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2010年7月19日 (月)

【映画】「ボローニャの夕暮れ」

「ボローニャの夕暮れ」

 ファシスト政権時代のボローニャ。黄昏色に憂鬱な映像のトーンは、時代の暗さを表現しているのか。美術教師ミケーレが勤める高校で女生徒が殺された。犯人は、あろうことか、娘のジョヴァンナであった。裁判にかけられたが、精神鑑定の結果、責任能力なしと判定され、精神病院に送られた。娘と向き合おうとしない妻を置いてミケーレは病院近くに移り住む。やがて戦争は終わり、ジョヴァンナは退院。父と一緒に暮らす二人の前に偶然現れたのは、別れた母が男と連れ立って歩く姿。ジョヴァンナは声をかけようと歩み寄る──。

 ジョヴァンナは容姿の美しい母と自分とを比較してコンプレックスを抱いていた。彼女の傷つきやすい純粋さ、それを父ミケーレのようにまっすぐな一途さと捉えるのか、それとも他の人たちのように思い込みが激しいエキセントリックな娘と捉えるのか。母の受け止め方はどうやら後者らしい。ジョヴァンナは母を慕うが、受け入れられないという葛藤。他方で、不器用だが愚直な父は娘のために一生懸命だ。ただし、最初、ジョヴァンナは犯人ではないという推測が成り立ったとき父は人目をはばからず乾杯したように、娘への無条件の愛情は見ようによっては身勝手とも言える。

 家族として無条件の愛情と責任感を意識した父の視点。それとは対照的に、外向きで移ろいやすい母の視点。「あの子は表面的なものしか見ない」という罵りは、他ならぬ母自身のことであろう。家族という内向きの結束ではなく、世間の動向という外向きの条件に左右される移ろいやすさは、例えば面倒を見てくれた隣家のセルジョが敗戦後にファシストとして銃殺されたとき彼を見殺しにしたエピソードにも表われている。父と母、二人の視点で板挟みになったところにジョヴァンナの問題があった。一方的に降り注がれる愛情と不器用な自己主張だけでは、ファシスト時代に象徴される全体主義的同調圧力の中ではもろい。冷淡には見えても母=世間体を受け入れたとき、ジョヴァンナはようやく大人になったと言える。

【データ】
原題:papa di Giovanna(ジョヴァンナのパパ)
監督・脚本:プーピ・アヴァーティ
イタリア/2008年/104分
(2010年7月19日、渋谷・ユーロスペースにて)

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