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2010年7月

2010年7月31日 (土)

台湾原住民族の独立論

『現代台湾研究』第35号(台湾史研究会、2009年3月)の「台湾原住民の現在を考える」というシンポジウム記録に目を通していたら、冒頭の基調講演はマサ・トホイ(瑪莎・拓輝、Masa Tohui) アタヤル族民族議会議長による「泰耶爾民族議会と台湾原住民の自治」というテーマ。原住民族独立論としてこういうロジックがあり得るのか、と興味を持ったのでメモ。ちなみに、アタヤルは日本ではタイヤルとも言う。

・アタヤルは清朝期において「化外の民」、すなわち清朝の臣民ではなかった→下関条約による台湾割譲にアタヤルは含まれない→アタヤルの領土は「蕃地」としてアタヤル自身の主権の下にあった。
・日本はアタヤルの領土奪取を目的として理蕃戦争を仕掛け、これはアタヤルにとっては日本から領土を守る戦争→長い攻防戦の末、日本側と講和を結んだ。
・日本は敗戦で植民地放棄→本来、アタヤルの領土(=「蕃地」)の主権はアタヤル自身に返還されるべきだったはずなのに、蒋介石たちが台湾に逃げ込んでアタヤルの領土を無断で領有→この植民地状態がその後も続いた。
・国連憲章で保障された民族自決の主旨に従って土地と主権の返還を求める。オセアニア諸島諸族の前例を参考にする。

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田中修『検証 現代中国の経済政策決定』

田中修『検証 現代中国の経済政策決定』(日本経済新聞出版社、2007年)

・中国の経済的・社会的諸問題(三農問題をはじめ社会的格差、経済のアンバランス、エネルギー・資源不足、等々)を踏まえ、江沢民‐朱鎔基指導部や胡錦濤‐温家宝指導部の経済政策(1996~2006年)について、党中央・政府公表文件の丹念な解読を通して全体的に概観。その上で経済政策の問題点について分析・提言。以下、関心を持った点だけ適当に箇条書きメモ。
・五カ年計画→財政政策の方向性を拘束するので景気安定化に役立たない。
・朱鎔基は中央政府ではリストラを断行したが、地方政府改革までは及ばず。県以下の財政制度未確立。三農問題や社会保障・教育・衛生の問題に取り組むのは行政末端レベル(郷鎮・村)だが、こうした末端部では財政的裏づけが乏しい→末端地方政府レベルでの農民収奪にもつながる。
・社会的公正や経済活動保障のため法治へ向けた努力。中国に民法典はない。2007年、物権法制定→政府による土地収用衝動を抑制し、農民の権利整備。ただし、「公共の利益」という留保→恣意的運用の可能性が大きい。それから、市場経済の正常な運営のためには独占禁止法の制定も必要。
・金融体制の改革。重要な金融政策は国務院で決定→中央銀行の機動的対応が困難。
・累進型の個人所得税→11の所得分類ごとに税率が異なり、中国では副収入も多いため、所得の全貌把握は困難。都市住民には給与所得控除があるので低所得層は税負担軽減、他方で農民の場合、農業税(2006年に廃止)には控除制度がない上に、末端地方政府が様々な名目で費用負担。
・所得再配分のための租税、中央から地方への財政移転、社会保障のいずれにおいても不備→都市・農村、東部・中西部、都市内部の経済格差が拡大した。所得再配分機能強化策として、個人所得税の改革や相続税・贈与税導入の必要。
・中央‐地方政府間の権限調整問題。
・農業税廃止→末端地方政府の財源不足→義務教育は末端政府の責任とされているため、教育が行き渡らず労働力の質が低くなってしまう→巨大な雇用のミスマッチが生ずる可能性。
・1992年、鄧小平の「南巡講話」で「先富論」→江沢民指導部(上海閥)はこの「先富論」優先、農村部への配慮なし。
・漸進主義的改革:経済成長のパイをうまく配分して既得権益層をなだめながら改革を進める→パイの成長が鈍化すると利害調整困難→朱鎔基の改革不徹底。
・胡錦濤指導部には貧富の格差の拡大→社会停滞という危機感。経済成長方式の質をいかに切り換えて、「先富」から「共同富裕」へと向かうか→抜本的な所得再配分政策を実現させない限り無理。調和や持続可能性を謳い上げつつも、同時に経済高成長路線を絶対条件とする二面性の困難。

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2010年7月30日 (金)

高橋五郎『農民も土も水も悲惨な中国農業』、温鉄軍『中国にとって、農業・農村問題とは何か?──〈三農問題〉と中国の経済・社会構造』

高橋五郎『農民も土も水も悲惨な中国農業』(朝日新書、2009年)
・農業竜頭企業(リーディング・カンパニー)が土地を買収し、農民を安く雇用→農民は自分の仕事に愛着を持てない、耕していくモチベーションがない→目先の利益優先、無責任が当たり前。
・肥料や農薬の問題→技術的な知識がなかったり、文字が読めなかったり→教育の問題。
・日本は食料自給がほとんど困難であり、かつ加工品リスクを考えると、輸入元である中国農業の問題は他人事ではない。中国の農業現場の考察は、さらに市場や流通、環境、教育、都市と農村との格差など中国社会の様々な諸相へとつながってくる。

温鉄軍(丸川哲史訳)『中国にとって、農業・農村問題とは何か?──〈三農問題〉と中国の経済・社会構造』(作品社、2010年)
・三農問題とは、農民(低収入、都市/農村の格差、社会保障が実質的になし)、農村(出稼ぎ、社会資本開発の遅れで荒廃)、農業(生産性が低い→低収入)の三つの問題を指し、著者の温鉄軍の提唱により広く普及した概念。
・分厚くて内容的にも必ずしも読みやすい本ではないので、巻末に収録されている著者インタビューから読み始めるのがいいだろう。
・中国農村をめぐる現代経済史を振り返る:朝鮮戦争のため工業化が不可避となった→1950年代からの社会主義建設は実質的に国家資本主義=政府会社主義→中央集権的な動員政策によって原初的蓄積(政府がイデオロギー管理によって労働者から剰余価値を収受)。
・ところが、1970年代以降の改革において政府は経済効率の悪い農業から撤退、言い換えると農民に対する社会的責任を放棄した→都市と農村の二元構造が出現したと捉える。
・近年の「改革」は西側の理論モデルを導入しようとしているが、それは中国社会のリアルな実態に適合しないという問題意識。
・ラテンアメリカ、インドなどの発展途上国との比較考察。

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【映画】「午後3時の初恋」

「午後3時の初恋」

 台湾の青春映画。親しい人への記憶、それが失われていくことの切なさをテーマとしたラブストーリー。飲んだくれの父を尻目に一人で時計店を切り盛りしている青青(郭碧婷)。ある日、水にぬれた時計を修理して欲しいという青年が訪ねてきた。彼は高校の同級生だったという。周囲に関心のなかった青青に覚えはないが、彼は彼女のことをよく知っていた。午後3時きっかりにやって来る無口で生真面目な彼のことが気になり始めるが、少し様子がおかしい。やがて彼が二重人格者であることを知る。その人格分裂は高校生の頃のある出来事がきっかけらしい──。

 舞台となっている古びた街並みは台北郊外の菁桐だろう。商店街のすぐ店先を平渓線のローカルな車輌が通り過ぎていく光景、それを取り巻く瑞々しい緑。行ったことがあるので、すぐに分かった。最近では霍建起監督「台北に舞う雪」もここを舞台にしていた。映画撮影に人気のスポットなのか。それから、病院玄関のシーンは侯孝賢監督「悲情城市」にも出てきた建物ではないか。ヒロイン青青役の郭碧婷は台湾ではモデルとして有名らしい。ストーリーはともかく、ノスタルジー漂う街並みに美少女という取り合わせはすごく好きだなあ。青年役の張孝全(ジョセフ・チャン)は「花蓮の夏」に出ていたのを覚えている。

【データ】
原題:沉睡的青春
監督:鄭芬芬
2007年/台湾/92分
(DVDにて)

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2010年7月29日 (木)

フリードリヒ・マイネッケ『ドイツの悲劇』

フリードリヒ・マイネッケ(矢田俊隆訳)『ドイツの悲劇』(中公文庫、1974年)

・1946年、敗戦後の混乱のただ中にあったドイツ、すでに齢八十を越えた老歴史家マイネッケがドイツ現代史を振り返り、その痛恨の反省を通して次なる時代への指針を示そうとした書。大衆社会批判が基調。
・「近代の文化と文明に浴している人間にとっての重大な問題は、精神生活における合理的な力と非合理的な力のあいだの健全な、自然な、そして調和的な関係である。なぜなら、まさにこの近代の文化と文明こそ、それのもつ特性によって、この均衡を脅かしているからである。」(62ページ)
・知性乏しき専門分化。「…大学でりっぱな専門教育をうけてきた技術家、技師等々は、十年ないし十五年間は自己の職業にまったく献身的に専念し、脇目もふらずにひたすら有能な専門家になろうとする場合が、現在非常に多い。やがてしかし、三十代の中ごろないし終わりころになると、かれらが以前にはけっして知らなかったあるもの、かれらが職業教育をうけたさいにもかれらにはまったく近づかなかったもの──おさえつけられた形而上学的要求と呼んでもよいもの──が、かれらのなかで目をさます。そしていまやかれらは、なにかある特殊な精神的な仕事に、すなわち、国民のあるいは個人の幸福にとってとくに重要であると自分には思われるところの、ちょうど流行しているなにかある事柄に──それは禁酒論でも、土地改革でも、優生学でも、神秘学でもよい──はげしい食欲をもって身を投ずる。そのとき、従来の分別ある専門家は、一種の予言者に、熱狂家に、あるいはそれどころか狂信家や偏執狂に変化する。」「ここにわれわれは、知性の一面的な訓練は、しばしば分業的な技術に導くこと、またかえりみられなかった非合理的な心の衝動にとつぜん反作用をおこさせるおそれがあること、だがしかし、批判的な規律や創造的な内面性をそなえた真の調和をもたらすのではなく、いまや荒々しくかつ際限なく広がるあらたな一面性に導くことを、知るのである。」(65~66ページ)
・ヒトラー的人間性の転位は「合理的な力と非合理的な力のあいだの心的均衡の狂いとしてとらえることもできる。一方では計算する知性が、他方では権力、富、安全等々にたいする形而下的な欲求が、過度に押し出され、行動する意志は、そのために危険な領域に追いやられた。技術的に算出されつくられるものは、それが権力と富をもたらす場合には、正当と認められるように思われた。──いやそれどころか、それが自民族に役立つ場合には、倫理的にも正当であるようにも思われた。」(88ページ)
・旧体制における国家理性やマキャヴェリズムは少数者の貴族的な秘密に守られていた。ところが、現代において政治はもはや少数者のものではない。「ヒトラー的人間性のなかのマキアヴェリ的、無道徳的な要素は、どこまでもヒトラー的人間性だけに限られていたわけではなく、西洋が、没落にせよ変形にせよ、とにかく新しい生活形態に移ってゆく巨大な過程にみられる、一般的な酵素の一つでもあったのである」(91ページ)→大衆マキャヴェリズム。

