い出し、帰りの列車の中で食べようと楽しみは残しておく(ところが、後述するように、列車発車時刻間際に駅にたどり着き、水果売りの屋台の前を通りかかったときに声をかけたら、基本は箱詰め売りで(配送用にクロネコヤマトの宅急便の緑の旗がかかっている)「ばら売り用の釈迦頭はもう良いのがないから他のお店をあたって」と言われ、時間がないので買わずにホームに駆け込み、結局、食わずじまい…)。
・天后宮に行ったら工事中。門前で写真を撮ってすぐ退散。市内をぶらぶら歩きながら旧駅前のバスターミナルへと向かうが、何もない町だな。日本のさびれた地方県庁所在地を思い浮かべる。バスターミナル前でタクシーを拾い、台東新站近くの卑南文化公園へと向かう。
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