山田勝芳『溥儀の忠臣・工藤忠──忘れられた日本人の満洲国』
山田勝芳『溥儀の忠臣・工藤忠──忘れられた日本人の満洲国』(朝日選書、2010年)
傀儡国家の君主として日本の軍人や官僚に取り囲まれ息苦しい思いをしていた溥儀が心を許した日本人側近が何人かいた。例えば、侍従武官の吉岡安直(入江曜子『貴妃は毒殺されたか──皇帝溥儀と関東軍参謀吉岡の謎』新潮社)や通訳の林出賢次郎(中田整一『満州国皇帝の秘録──ラストエンペラーと「厳秘会見録」の謎』幻戯書房)などが思い浮かぶが、工藤忠という人物については初めて知った。著者の専門は古代中国史・古銭史だが、東北大学所蔵の中国古代貨幣に溥儀から工藤に贈られたものがあることに気づき、それが彼について調べ始めたきっかけだという。
工藤忠、元の名を工藤鉄三郎という。青森出身、同郷の山田良政を慕って中国革命に身を投ずるつもりで大陸に渡った。当初は革命派だったが、宗社党の升允と出会ってから復辟派の人脈に連なる。東亜同文会、老壮会等のアジア主義者とも付き合いがあり、小川平吉の意向を受けて甘粛工作に出向いたりもしている。溥儀の天津脱出時には比治山丸に同乗、篤い信頼を受けて「忠」という名前を賜り、以後これが本名となった。大きな括りで言うと“大陸浪人”となるが、彼の誠実さは他の大言壮語タイプとは異なるというのが本書の強調するところである。
無名であればあるほど人物評価も一般論で括られかねない中、こうして一人の人物について丹念に調べ上げる仕事は大切である。工藤の人物像そのものよりも、彼を軸にして様々な人脈関係が見えてくるところに興味を持って読んだ。主観的には誠実であっても、結果として侵略行為加担と見られてしまう矛盾は日本のアジア主義者の一つのタイプがたどらざるを得なかった際どい宿命である。これは何故だったのかを問い直していくことは、日本人が東アジア近現代史を考えていく上で今後も重要なテーマであり続けるだろう。
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コメント
恐縮ですが、工藤忠の元の名は、「鉄三郎」です。
投稿: ピエロ | 2010年8月 2日 (月) 10時31分
ご指摘、ありがとうございました。早速訂正いたしました。
投稿: トゥルバドゥール | 2010年8月 2日 (月) 23時51分