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【映画】「パコと魔法の絵本」

「パコと魔法の絵本」

 一癖も二癖もある変な患者ばかり集まった病院が舞台。自分一人で事業を成功させたという自負心、その裏返しとしての狷介さで嫌われ者の老人、大貫(役所広司)。そんな彼が、記憶が一日しかもたない少女パコ(アヤカ・ウィルソン)と出会い、彼女に何か思い出を残してやりたいと思って病院のみんなで劇をやろうと提案する。3Dアニメも交えたファンタジーだが、微妙に毒のあるおふざけテイストは子供向きではない。中島哲也監督のこのノリは結構嫌いじゃない。役所広司のメイクはマクベスやってる平幹二郎みたいだな。

【データ】
監督・脚本:中島哲也
2008年/105分
(DVDにて)

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2010年7月28日 (水)

若林正丈編『ポスト民主化期の台湾政治──陳水扁政権の8年』

若林正丈編『ポスト民主化期の台湾政治──陳水扁政権の8年』(アジア経済研究所、2010年)

・国民党からの政権交代を実現させた陳水扁の民進党政権。彼の総統当選そのものが台湾民主化の成果とも言える一方で、立法院では少数派であるため政権運営の困難が予想された。多数派形成・再選戦術として台湾ナショナリズムを煽って藍・緑対立を激化させたことや政権後半期の汚職疑惑などネガティブな印象も強い。今となっては評判よろしからぬ陳水扁政権だが、その失敗について本書は台湾政治の構造的な問題として捉えていく。
・序章「李登輝が残したコンテキスト:ポスト民主化期の「憲政改革」」(若林正丈):民主化への移行は李登輝政権期に終了、ポスト民主化期としての陳水扁政権に残された課題として、「中国憲法」なのか「台湾憲法」なのかという二面性、黒金政治、半大統領制→分割政府(総統・行政院と立法院とのねじれ)の可能性、中台関係の「二国論」などを指摘。
・第1章「陳水扁の政権運営」(小笠原欣幸):陳水扁政権の行き詰まりの背景を分析。①行政と議会とでねじれが生ずる可能性への対処方法がない制度的要因、②党内抗争の激しさや政策立案能力の弱さという民進党の問題、③陳水扁個人のストロングマン志向。これらは事前に予想されていた問題ではあるが、それ以上に地域派閥や人治的要素など台湾土着政治の構造的問題点がある。
・第2章「金権政治の再編と政治腐敗」(松本充豊):台湾の選挙を観察する際に前提となるのは、国民党と民進党との圧倒的な資金格差。財政難の民進党の中にあって、陳水扁は著名な政治スターとして集金力があった→資金を他候補に分配して影響力拡大→他方で金集めのためインフォーマルな手法もとらざるを得なかった。民進党は金融機関との癒着がなかったため金融制度改革に熱心だったが、それは国民党の集金源を絶つという政治目的も動機であった。
・第3章「国民党の政権奪回:馬英九とその選挙戦略」(松本充豊):国民党は野党時代に態勢立て直しに成功→馬英九を総統候補に擁立→中間派選挙民にアピールできた。それは台湾アイデンティティへの接近という形をとった。他方で民進党の謝長廷も穏健路線→中間派取り込みを目指して国民党・民進党共に中道へ。ところが、民進党では陳水扁が強硬路線を打ち出して穏健派の謝長廷の存在感が埋没、中間派も離反して敗因につながった。
・第4章「台湾における多文化主義政治と運動」(張茂桂):民進党政権で原住民、客家の文化的保護政策が進んだ一方で、藍緑対立を煽ったことで外省人との社会的亀裂を生じさせた側面。また、外国人労働者への差別が多文化主義政策の新たな課題として浮上。
・第5章「ポスト民主化期における租税の政治経済学」(佐藤幸人):政界と財界は結びつく傾向があり、それを批判するはずの労働勢力は台湾では弱い。租税政策の形成過程を検討し、財界に対するカウンターパワーとして学者など専門家のプロフェッショナリズムが有効な役割を果したことを指摘。
・第6章「「選挙上手」はどの政党だったのか?:台湾立法院選挙集票構造の分析」(若畑省二):かつての中選挙区制では国民党は候補乱立、スキをぬって民進党候補が当選するケースが目立った。民進党はかつて地域別に得票率にばらつき→近年は全国化の傾向あり。現在の小選挙区制→地域事情よりも、全国的に均質な政党対立構図がこれから中心になるだろう。
・第7章「改善の「機会」は存在したか?:中台対立の構造変化」(松田康博):中国側は民進党政権長期化という見通しを持たず→陳水扁の「融和的政策」に応ずる可能性は最初からなかった。胡錦濤政権の対台湾政策がマキシマリスト・アプローチからミニマリスト・アプローチへと変化→これは陳水扁政権が中道路線から独立路線へと転換したことが誘因となっていた。
・第8章「「最良の関係」から「相互不信」へ:米台関係の激変」(松田康博):陳水扁は選挙戦略として独立志向を強調→米中関係安定を望むアメリカの戦略的利害に反する。他方で、アメリカからの混乱したメッセージを陳水扁政権は利用。アメリカは対中関係を考慮して台湾独立志向を抑え込もうと意図するが、他方で台湾が劣勢に立たされたらテコ入れを図る。アメリカは現状維持を軸として中台間のバランサー的な役割か。
・第9章「国際空間の拡大?:「実体」としての国際参加」(竹内孝之):台湾の国際機関参加の問題を概観。

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2010年7月27日 (火)

ヨハン・ホイジンガ『あしたの蔭りの中で』

ヨハン・ホイジンガ(藤縄千艸訳)『あしたの蔭りの中で』(『ホイジンガ選集2』河出書房新社、1971年)

・1935年にブリュッセルで行われた講演を基にした時論的論考。「あした」はつまりmorgenの文語的訳。訳書としては他に堀越孝一訳『朝の影のなかに』(中央公論社)もある。
・野蛮への歩み、危機を自覚してはいても、歴史の展開は止められないという意識が現代には広まっている。「進歩」の観念の両義性。
・研究の細分化→相互理解の困難。判断力の弱まり、生活の中での知識の消化作用の停滞。思想・芸術における「生の哲学」的発想と社会的思潮との共通性に注目。

・大衆的専制主義と同時に英雄主義的言説の流行。「英雄的なものに対する感嘆は、認識や理解から直接的な体験や経験へのかの大転換──これこそ文化危機の核心ともいうべきものだが──の最も雄弁な徴候である。行為そのものへの讃美、意志への強い刺戟による批判的判断力の麻痺、美しい眩惑による理念の曖昧化、これらすべては、反ノエシス的な生活態度の率直な信奉者にとって、そのまま英雄主義の是認を可能にさせる条件なのである。」(117ページ)
・「宣伝時代は手段の制限を知らない。宣伝は、それぞれの表象に、担うことができるかぎりの暗示をあふれるほどに積み込む。宣伝は、その標語を、独断的な真理として、できるだけ重く、嫌悪と讃美の感情をこめて、公衆に押しつける。合言葉をもつ者、また単に政治的言葉を操る者、たとえば、人種学説、ボルシェヴィズム、あるいはそのようなものを操る者は、犬を打つ棒を所持するのである。今日の政治的ジャーナリズムは、おおかた、犬を打つための棒を商っているのであり、彼らは読者を、至るところで犬の幻影を見る精神錯乱の患者に教育しているのである。」…「反ノエシス的な生の教説には、一つの危険が常に結びついている。理論的理解に対する生の優位は、概念の規範とともに道徳の規範をも放棄することを強制する。もし権威が暴力行為を説くならば、その言葉は暴力的な人たちのものとなる。彼らを阻止するための法律をも、人々は自ら払いのけてしまっている。暴力的な人々は、この原理によって、残酷や非人間性のあらゆる極端さが正当化され公認されているように感じる。英雄的な課題の完遂者として、暴力によって、動物的あるいは生理的な本能を満足させるような連中があまりにも容易に流入してくるのである。」(119~120ページ)
・「判断力の裁定にではなく、むしろ存在や利害の裁定に訴える国家哲学や生の哲学にとっては、スローガンやパレードの無意味なスポーツ競争などを伴う現代の幼稚性の全領域こそが、この哲学を立派に栄えさせ、また、この哲学が奉仕する権力を豊かに成長させる一つの要素なのである。もし、この哲学が念頭においている大衆本能が、純粋な判定の宣告による検査を受けていなくても、何の支障もないのである。しかり、人々は純粋な判断を欲していないのである。なぜなら、それは知的精神の仕事であるはずだから。判断の放棄によって、責任の意識が、献身を促す事柄との感情的癒着へと低下してしまうということは、この哲学の悩みとするところとはならない。」(130ページ)
・「今日の技術的完成と経済的政治的な実行力の砦は、決して私たちの文化を野蛮化から守ってはくれない。なぜならば、これらの手段はすべて、野蛮にもまた奉仕することができるのであるから。これら完全な力に結びついた野蛮は、それだけ強さを増し、それだけ横暴になるのである。」「非常に有益で効果があるが、副作用として文化をそこなおうとしている、特に高い技術的偉業の例は、ラジオである。いかなる人も、この精神的交流の新しい道具のすぐれた価値を少しも疑いはしない。…それにもかかわらず、伝達機関としてのラジオは、日々の機能において多くの点で、思想の伝達という目的には合わない形式への逆行を意味している。このことは、日常的なラジオの使用の周知の災い──つまり無思慮の傾聴、仕事を音と精神の浪費へと低下させるおしゃべりの落ちつきのなさ等──とは関係ない。ラジオは、この避けられぬことはない欠陥は別とすれば、知識受容の遅くて限られた形式である。私たちの時代のテンポにとっては語られる言葉はあまりにも回りくどい。読むことの方が、もっと繊細な文化的機能である。精神は読むことによって、はるかに早く受け入れ、たえず選択し、緊張し、省略し、間をおいて熟慮する。すなわち一分間に一〇〇〇もの精神運動がなされるが、これは聴衆には許されないことである。授業におけるラジオや映画の使用の主張者は、「書かれた言葉の衰微」という標題のもとで、喜びの確信をもって、子供が映像と講演で教育される近い将来を語っている。それは野蛮への強力な歩みになるであろう。青少年から思考を遠ざけ、幼稚のままにとどめ、その上、おそらく急速に根本的に退屈させるのに、これ以上の手段はない。」「野蛮は高度の技術の完成と提携することができ、同様に一般的に普及している学校教育とも提携することができるのである。文化の程度を文盲の減少から推し測ることは、時代遅れの愚直さである。学校で習う知識の量が決して文化の所有量を保証しない。」…「錯覚と誤解が至るところに蔓延している。どの時代よりも人間が言葉の、つまり標語の奴隷であり、それによって人間は相互に殺し合おうとしている。」…「色褪せた中途半端な教養人においては、伝統や形式や文化に対する畏敬の有益な抑制が徐々に失われはじめている。最悪のことは、至るところに見られる「真理に対する無関心」である。これは政治的欺瞞の公然たる称揚という現象において、その頂点に達している。」「古代文化は、何百年もの時代の流れを経て思惟と概念の明解さと純粋さにまで高められたが、そこへ魔術的で幻想的なものが、熱い衝動の濃煙の中に立ち現われ、概念をくもらせた時、野蛮が登場したのである。それは、ミュートスがロゴスを排除した時であった!」(153~155ページ)

