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2010年7月17日 (土)

保阪正康『田中角栄の昭和』

保阪正康『田中角栄の昭和』(朝日新書、2010年)

 「もはや戦後ではない」とは1950年代半ば、高度経済成長の軌道に乗り出した頃の流行語であるが、それはともかく、そろそろ本格的に「戦後」を一つの時代として区切りをつけて政治思想史的、精神史的に捉え直していってもいい時期だろうと私は思っている。いまやすでに公的資金をばらまいて民生活性化を促す政治手法、俗に言う土建屋政治がもはや通用しない時代である。この場合、必ず検討しなければならないのがそうした手法を生み出した田中角栄である。もちろん、田中に「思想」があったと言うつもりはない。むしろ彼の言動や政治行動のあり方そのものが、間接的ながら当時の日本人のメンタリティーを具現化していたと考えられるからだ。そうした観点から本書を興味深く読んだ。

 脱イデオロギー的、プラグマティックな経済建設中心路線、言い換えるならばそれは精神なき物量中心の人間観を前提とした政治志向であった。人は利益と情の使い分けで動く、そう見切った田中の人間洞察がブルドーザーのように日本政治を動かしていった。同時にそれは、自らの私欲も肯定し、公の政治システムを自らの集金・集票マシーンへ変貌させていくことに躊躇もなかった。そのような彼の功利的な発想が、「臣~」と名乗る旧来型政治家たちと異なって天皇への冷めた態度につながっていたのが面白い。その点で彼はまさしく「戦後」の政治家であった。それから、共同体的言語で語りかけることで支持を集めてきたという指摘は、いま現在との違いを感じさせて、もっと掘り下げたい論点として興味を持った。

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