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シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』

シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』(原田義人訳、ツヴァイク全集19・20巻、みすず書房、1973年)

 伝記文学で名高いシュテファン・ツヴァイク、彼自らの自伝的回想録である『昨日の世界』が書かれたのは1940年のこと。ユダヤ系ドイツ人として亡命を余儀なくされて各地を転々とする流浪の生活、自らの著書やかつて受け取った手紙など資料とすべきものが何一つとしてない中、ただ記憶のみを手掛かりにつづられている。

 生まれ育ったウィーン、留学したベルリンやパリ、そして知己を求めてヨーロッパ各地を回った旅の生涯の中で、ヨーロッパ中の知識人や芸術家たち、例えばリルケ、ホーフマンスタール、ヘルツル、ラテナウ、フロイト、ヴァレリー、ロマン・ロラン、ジイド、ゴーリキー、ジョイス、ウェルズ、クローチェ等々、文字通り第一級の人々と幅広くかつ親密に交流を深めた。その意味で国籍にとらわれないコスモポリタン的な「ヨーロッパ人」であった。同時に、彼が生れ落ちたハプスブルク帝国は崩壊し、新生オーストリアもナチス・ドイツに併合され、ヨーロッパの黄昏を目の当たりにしていた彼は無国籍者になってしまった悲哀を否が応でも自覚せざるを得なかった。『昨日の世界』執筆の動機は、夜明けの見えない長い暗闇への絶望感か。本書執筆から二年後の1942年、彼はブラジルで自殺してしまう。

 第一次世界大戦の始まりを目撃したとき、戦争に対する嫌悪感がもちろんある一方で、開戦時に人々の間で高揚した興奮状態の中に見出された、ある種の凶暴な陶酔感、暗い無意識の衝動、親交のあったフロイトの表現を借りて「文化に対する不満」があったことを記している。第一次世界大戦の開戦当初にはロマンティックな愛国意識やフランツ・ヨーゼフ帝への畏敬の念などもまだあったが、1939年にはそうした無邪気で素朴な信仰はもはやない。あるのは、機械的な破壊と野蛮。

 時代は変わった。絶望感をかみしめながら、ツヴァイクは両大戦前の青春期から振り返りながら説き起こす。裕福な産業資本家であった父や、出会った知識人・芸術家たち、彼らのつつましい生活態度には内面的な自由を確保するための智慧があったことを思い浮かべる。それは、テンポのゆるやかな安定の時代、お上品な倫理道徳で上辺を取り繕える時代、緊張感のない味気ない時代であった。自我意識に芽生えた思春期の反抗精神からすると引っぺがしたくなる態のものである。しかし、人間の凶暴さが時代を大きく揺るがしている執筆時点から振り返ってみたとき、ツヴァイクの眼差しにはアンビバレントな戸惑いも浮かび上がってくる。

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2010年7月25日 (日)

間宮陽介『増補 ケインズとハイエク──〈自由〉の変容』

間宮陽介『増補 ケインズとハイエク──〈自由〉の変容』(ちくま学芸文庫、2006年)

・自由を基調とする社会的体系は、個人を基本単位とした自由が単なる放恣、アナーキーへと転落しかねない危険を常に内包している点で不安定なものである。個人主義と利己主義、こうしたアンビバレンスを自覚したところから、そもそも自由を可能にする条件は何であるのかを不断に反芻して問い直していくことが社会思想としての自由主義の最大公約数的な特徴であろう。この点で、個人の自由をアプリオリな前提としてそれ以上を問い直そうとはしない自由放任主義は質的に異なる考え方である。問題は、計画か自由かという二者択一に収斂されるような性格ではない。大衆社会化が進展する中における「自由」の理念の変容をどのように受け止めればいいのか。本書はこうした視点から、一面的に単純化されやすいケインズとハイエクについて検討していく。

・「慣習」について。ハイエクは「無知の個人主義」と「理性の個人主義」を大別。前者では、人間は全知万能ではないのだから個人の領域についてはその人自身に任せ、国家といえでも干渉は許されない。全知全能ではないのだから、試行錯誤の中で生き残った知識や方法→慣習・伝統に人間は依拠、これがルールを形成する。対して後者では、人間理性の普遍性を万能とみなして社会構築→慣習・伝統を軽蔑。ハイエクはもちろん前者の立場である。ところで、ケインズも、不確実性に取り巻かれる中で人間はルールを必要とする、それは慣習でもあり得ると指摘していた。

・ケインズは、長期的視野ではなく短期的視野が中心となることで経済活動が投機活動へと変貌してしまったという問題意識。ハイエクは、経済の計画化を、「理性」の濫用というばかりでなく、人民の集合体が国家を通して個人の私的領域へと干渉しようとしているという問題意識→民主主義が自由主義の対立物へと転化してしまう危険を見出した。大衆社会において私的領域の縮小、社会的羈絆から脱したアトム的個人の一人一人が自足的に価値の究極的判定者として自らを思いみなすことで、「自由」の理念が換骨奪胎され、「自由」そのものが内在的に形骸化してしまう危険、こうした観点によって本書はケインズとハイエクの二人の議論から大衆社会批判の論点を導き出していく。

・「新自由主義」モデルは、公と私、国家と市場の二分法、前者による後者への介入を抑圧とみなす。しかし、市場=私的領域とみなすのは単純化し過ぎだと本書は指摘。また、両者の間にはさまる中間団体の必要性を指摘。この論点では、例えばドラッカー『産業人の未来』が、経済的自由の行き詰まりと全体主義の台頭という時代背景の中で、それでも自由をいかに確保するのかという問題意識から中間団体としての企業組織に着目していたのを想起した。

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【映画】「ハーフェズ──ペルシャの詩」

「ハーフェズ──ペルシャの詩」

 ハーフェズとは実在した詩人。この詩の暗誦者に送られる称号を得た若者が師の命により高位聖職者の娘の家庭教師となった。ところが、彼女の声を聞くたびに彼の胸は波立ち、それが罪とされた。彼女への愛を忘れるために「鏡の誓願」の旅へと出る──。

 セリフの大半は詩の引用から構成されている。舞台は現代イランだが、砂漠や岩山の広がる荒涼たる風景、その中にひっそりとたたずむ工業都市も含め、日本人から見ればどこか幻想性すら感じさせる異世界。この中で展開される、成就せざる忍ぶ恋の物語は、この乾いた風景から醸し出される情感と相俟ってストイックな映像叙情詩として印象深い。私のお目当ては麻生久美子。母方の国チベットからやって来たという設定だが、見ようによってはアゼルバイジャン系美人としても通用するのではないか。

【データ】
原題:Hafez
監督・脚本:アボルファズル・ジャリリ
出演:メヒディ・モラディ、麻生久美子
2008年/イラン・日本/98分
(DVDにて)

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【映画】「ゼロの焦点」

「ゼロの焦点」

 私は観たことがないのだが、むかし野村芳太郎が「ゼロの焦点」を撮っていた。今回のは松本清張生誕百周年記念として犬童一心によるリメイク版。舞台は昭和32年。当時の風景はかなりリアルに再現されて映像的に面白い。中谷美紀が主役を食ってしまうほどの存在感、脇を固める木村多江、西島秀俊も良い。しかし、主役とされた肝心の広末涼子はダイコンでどうにもならない。映像的に雰囲気がはまらないから、他が良くても台無しだ。

 詳細は省くが、戦後の混乱期の経歴がばれるのを恐れて犯された殺人の話。むかしはこうしたタイプの作品が結構多かった。当時の世相が如実に反映されて興味のある筋立てだ。同じく清張の『砂の器』とか、水上勉の『飢餓海峡』とか。野村芳太郎は監督として今ではあまり話題にならないが、堅実に良い映画を作っていた人で、とりわけ「砂の器」はいつ観ても胸が熱くなる。

【データ】
監督:犬童一心
音楽:上野耕路
出演:広末涼子、中谷美紀、木村多江、西島秀俊、杉本哲太、鹿賀丈史、他
2009年/131分
(DVDにて)

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【映画】「花とアリス」

「花とアリス」

 高校に進学したばかりの花(鈴木杏)とアリス(蒼井優)は親友同士。花が好きになった落語研究会の先輩(郭智博)に、「先輩は記憶喪失です、私に告白したのを忘れているんです」と言い、これにアリスも巻き込んだため微妙な三角関係になっていく、という話。

 岩井俊二の映画でこれは唯一観ていなかった。少女漫画趣味が濃厚で抵抗感があったからだけど、いざ観てみるとなかなか悪くない。やはり岩井のつくる映像は本当にきれいで、それがお目当て。あまっちょろい青春モノでも、岩井のリリカルな映像で描かれると、これはこれで結構嫌いじゃない。鈴木杏と蒼井優の掛け合いも良い感じだ。

【データ】
監督・脚本・音楽:岩井俊二
2004年/135分
(DVDにて)

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2010年7月24日 (土)

【映画】「トルソ」

「トルソ」

 東京のマンションで一人暮らし、セミの鳴き声が聞こえてくるじっとりと汗ばむような夏の日。普段から化粧っ気のないヒロコは、同僚から合コンに誘われてもやんわりとお断り。ガードが固いというよりも、他人と深く接触するのを避けている様子だ。一人きりのベッドの中でトルソに体を絡ませて寂しさを紛らわす日々。そうしたある日、妹が同棲中の彼氏と喧嘩したと言って転がり込んできた。脳卒中で倒れた父のこと、元カレのこと、妹のおしゃべりの一つ一つが癇に障る。やがて妹は切り出した、どうやら妊娠しているらしい──。

 誰かと深く関わり合いたいと思いつつもそれができないアンビバレンスをトルソ=顔のない人形が表わしている。ストーリーを単純化したなら、東京で孤独をかこつ女性の葛藤ということになるが、それだけでは身も蓋もない。

 監督は、例えば是枝裕和監督映画などの撮影監督で知られた人だ。街並や部屋の中を映し出す落ち着いたトーンがとても良い。彼女の周囲を様々に取り巻いているディテールを持った生活感覚が静かに描かれている。そうした映像が生きているからこそ、彼女の孤独志向にほの見える頑なな無理がいっそう際立って浮き彫りにされてくる。

【データ】
監督・撮影・脚本:山崎裕
出演:渡辺真起子、安藤サクラ、ARATA、蒼井そら、石橋蓮司、山口美也子、他
2009年/104分
(2010年7月23日レイトショー、渋谷・ユーロスペースにて)

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2010年7月22日 (木)

片倉佳史『台湾鉄路と日本人──線路に刻まれた日本の軌跡』、宮脇俊三『台湾鉄路千公里』

 片倉佳史『台湾鉄路と日本人──線路に刻まれた日本の軌跡』(交通新聞社新書、2010年)は、台湾鉄路の路線一つ一つの建設過程を取り上げて、鉄道という観点から台湾史をたどっていく。本書は図版や当時の写真を豊富に収録、新書サイズでありながら情報量は充実していてお買い得感あり。口絵の地図を眺めると、日本統治期には平野部を中心に私設鉄道も張り巡らされていたのが意外に感じる。製糖会社の運搬用路線だから貨物優先で、ついでに旅客運輸も行っていた。モータリゼーションの進展でこうした路線は廃線されていったのだという。

 台湾鉄路の大半は日本統治期に基盤が作られており、台湾鉄道史を振り返ることは同時に当時の日本技術史を垣間見ることにもつながる。ただし、最初に鉄道を敷設したのは清朝の洋務派官僚・劉銘伝であるが、財政難や労働事情の困難、さらには鉄道に対する地元民の迷信的反感などの理由で中途で挫折してしまった。地元民の反感を押し切って鉄道敷設が可能となったのは、日本の台湾総督府が強権を振るったからである。

 話が少々脱線してしまうが、台湾史を考える上で鉄道敷設が持った重要な意義は、全島レベルで張り巡らされた鉄道網によって物流面において台湾が一つの経済単位にまとめ上げられたことである。それは現在にも続く一つの台湾意識、すなわち台湾アイデンティティ、台湾ナショナリズムの芽生えにつながった点で、日本統治期における鉄道網整備は実は無視できない要因なのである。

 台湾鉄路つながりでもう1冊。宮脇俊三『台湾鉄路千公里』(角川書店、1980年)。宮脇が台湾を旅したのは1980年6月。付録の地図を見ると、枋寮~台東間が未開通である。鉄橋ごとに警備兵がいるという物々しさにはまだ戒厳令下にあった時代をしのばせる。

 元祖“テツ”たる宮脇の目的はあくまでも鉄道全線踏破であって、台湾という土地柄そのものへの関心はあまりない。だから、日本人の台湾シンパにありがちな「日本は植民地で良いこともした」的論調とはそもそも次元が異なる。他方で、台湾事情への無知に由来するチグハグな言動も目立つが、それも見方を変えれば興味深い。

 日本語を話すのは35年ぶりだ、と言う親切な駅員さんに出会ったりする。それから、憲兵隊を除隊してタクシーを開業したという運転手さん。宮脇が「戦前世代でもないのに、どうしてそんなに日本語がうまいのか?」と尋ねても彼は話をそらしてしまう。宮脇は不思議そうに首をかしげるが、ひょっとしたら両親が日本びいきで、それがばれるのを恐れているのかもしれない。あるいは、白団出身だったりして。また、台東近くで隣に座った原住民系のおじさんが降車時に「サヨナラ」と声をかけてきた。宮脇が「再見」と返すと、彼は固い声音で「アナタ、北京ニ行ッタコト、アルノデスカ」。ないけど…と言いよどむ宮脇に彼は背を向けて再び「サヨナラ!」 戦後、国民党政権の中国語化政策によって、戦前世代の日本語話者は肩身の狭い立場に置かれていた。繰り返すが、宮脇が旅をしたのは1980年である。現在から振り返れば蒋経国がそろそろ本土化へと方向転換を模索していた頃だと分かるが、当時の台湾一般社会では戒厳令がいつまで続くのか分からない、そうした一種の恐怖感を引きずっていた時代である。

 そういえば、台湾鉄道つながりで、西川満『台湾縦貫鉄道』を読んでみたいと前から思っているのだが、未入手である。以前、台南の台湾文学館に行ったとき、この作品をテーマにした一画があったのを思い出した。ここにも、台湾アイデンティティと鉄道というテーマを読み取ることが可能である。

 来月、また台湾に行くつもり。行き帰りの飛行機だけは押さえてある。在来線幹線のうち新竹~台南間、枋寮~花蓮間はまだ乗ったことがないから、今回は台湾鉄道一周の旅としよう。調べてみたら、支線や阿里山鉄道などは改修工事や台風被害復旧などで運休路線が多いのが残念。

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2010年7月19日 (月)

【映画】「ボローニャの夕暮れ」

「ボローニャの夕暮れ」

 ファシスト政権時代のボローニャ。黄昏色に憂鬱な映像のトーンは、時代の暗さを表現しているのか。美術教師ミケーレが勤める高校で女生徒が殺された。犯人は、あろうことか、娘のジョヴァンナであった。裁判にかけられたが、精神鑑定の結果、責任能力なしと判定され、精神病院に送られた。娘と向き合おうとしない妻を置いてミケーレは病院近くに移り住む。やがて戦争は終わり、ジョヴァンナは退院。父と一緒に暮らす二人の前に偶然現れたのは、別れた母が男と連れ立って歩く姿。ジョヴァンナは声をかけようと歩み寄る──。

 ジョヴァンナは容姿の美しい母と自分とを比較してコンプレックスを抱いていた。彼女の傷つきやすい純粋さ、それを父ミケーレのようにまっすぐな一途さと捉えるのか、それとも他の人たちのように思い込みが激しいエキセントリックな娘と捉えるのか。母の受け止め方はどうやら後者らしい。ジョヴァンナは母を慕うが、受け入れられないという葛藤。他方で、不器用だが愚直な父は娘のために一生懸命だ。ただし、最初、ジョヴァンナは犯人ではないという推測が成り立ったとき父は人目をはばからず乾杯したように、娘への無条件の愛情は見ようによっては身勝手とも言える。

 家族として無条件の愛情と責任感を意識した父の視点。それとは対照的に、外向きで移ろいやすい母の視点。「あの子は表面的なものしか見ない」という罵りは、他ならぬ母自身のことであろう。家族という内向きの結束ではなく、世間の動向という外向きの条件に左右される移ろいやすさは、例えば面倒を見てくれた隣家のセルジョが敗戦後にファシストとして銃殺されたとき彼を見殺しにしたエピソードにも表われている。父と母、二人の視点で板挟みになったところにジョヴァンナの問題があった。一方的に降り注がれる愛情と不器用な自己主張だけでは、ファシスト時代に象徴される全体主義的同調圧力の中ではもろい。冷淡には見えても母=世間体を受け入れたとき、ジョヴァンナはようやく大人になったと言える。

【データ】
原題:papa di Giovanna(ジョヴァンナのパパ)
監督・脚本:プーピ・アヴァーティ
イタリア/2008年/104分
(2010年7月19日、渋谷・ユーロスペースにて)

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小沢信男『東京骨灰紀行』

小沢信男『東京骨灰紀行』(筑摩書房、2009年)

 てくてく、てくてく、東京歩き。ただの文学・歴史散歩ではない。訪ね歩くは、死者の呼び声。別にホラーじゃないし、鎮魂といった深刻なものでもない。「桜の木の下には死体が埋まっている」とは梶井基次郎の小説にあるフレーズだが、この伝で言うなら、東京の下には死体が埋まっている、だからこそ、この都市の華やかでもあり時に虚しくもある、言い知れぬ厚みが形成されている。彼らにちょっくら挨拶でもしとかんと礼儀に外れるのではあるまいか。

 江戸時代の明暦の大火から上野の彰義隊、関東大震災、東京大空襲、最近では地下鉄サリン事件。事件史から見てもおびただしい人々が死んでいった。有名人の墓参りもするし、非業の死を遂げた人々も忘れてはならない。小伝馬町の牢獄、小塚原の刑場跡、遊女の投げ込み寺。普段は気にかけることのないネクロポリス東京、そこを勝手知ったる小沢じいちゃんがご近所をうろつくようにざっくばらんな語り口調で道案内してくれる。私も東京はよく歩き回り、本書に登場する場所もあらかた知っているが、結構見落としは多い。例えば、築地本願寺に台湾物故者の霊安所があるのは知らなかった。

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吉川洋『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ──有効需要とイノベーションの経済学』、根井雅弘『ケインズとシュンペーター──現代経済学への遺産』

 シュンペーターの言う企業者によるイノベーションは、既存の静態的な均衡状態を撹乱、この変革から新しい均衡状態に至るまでの適応過程として不況を捉える。つまり、経済循環に必要なプロセスとして不況を位置付けており、極論すれば放っておいても構わない。対してケインズは有効需要の不足として不況の問題を捉え、政策的働きかけの必要を指摘。吉川洋『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ──有効需要とイノベーションの経済学』(ダイヤモンド社、2009年)、根井雅弘『ケインズとシュンペーター──現代経済学への遺産』(NTT出版、2007年)は、このように全く議論がすれ違うかのような二人の接点を見据えながら、有効なヒントを模索する。

 吉川書は最終章の結論部分で「需要創出型のイノベーション」というアイデアを提言しているが、本書の大部分は二人の学説形成の時代的背景を解説した、いわば学説史的な内容である。タイトルとかみ合ってない印象もあるが、私のように理論名や学者名など固有名詞は雑然と頭の中にたまっていても相互の関係がいまいちつかめていない経済学オンチが頭を慣らす上では読みやすいと思った。根井書もコンパクトに理論解説しながら、ケインズは短期理論、シュンペーターは長期理論という二分法を打ち破るという点で上記吉川のアイデアを高く評価している。サミュエルソンの新古典派総合(新古典派経済学とケインズ経済学の融合)は総合ではなくあくまでも並存に過ぎないと根井書では指摘されているのでメモ。

 ケインズの言うアニマル・スピリット、シュンペーターの言う企業者精神、これらがどのようなコンテクストの中で語られているのかを理解したいという関心が私にはあるのだが、その前提としてやはり経済学的理論構成もきちんと理解しておかねばならない。そうしないといい加減な印象論に陥ってしまう。面倒くさいな。

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ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』

 最近どんなマンガが面白いのか情報に疎い。何かないかなあ、と思いながら書店で物色していたら、「マンガ大賞2010、手塚治虫文化賞W受賞」というポップにひかれて、ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン、2009年)を買った。ラテン語で「ローマの風呂」という意味か? 

 古代ローマの風呂造り技師が毎回日本の銭湯や温泉にタイムスリップして、その風呂文化の先進性に驚く、という話。確かに風呂文化という点で古代ローマと日本とでは共通性があるし(高校の世界史で「カラカラは何した人か?」という質問に「お風呂をつくった人」と答えた同級生がいた。教科書の写真で見たカラカラ大浴場の印象が強かったのだ。ちなみに、答えは「すべての属州自由民にローマ市民権を与えた」)、例えば秋田のしょっつると古代地中海の魚醤の味が似ていることなど背景考証もしっかりしている。単に面白いというのではなく、こんなマニアックな題材でよくここまで描けるものだと感心した。

 感心ついでに同じくヤマザキマリの新刊『涼子さんの言うことには』(講談社、2010年)も買って読んだが、こっちはいまいちだな。

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ケインズは素人には難しいな

 経済学の基礎的訓練を受けていない私のようなド素人がケインズを理解しようとしてもなかなか歯が立たない。とりあえず、宇沢弘文『ケインズ『一般理論』を読む』(岩波現代文庫、2008年)、伊東光晴『現代に生きるケインズ──モラル・サイエンスとしての経済理論』(岩波新書、2006年)、吉川洋『ケインズ──時代と経済学』(ちくま新書、1995年)と立て続けに目を通した。それぞれ丁寧に書かれているのだが、失業や有効需要のあたりがいまいちピンとこない。これらの本が悪いのではなく、方程式をとばして斜め読みしたがる私が悪いのだが。式の展開をきちんとたどっていけばむしろ自明なのだろうが、数式嫌いには苦痛である。

 そんな私にとってロバート・スキデルスキー(山岡洋一訳)『なにがケインズを復活させたのか?──ポスト市場原理主義の経済学』(日本経済新聞出版社、2010年)はとても読みやすかった。山岡さんの訳文も実に練られている。著者はケインズの評伝で知られた人だが、経済学者としてではなく、経済学の分かる歴史家というスタンス。最近の世界的経済危機を深刻化させた元凶としての主流派経済理論家たちと対比させる形でケインズの意義を説く。

 新古典派経済学はあらゆる事象について確実な知識を持つ合理的人間モデルを理論的大前提としている。これに対して、事象の不確実性に対して人間はどのような態度を取るのか、そこにこそ注目したのがケインズの視野の特徴だとする点ではどのケインズ論も一致している。この不確実性を計算可能とみなし、その理論的前提が非現実的であるにもかかわらずこれこそが現実に適用すべき処方箋だとして強引に推し進めようとしたところに新古典派経済学の誤謬があるというのがスキデルスキー書の問題意識である。

 日ごろの経済活動はだいたい予測可能な中で進行するにしても、不確実性という壁に直面することがある。決断を下すには何らかの確信が必要だ。自分自身に判断の根拠がない場合に他人の行動をうかがいながら自らも振舞おうとすれば有名な「美人投票」のたとえ話になるし、「習慣」に従うのも(他人も「習慣」に従う可能性が高ければ)一つの合理的判断であるし、あるいは不確実性の中でも立ちすくまず、えいやっ、と突き進む気概に注目すれば、ここで「アニマル・スピリット」という表現が出てくる。

 ケインズが自らの議論の出発点に「不確実性」を置くことによって「理論」として硬直化させなかった背景としては、ブルームズベリー・グループの教養深い仲間たちとの交流、とりわけムーア、ラッセル、ヴィトゲンシュタインなどの哲学者と親交を持ち、ケインズ自身、論理学研究として『確率論』を著していたことも注目される。こうしたあたりについては伊藤邦武『ケインズの哲学』(岩波書店、1999年)がある。著者は分析哲学の方で有名な人だ。

 私がむかし、ケインズについて初めて読んだ論文は西部邁『経済倫理学序説』(中公文庫、1991年)所収の「ケインズ墓碑銘──倫理の問題をめぐって」だった(本書にはもう1篇「ヴェブレン黙示録」も収録されている)。西部の持論である大衆社会批判、知識人批判のコンテクストの中で、新自由主義に対しても自己破壊的な進歩主義の一つと捉えていた。経済学と倫理の問題もケインズを論ずる人が必ず言及するポイントである。それから、佐伯啓思『ケインズの予言』(PHP新書)も本棚のどこかにあるはずなのだが、見つからない。

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2010年7月17日 (土)

【映画】「ぼくのエリ 200歳の少女」

「ぼくのエリ 200歳の少女」

 オスカーは12歳、学校でいじめられている。その鬱憤晴らしのように団地中庭の木に「この豚、殺してやる!」とナイフを突き立てていたある雪の夜、一人の少女と出会った。名前はエリ。最近隣に引っ越してきたばかりらしい。「君はいくつ?」「だいたい12歳くらい」「だいたい?」 表情は妙に青白くて不自然なところもあるが、彼女のどこか大人びたたたずまいに、孤独な気持ちをかこっていたオスカーはひかれ始めた。ちょうどその頃、謎の連続殺人事件で町は大騒ぎ──。

 単純なボーイ・ミーツ・ガールの青春ストーリーではない。なにしろ、エリはヴァンパイヤなのだから。もちろん彼女とて生きなければならない。そのためには生血をすすらなければならない。血をすする姿をオスカーに見られた。彼女のやるせないような切ない表情、そこに弦楽合奏の叙情的に美しいメロディーがかぶさる。胸にグッとくる。

 エリはオスカーにささやく、「私のこと、本当に好き?」「もちろんだよ」「私が女でなくても好きでいてくれる?」「そんなの関係ないよ」 どうやら「彼女」、生まれつきの女ではないが、男性器がないため男でもないらしい。オスカーに血をすする姿を見られた後、エリは哀願するように言う、「私を理解して!」 

 無条件に相手を受け入れ愛していくこと、それを人は「純愛」と呼ぶのであろう。それはただの思い込みかもしれないし、高尚な言い方をすれば「たら、れば」なしのカント的定言命法とも言えるだろうか。

 ここで視点を移動してみよう。エリと一緒に暮らしていた連続殺人犯のおっさんのことである。彼はエリに貢ぐため人を殺して血を集めていた。失敗したとき、エリに累を及ばさないため自分の身元を隠そうと顔に塩酸をかけた。最後はエリに自分の血を吸わせてから身を投げて死んだ。すべてエリへの愛のためである。

 映画の終盤、オスカーはすんでのところでエリによって助けられ、一緒に列車に乗って遠くへ行くシーンで終わる。青春の苦い思い出どころではない、恐ろしいバッド・エンドである。オスカーはやがてあのおっさんのように、無条件の愛であるがゆえにエリによって身も心も支配されることであろう。それは彼自身の主観としては幸福かもしれないが、第三者として見るとグロテスク極まりない。この作品はヴァンパイヤ映画だからホラーなのではない、「純愛」なる魔性の観念=イデオロギーこそがよほどおぞましいホラーなのである。

【データ】
英題:Let the Right One In
監督:トーマス・アルフレッドソン
原作・脚本:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
音楽:ヨハン・ゾーデルクヴィスト
2008年/スウェーデン/115分
(2010年7月17日、銀座テアトルシネマ)

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保阪正康『田中角栄の昭和』

保阪正康『田中角栄の昭和』(朝日新書、2010年)

 「もはや戦後ではない」とは1950年代半ば、高度経済成長の軌道に乗り出した頃の流行語であるが、それはともかく、そろそろ本格的に「戦後」を一つの時代として区切りをつけて政治思想史的、精神史的に捉え直していってもいい時期だろうと私は思っている。いまやすでに公的資金をばらまいて民生活性化を促す政治手法、俗に言う土建屋政治がもはや通用しない時代である。この場合、必ず検討しなければならないのがそうした手法を生み出した田中角栄である。もちろん、田中に「思想」があったと言うつもりはない。むしろ彼の言動や政治行動のあり方そのものが、間接的ながら当時の日本人のメンタリティーを具現化していたと考えられるからだ。そうした観点から本書を興味深く読んだ。

 脱イデオロギー的、プラグマティックな経済建設中心路線、言い換えるならばそれは精神なき物量中心の人間観を前提とした政治志向であった。人は利益と情の使い分けで動く、そう見切った田中の人間洞察がブルドーザーのように日本政治を動かしていった。同時にそれは、自らの私欲も肯定し、公の政治システムを自らの集金・集票マシーンへ変貌させていくことに躊躇もなかった。そのような彼の功利的な発想が、「臣~」と名乗る旧来型政治家たちと異なって天皇への冷めた態度につながっていたのが面白い。その点で彼はまさしく「戦後」の政治家であった。それから、共同体的言語で語りかけることで支持を集めてきたという指摘は、いま現在との違いを感じさせて、もっと掘り下げたい論点として興味を持った。

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山田勝芳『溥儀の忠臣・工藤忠──忘れられた日本人の満洲国』

山田勝芳『溥儀の忠臣・工藤忠──忘れられた日本人の満洲国』(朝日選書、2010年)

 傀儡国家の君主として日本の軍人や官僚に取り囲まれ息苦しい思いをしていた溥儀が心を許した日本人側近が何人かいた。例えば、侍従武官の吉岡安直(入江曜子『貴妃は毒殺されたか──皇帝溥儀と関東軍参謀吉岡の謎』新潮社)や通訳の林出賢次郎(中田整一『満州国皇帝の秘録──ラストエンペラーと「厳秘会見録」の謎』幻戯書房)などが思い浮かぶが、工藤忠という人物については初めて知った。著者の専門は古代中国史・古銭史だが、東北大学所蔵の中国古代貨幣に溥儀から工藤に贈られたものがあることに気づき、それが彼について調べ始めたきっかけだという。

 工藤忠、元の名を工藤鉄三郎という。青森出身、同郷の山田良政を慕って中国革命に身を投ずるつもりで大陸に渡った。当初は革命派だったが、宗社党の升允と出会ってから復辟派の人脈に連なる。東亜同文会、老壮会等のアジア主義者とも付き合いがあり、小川平吉の意向を受けて甘粛工作に出向いたりもしている。溥儀の天津脱出時には比治山丸に同乗、篤い信頼を受けて「忠」という名前を賜り、以後これが本名となった。大きな括りで言うと“大陸浪人”となるが、彼の誠実さは他の大言壮語タイプとは異なるというのが本書の強調するところである。

 無名であればあるほど人物評価も一般論で括られかねない中、こうして一人の人物について丹念に調べ上げる仕事は大切である。工藤の人物像そのものよりも、彼を軸にして様々な人脈関係が見えてくるところに興味を持って読んだ。主観的には誠実であっても、結果として侵略行為加担と見られてしまう矛盾は日本のアジア主義者の一つのタイプがたどらざるを得なかった際どい宿命である。これは何故だったのかを問い直していくことは、日本人が東アジア近現代史を考えていく上で今後も重要なテーマであり続けるだろう。

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2010年7月13日 (火)

原武史『滝山コミューン 一九七四』、原武史・重松清『団地の時代』、三浦展・志岐祐一・松本真澄・大月敏雄『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』

 原武史『滝山コミューン 一九七四』(講談社文庫、2010年)では、高度経済成長期の背景をなす精神史として団地という生活空間が意外と注目されていないという問題意識から、東京郊外、滝山団地の小学校で著者自身が過ごした学級の光景を回想、呼び覚まされた記憶がそっくりそのまま検討材料とされる。団地という既存の地縁から切り離された空間には新しいタイプの核家族が居住、とりわけ専業主婦が多い。革新系はこの人たちをオルグのターゲットにした。そうした風潮の中、「民主化」を掲げて「進歩的」集団教育を志す日教組系の若い教員の熱意が、クラスをかえって権威的集団主義に陥れてしまった矛盾。同調圧力で熱に浮かされたようなクラスメートの姿。そうした異様な空気の中で著者自身が抱えた息苦しさを振り返り、その分析を試みる。著者が提唱する空間政治学の具体的応用でもあるし、そもそも著者自身の後の研究動機の芽生えが確認されていくところも興味深い。私はちょうど1974年の生まれだが、世代が違うとはいえ確かに公立小学校には共産党系の先生が多かったけど(東京の日教組は共産党が強かった)、同じ東京の小学校でこんな文革や日本赤軍まがいの出来事があったというのはフィクションではないかと疑いたくなるくらいに驚きだ。

 原武史・重松清『団地の時代』(新潮選書、2010年)は『滝山コミューン』刊行を踏まえ、ほぼ同い年、団地暮らし経験も共通する二人による対談。団地というのは高度経済成長期の都市部への人口流入から作られたとばかり私は思っていたのだが、必ずしもそういうわけではないらしい。当時、団地生活は最先端でカッコいいというイメージがあったという。試しに母に聞いてみたら、母自身はぼろい一軒家にいたが、団地を見てやはりあこがれたと言っていた。そういうものなのか。この世代間のイメージのギャップ自体、検討してみたら時代的変遷が見えてくるのかもしれない。

 団地、郊外型住宅地、いずれも戸ごとに壁や塀で密封的に仕切られ、既存の地縁から切り離された造成地に職住分離型の通勤形態の家族が住んだ。その意味でアトム的な「私」が横並びする居住空間となり、それらが横に結び付いた「公」はなかなか形成しづらかった、だからこそ結び付くとしたら「オルグ」ともいうべき不自然な集団化が目立ったと言えるだろうか(すべてがそうだとまでは言えないが)。

 三浦展・志岐祐一・松本真澄・大月敏雄『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』(王国社、2010年)は、そうした中でも三浦展が「奇跡の住宅」と呼んだ分譲型テラスハウス(庭付き長屋)、阿佐ヶ谷住宅について建築の観点から形成過程をたどる。私は行ったことがないのだが、行ったことのある人に聞くとやはり穏やかで好感の持てる街並らしい。計画当初から沼や川や林などもともとの風景になじむように計画され、各戸の草木は公道へとつながり、借景となって、住宅地全体が醸し出す雰囲気として「私」と「公」とがバランスよく混じりあっていると指摘される。住み心地が良ければこの地域への愛着もわき、街として長続きする。年経て今ではどこかノスタルジーすらも感じさせるようだ。

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2010年7月11日 (日)

宮台真司『14歳からの社会学』『中学生からの愛の授業』、他

 ひと頃、『14歳からの~』というタイトルの本がはやった。きっかけは池田晶子『14歳からの哲学』(トランスビュー、2003年)である。14歳という年齢は、いろいろと疑問や悩みを抱え始めると同時に、まだ世間的にコンベンショナルな思考パターンにははまっていない、そうした端境期という位置づけになる。私が『荘子』を初めて読んだのがまさに14歳の時だった。これは私の乏しい読書遍歴の中では最も決定的な体験で、この頃に『荘子』を読んだ感覚、それは何かと問われても「曰く言い難し」なのだが、この漠然としながらも確信を持った感覚をテコにすると、単に東洋思想というだけでなく、西洋近代哲学も意外と身近な問題意識の中で読んでいけた。自分なりの勘所がおさえられた。その意味で『14歳からの哲学』に相当するものが、私の場合には『荘子』だったと言える。

 「14歳」にはいろいろなシンクロがあった。例えば、神戸須磨区の酒鬼薔薇の少年。あるいは「新世紀エヴァンゲリオン」の少年少女たち。宮台真司『14歳からの社会学』(世界文化社、2008年)はそのあたりも意識したタイトルだろう。宮台真司『中学生からの愛の授業』(コアマガジン、2010年)は女子中学生相手の対談という形式(どうでもいいが、このタイトル、書店で買うときものすごく恥ずかしかった…)。いずれも宮台自身の私語りも交えた社会学的人生論といった趣である。好き嫌いはあるだろうし、私自身、こういう甘っちょろい系は本来好きではない。ただ、一見情緒的なようでいて、結構シビアな社会学的認識がしっかり踏まえられていることがかみくだかれた言葉の端々から見えてくる。その点で私は肯定的だ。

 むかし、田原総一郎、西部邁、佐高信をホスト役にゲストを一人招いて討論するミニ「朝生」的な深夜番組をやっていた。宮台がゲストのとき、どんなやりとりがあったか正確には覚えていないのだが、西部が「こんな奴と話したって無駄だ」と言って番組途中(生放送)で帰ってしまった。共同体の空洞化について、西部が例によって伝統云々とやっているのに対し、宮台がそういう保守オヤジの説教は無意味だ、と批判していた。西部が帰ったあと、宮台が「問題意識は同じなんですけどねえ」とつぶやいていたのが妙に記憶に残っている。

 上記『14歳からの社会学』『中学生からの愛の授業』では、自己決定の前提として「尊厳」が必要だというテーマで一貫している。「尊厳」と言っても人権論的正義として語られるものではなくて、自己信頼感と言ったらいいのだろうか。失敗しても自分の存在価値を毀損させず確信していける感覚と言えばいいのか。これがなければ試行錯誤的に自分で選択肢を切り開いていくことができない。そして、この「尊厳」は、家族、仲間、地域共同体などの直接的な人間関係の中でのコミュニケーションを通して育まれるものだ。親・教師などではなくて近所のおじさんから知恵を授かるナナメの関係とか、ミメーシス(感染的模倣)を引き起こしてしまうほど尊敬できる人物とか。しかし、一人一人が孤立化する傾向のある現在、ここのところがうまくいっていないという問題意識である。

 共同体の回復をスローガンとして叫んだところで、社会学的認識からすればもう元には戻らないし、元に戻すことが必ずしも良いわけではない。ならば、そうした厳然たる現実を所与の前提とした上で、若い子たちに生き抜く知恵を語りかけるにはどうしたらいいのか。そこに宮台の問いかけがある。社会学的人生論と言ったのはそういう意味だ。

 現代社会の特徴をポストモダンとするのか、それともモダンがむしろ強化された時代と考えるのか、いろいろと議論はあるが(私自身としては後者の方に説得力を感じている)、いずれにしてもバラバラになった個人が互いの差異をめぐってグルグル回るようにせめぎ合い続ける不安定な社会というイメージでは一致しているだろう。ジグムント・バウマンはそれを「リキッド・モダニティ」(液状化した近代)と表現した。頻々と否応なく突きつけられ続ける選択肢を前にしたとき、自己決定の主体として自己信頼感としての「尊厳」が重要になる。ところで、社会格差論というのも、経済的格差そのものの問題ではなく、こうした「尊厳」の育まれる場としての直接的コミュニケーションに入れる生育環境にあったか、なかったというレベルでの格差が実は大きい(そうした人的ネットワークは富裕層の方が恵まれているという点で経済格差の問題につながるのだが)。私は『反貧困』の湯浅誠を高く評価しているが、それは単に貧困問題に取り組む活動家という点ではなく、彼の主催するNPO「もやい」は社会的に孤立して「すべり台」のように底辺へと落ち込んでしまった人々へ、セーフティネットとしての過渡的・擬似的共同体をつくろうとしているからだ(「ため」と表現される)。その中で自己信頼感としての「尊厳」を立て直すことが、自律的な自己決定の主体として社会へと再参入するきっかけになり得る。

 社会的認識と人生論とを結びつけた本として、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(新潮社・少国民文庫、1937年→岩波文庫、1982年)も思い浮かべた。吉野という人への政治的評価はいろいろとあるだろうが、作品そのものとしてこれはやはり良い本だと思っている。『君たちはどう生きるか』の場合、コペル君という一人の少年を主体として客体としての世の中を広く見ていくという方向性をとるが、対して『14歳からの社会学』『中学生からの愛の授業』では身近な人間関係の中での「私」の態度のとり方についての話題が大きなウェイトを占める。どちらが良いか悪いかという話ではなく、時代背景の違いがはっきりと見えて、そうした視点で両方を読み比べてみても面白いかもしれない。

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五十嵐太郎『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』、五十嵐太郎・磯達雄『ぼくらが夢見た未来都市』

 五十嵐太郎『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』(彩流社、2010年)はこれまで発表されたエッセイや論考の集成。テーマ的に一貫したまとまりが必ずしも見えるわけではなく雑然とした印象も受けるが、それだけ建築を論ずるには多様な切り口があり得るのかと興味がかき立てられる。建築や都市設計というのは単に箱物をつくるというだけでなく、それを利用し中で暮らす人々のライフスタイルを表現することになり、そのライフスタイルに通底するロジックを読み解けば思想史になる。さらに、都市を設計することは同時に新たな世界観を構想しようという強烈な主体的働きかけでもあるわけで、そうしたイマジネーションの力と現実社会との接点というところに魅力を感じる。人文系の論者がよく建築を論じ、逆に工学系の中でも建築家に人文的教養豊かに都市を語る感性を持つ人が多いのも、そうした境界的性格に理由がある。他方で本書では、世論で都市をめぐる問題が大きくクローズアップされたときでも政治的論点にばかり目が奪われて、建築としての造形美そのものへの関心が高まらないという不満もところどころで垣間見える。

 イマジネーションと現実社会との切り結びという点でワクワクと胸躍るような興奮を覚えるテーマが未来都市だ。五十嵐太郎・磯達雄『ぼくらが夢見た未来都市』(PHP新書、2010年)は、実際の都市計画や万博ばかりでなくユートピア思想やSF作品なども広く取り上げて論じている。かつての未来都市のイメージにはレトロ・フューチャーとしてなつかしく感じられるものもある。大阪万博があたかも敗戦の代理戦争であるかのように国民総動員的であったのに対し、メディアから無意味だ何だとバッシングを受けた愛知万博は、その低調ぶりそのものが「戦後」的だったという指摘に興味を持った。

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2010年7月10日 (土)

奥村宏『最新版 法人資本主義の構造』『三菱とは何か──法人資本主義の終焉と「三菱」の行方』『経済学は死んだのか』

奥村宏『最新版 法人資本主義の構造』(岩波現代文庫、2005年)
・株式相互持合いによる企業の相互支配という戦後日本の会社モデルは、経営の自律性を確保したと評価する議論がある一方で、本書はそれは株式会社の基本原則に反しており、株主主権による経営者チェックが働かない無責任体制だと批判する。
・法人資本主義の構造が成立→経営者も従業員も会社に忠誠→会社本位主義
・法人は有限責任。株主は出資分以上の責任を負う必要はない。
・会社に実体はあるのか?→法人擬制説、法人否認説、法人実在説。
・イギリスで株式会社が成立したとき、株主は本来、自然人(=責任主体となり得る)を想定→1888年、アメリカのニュージャージー州法の改正→企業を呼び込むことで税収増を当て込むという打算的理由から持ち株会社を認め、これが他州にも広がった。
・以上の問題意識を踏まえて「法人資本主義」の成立過程を分析。GHQによる財閥解体→放出された株式の受け皿がなく法人所有へ(戦前のピラミッド型支配構造の財閥から横断的な株式相互持合いの企業集団へと変化)。1952年の陽和不動産株買占め事件→三菱グループ各社による株式買取り→買占め対抗策として安定株主工作→これでは経営者が株主を選ぶことになってしまい、株主主権の会社民主主義に反する→経営者をチェックする者がいない、コーポレート・ガバナンス不在。
・近年の「持合い崩壊」→年金基金と外国機関投資家が受け皿→投機的で不安定、有力な受け皿がないという混迷。

 奥村宏『三菱とは何か──法人資本主義の終焉と「三菱」の行方』(太田出版、2005年)は、三菱自動車のリコール問題を糸口に、こうした法人資本主義の具体的な事例として三菱グループの創業以来の歴史を検討する。

 奥村宏『経済学は死んだのか』(平凡社新書、2010年)。最新の金融理論による世界的な経済破綻、新自由主義的原理の直訳的適用による日本経済の混乱、さらにはかつての神学的・訓詁学的なマルクス研究。現実遊離した輸入理論先行の経済学者に反省を促すという意図から、経済の現実について自分自身で調査・研究した上で理論化・政策提言を行った人物としてマルクスとケインズを取り上げ、日本の経済学者を批判。激しい口調は、日本経済の実態について既存の理論枠組みは使わずに自分の眼で調査しながら法人資本主義という理論構築をしてきたという著者自身の自負によるのだろう。

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2010年7月 9日 (金)

岩井克人・佐藤孝弘『M&A国富論──「良い会社買収」とはどういうことか』

岩井克人・佐藤孝弘『M&A国富論──「良い会社買収」とはどういうことか』(プレジデント社、2008年)

・岩井克人を座長とする東京財団の研究グループによるM&Aルールの提言。会社=法人をヒト+モノという二段構えで把握する岩井の理論が前提。この理論の詳細は、岩井克人『会社はこれからどうなるのか』(平凡社ライブラリー、2009年)、『会社はだれのものか』(平凡社、2005年)、さらに基礎理論的なものとしては『貨幣論』(ちくま学芸文庫、1998年)や三浦雅士によるインタビュー『資本主義から市民主義へ』(新書館、2006年)を参照のこと。
・株主がモノとしての会社を所有→2階。ヒトとしての会社が会社財産(物的財産+人的組織)を所有→1階。前者の2階を強調するのがアメリカ的な株主主権論、後者の1階を強調したのが日本型経営。会社が付加価値を生み出すのは1階部分であり、その能力をいかに活用するかという問題意識。
・岩井の資本主義分析の基本は、差異が利潤を生み出すという命題にある。これまでの産業資本主義で会社は設備投資や労働者動員(低廉な労働予備軍としての農村余剰人口が前提)によって差異を作り出してきており、買収対象は機械制工場であった。しかし、現在のポスト産業資本主義では差異そのものを意識的に作り出す必要→作り出すのはヒトの頭脳であり、人的チームワークが必要→ヒトはカネだけでは左右できない→この人的組織の経営の良し悪しを判断基準として、会社買収の具体的なルールが検討される。

・本書の内容からは外れるが、岩井の著作を一通り読んだ印象として(『不均衡動学の理論』だけは未読。資本主義を外在的根拠から批判するのではなく、資本主義そのものが持つ内在的ロジックを徹底させたときに見えてくる不安定さを分析しているらしい)、現在はポスト資本主義なのではなく、資本主義の構造的ロジックが一層強まった時代として連続性の中で捉えている視野に関心あり。つまり、差異が利潤を生むという原理によって駆動されたシステムとして資本主義を捉え、商業資本主義(地理的な差異→遠隔地貿易、重商主義)⇒産業資本主義(大量生産方式の効率性における差異)⇒ポスト産業資本主義(差異を意図的に作り出す→頭脳を用いるヒトが主役)という連続性。社会学でも現在はポストモダンなのではなく、モダンがより強化された時代なのだという議論がある。岩井の言う産業資本主義⇒ポスト産業資本主義という区分は、アンソニー・ギデンズの言う前期近代⇒後期近代、ジグムント・バウマンの言うソリッド・モダニティ⇒リキッド・モダニティにそれぞれ相応するだろうか。私自身の思考が整理されていないのであくまでも思いつきだが、このあたりに関心あり。それから、差異が利潤を生み出すという資本主義のロジックが純化された形で表われたポスト産業資本主義として現代を捉える岩井克人の視点は、ジグムント・バウマンが言うところのリキッド・モダニティを想起させる。

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2010年7月 5日 (月)

彦坂尚嘉・五十嵐太郎・新堀学編著『空想 皇居美術館』

彦坂尚嘉・五十嵐太郎・新堀学編著『空想 皇居美術館』朝日新聞出版、2010年

 大英博物館、ルーヴル美術館、故宮博物院、こういった世界の大美術館に匹敵するものが日本にはない。敷地はある。東京のど真ん中に。皇居である。そこで、天皇には京都御所へお帰りいただき、からっぽになった皇居をそっくりそのまま世界一の大美術館にしてやろう。そして、日本中の超一流国宝をかき集めて収蔵品にする。現代アートなど入れない。明治維新以前、前近代のものだけで日本をアピール。1,000メートル級の世界一の巨大建築も建ててやれ、そうすりゃ公共事業で景気対策にもなるぜ──。

 皇居を一大美術館にするならどうしたら面白いか?という思考実験。もともとは五十嵐太郎たちのリノベーション・スタディーズで彦坂尚嘉が漏らした皇居再利用というアイデアが発端らしいが、これをもとにしたプランを2007年の第1回リスボン建築トリエンナーレに出展。帰国後のシンポジウム(五十嵐、御厨貴、南泰裕、彦坂、鈴木邦男、原武史、新堀学)や寄稿(辛酸なめ子、藤森照信、萩原剛、鈴木隆史、暮沢剛巳)・座談(高岡健、宮台真司、彦坂)では各自それぞれが奔放に思い付きを語る。

 皇居の敷地は意外に広くて、大英博物館、ルーヴル美術館、メトロポリタン博物館、バチカン美術館、ウフィッツィ美術館、ベルリン・ムゼウムインゼル、ついでにクフ王のピラミッド、これら全部が同時に納まってしまう。東京の中心は空虚であるというロラン・バルトの指摘は東京論で必ずと言っていいほど引用されるが、実は何もないわけではない。語られるのを拒む暗黙のタブー、すなわち皇居があるということだ。美術的・建築論的面白さへの非政治的追求ではあっても、天皇論を軸に日本文化、日本の近代という大問題を避けることはできない。色々な議論の切り口や意味づけのロジックがあり得るのが面白い。なお、皇居を公園にしようというプランをこれまでに提案したのは丹下健三しかいなかったらしい。

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2010年7月 4日 (日)

神野直彦『「分かち合い」の経済学』『「希望の島」への改革──分権型社会をつくる』『人間回復の経済学』『地域再生の経済学──豊かさを問い直す』

 新刊で神野直彦『「分かち合い」の経済学』(岩波新書、2010年)が出ていたので、これを機にむかし読んだ旧著も読み返した。人間を経済活動の道具として位置付ける新自由主義的な「競争原理」は、個々の人間の能力を育成してその自発的な発揮によって各自が存在欲求を充たしていくのに必要な「協力原理」を掘り崩してしまうという問題意識で一貫している。

 旧著では市場社会を経済・政治・社会の三つのサブ・システムに分裂した状態として示された構図をもとに議論が進められている。経済システムは等価物交換=市場経済による関係。政治は強制力に基づく支配・被支配の関係。社会は自発的協力による人的結びつき。人間の行為は強制的か、自発的か?→政治/経済・社会、無償か有償か?→社会/経済・政治、競争原理か協力原理か?→経済/政治・社会、という基準で区別。経済システムの拡大(有償労働領域の拡大)→社会システムの縮小(家族・共同体での無償労働の存在が縮小)→この縮小部分の代替機能を果たすのが政治システム。政府は「市場の失敗」に対応しているのではなく、市場進展によって生じた「共同体の失敗」から生まれた。新自由主義的な競争原理のやみくもな拡大は、この「共同体の失敗」を残したまま、さらには加速させながら、「政治」機能を縮小させることになる。セーフティネットとしての「社会」が機能してはじめて市場経済も有効に機能する。以上のように三つに分裂したサブ・システムの結節点として財政は位置付けられる。

 『「希望の島」への改革──分権型社会をつくる』(NHK出版、2001年)は、生活する場として人々に身近な公共空間をつくるため、中央政府・地方政府・社会保障基金という三本立ての政府体系を構想する。ケインズ的福祉国家は「遠い政府」としての中央政府が現金給付する形での社会保障を基本としており、それは参加なき所得再配分国家であったという問題意識。地方政府→無償労働代替としての現物給付(サービス)を行う、生活の場における「協力の政府」。社会保障基金→賃金代替として生産の場における「協力の政府」。

 『人間回復の経済学』(岩波新書、2002年)は、利己心に基づく合理的人間モデル=「経済人(ホモ・エコノミクス)」への疑問から経済学の失敗について検討する。人間個々の知的能力を育てていくことが知識社会の条件であり、その育成や生活保障のための人間のきずな=社会資本の必要性という問題意識が示される。『地域再生の経済学──豊かさを問い直す』(中公新書、2002年)も動揺の問題意識から、市場原理によって荒廃させられてしまった地域社会を、社会資本としての生活の場としていかに再生させるかを議論する。

 『教育再生の条件──経済学的考察』(岩波書店、2007年)。経済システムは労働が単純化された中で生産効率向上を目指す形で訓練、政治システムによる公教育は社会東郷のための「国民の形成」を意図→そこで、社会システム=協力原理の直接的人間関係の中における「学びの社会」へ向けた改革を提言する。

 『「分かち合い」の経済学』(岩波新書、2010年)のタイトルにある「分かち合い」とはスウェーデン語の「オムソーリ」、すなわち「悲しみの分かち合い」という言葉からヒントを得ている。財政とは本来、共同の困難を共同負担によって共同責任で解決を図る経済であり、これを“「分かち合い」の経済”と表現している。上述の経済・政治・社会という三本立てサブ・システムについて、貨幣経済(経済+政治)、貨幣を使用しない“「分かち合い」の経済”(社会+政治)という形で描きなおされ、両方の結節点に位置する政治=財政が補完的なバランサーとしての役割を果たさねばならないという問題意識が示される。
・19世紀イギリスのようなレッセ・フェール国家では家族・コミュニティなどの「分かち合い」に基礎付けられた自助努力であり、市場経済化の進展によって社会領域が縮小しつつある中、新自由主義が家族・コミュニティの重要性を説くのは矛盾。
・これまでは公共事業のように「分かち合い」ではない財政支出が多かった→日本では増税への抵抗感が強かったと指摘。
・市場では購買力の豊かなものに決定権、対して民主主義ではすべての社会の構成員が同じ決定権を持つ。
・市場原理→協力原理を分断(例えば、正規雇用と非正規雇用)。
・フレキシュリティ戦略→労働市場の弾力性と同時に生活の安全保障を強化、アクティベーション(失業者への再教育・再訓練)、リカレント教育→社会的セーフティネットを社会的トランポリンへ張り替える。

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白波瀬佐和子『生き方の不平等──お互いさまの社会に向けて』

白波瀬佐和子『生き方の不平等──お互いさまの社会に向けて』岩波新書、2010年

・多様な生き方といっても、現実には当人の意図ではどうにもならない「たまたま」の機会によってその後の人生が左右されてしまう問題。出発点が不平等なのに自己責任原則が強調されることをどう考えるか? 本書はライフステージの節目ごとにおける問題点をデータに基づいて検証する。
・生育環境や教育機会という点での出発点での格差→子育て支援、再配分政策が必要。
・過渡期の若者→一度のつまずきが将来にひきずらない制度作り。
・労働市場におけるジェンダー格差。
・これまでの生き方の蓄積で不平等が最も顕在化する高齢期。
・リスク分散としての社会的連帯の必要。出発点での格差を縮小するため「御破算システム」検討も考慮。
・当事者ではない問題に追体験はできないにしても社会的想像力を強調。

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2010年7月 3日 (土)

【映画】「闇の列車、光の旅」

「闇の列車、光の旅」

 国境を越えてアメリカを目指す中南米の移民たち。隣国メキシコばかりでなく、ホンジュラス、グァテマラなどからもメキシコを通って陸路をたどる人々が多いらしい。父、叔父と一緒にアメリカへ行く途中のサイラ。「組織」を裏切って追われる身となったカスペル。移民のあふれかえる列車の屋根の上である事件をきっかけに出会った二人は、共にアメリカ国境の川までたどり着くのだが…。

 夜中、光を放つ列車が轟々たる音を響かせて駅へと到着する厳かなシーン。列車の屋根から見晴るかす沿線の牧歌的風景。山上にマリア像が見えると人々は居ずまいを正して十字を切る。時に詩情さえ感じさせる映像的美しさの一方で、彼ら移民たちがたどらざるを得ない「冒険」は文字通り命がけだ。しかも、旅路の果てにも厳しい生活が待っていることを冷静に知っている。残っても、進んでも、どちらであっても希望はない。ならば、取りあえず行くしかない──。

 絶対的貧困のため生きていく術のない人々。助け合って生きていかねばならないが、そのための寄り合いとして一つは家族。もう一つはカスペルが所属していたようなマフィア組織。ただしそれは、排他的暴力性と表裏一体をなす団結心である。人的ネットワークという点でも貧困と暴力とが織り成している負の連鎖。新天地に放り出されたサイラは果たして新しい家族を見つけ出すことができるのか。投げやりになってもおかしくないつらさ、その中にあっても二人がかわす眼差しのひたむきさが美しい。

【データ】
原題:Sin Nombre(名無し)
監督・脚本:キャリー・ジョージ・フクナガ
2009年/アメリカ・メキシコ/96分
(2010年7月3日、日比谷・TOHOシネマズ・シャンテにて)

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前嶋信次『玄奘三蔵──史実西遊記』、前田耕作『玄奘三蔵、シルクロードを行く』

 前嶋信次『玄奘三蔵──史実西遊記』(岩波新書、1952年)は高校生のときに読んでちょっとなつかしい本だ。主に『大唐西域記』の記述を踏まえ、東に大唐帝国、西にイスラム、南のインドは一時期ハルシャヴァルダナが登場したもののやがて分裂状態、北には遊牧民族、こうした各勢力の狭間にあった中央アジアを行く玄奘の旅路を語る。その頃、水谷真成訳『大唐西域記』も一応目を通そうとはしたが、さすがに基礎知識のない高校生には退屈だったので、私は前嶋書で玄奘の旅路をたどった。

 各地の文化・習俗を観察する玄奘の筆致(というよりも、帰国後の記録だから記憶)はマメで、『大唐西域記』の史料的価値は高い。前嶋書が文献史学的なのに対して、前田耕作『玄奘三蔵、シルクロードを行く』(岩波新書、2010年)はその後の考古学・言語学的研究の進展も合わせて活用しながら玄奘の旅路を再現してくれる。遺跡等の物的証拠と照らし合わせてみて玄奘の記録の細やかさ、正確さが改めてクローズアップされる。

 玄奘は三蔵法師として『西遊記』に登場するように、彼の求法の旅が直面した艱難の一つ一つには、イマジネーションを膨らませようという気持ちがかき立てられるような、胸がワクワクするような魅力がある。後世の学者による研究も、一見、方法論的には地味な実証作業の繰り返しではあっても、その再現を目指す語りそのものがイマジネーションの産物である。もちろん、でっち上げという意味ではない。この不思議な魅力に心がつかまれて、玄奘の歩いた光景を自分なりの方法で語りたい、そうした動機としてのロマンティシズムに触れて共感していけるところに、このような歴史書を読む醍醐味を感じる。

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2010年7月 2日 (金)

安田浩一『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』

安田浩一『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』光文社新書、2010年

 生産コストを抑制しつつも利潤を上げ続けるためにまず切り詰められるのは人件費であり、とりわけ制度的保障のない外国人労働者は雇用の調整弁として厳しい立場に置かれる。本書は中国人労働者と日系ブラジル人労働者へ取材、彼らに身を寄り添わせながらその発するうめき声を聞き取ろうとしたルポルタージュである。

 研修生という名目で低廉な労働力としてこき使われる中国人の若者たち。彼らの表情の暗さは他の外国人労働者と比べて際立つ。研修生として来日するだけでも事前に借金をしており、途中で帰国したら負債が残るだけ。日本の雇用者は彼らが絡め取られているそうした見えない鎖を脅しの切り札に使って過酷な労働を強いており、文字通り奴隷労働に近い。中国側の送り込み機関でも、彼ら若者たちが従順に働くように規律教育をしているというのも驚いた。日本側の受け入れ機関、中国側の送り出し機関の双方がつながった「ビジネス」としてのからくりが指摘される。出稼ぎに来た日系ブラジル人も、景気が悪くなると追い返しに直面している。労働組合も必ずしも彼らを助けるわけではない。他方で、彼らを雇用していた中小企業も経営が不安定だからこそ低廉な労働力を求めていたという事情もあるわけで、経済的に弱い立場の者がもっと立場の弱い者へしわ寄せしていく構図が本当にやりきれない。

 本書の趣旨とは直接には関係ないが、第二次世界大戦当時、ブラジルの日系社会で、日本は勝ったと信じる人々=「勝ち組」と日本の敗戦を冷静に認識した人々=「負け組」という対立があったのは知っていたが、互いにテロをやって犠牲者を出すほどの対立だったとは知らなかった。

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2010年7月 1日 (木)

ハリー・ハルトゥーニアン『歴史と記憶の抗争──「戦後日本」の現在』

ハリー・ハルトゥーニアン(カツヒコ・マリアノ・エンドウ編訳)『歴史と記憶の抗争──「戦後日本」の現在』(みすず書房、2010年)

・戦後日本をテーマとした論文集。戦後日本を枠付ける思想空間を分析しているが、そこに影を落とす戦争、天皇、日米関係といったモチーフの比重が大きい。
・第1論文「あいまいなシルエット:イデオロギー、知、そして米国における日本学の形成」は、ジャパノロジーという学知的枠組みそのものにはらまれた制度的権力性を分析しており、一つの切り口として興味深く読んだ。宣教師や軍隊出身の第一世代ジャパノロジストが設立した閉鎖的空間→近代化論→戦後アメリカの同盟国にふさわしい「近代化に成功した非西欧国」という物語を形成。眼差しの非対称性によって研究対象に一方的なレッテル貼りをしたと捉える点ではエドワード・サイード『オリエンタリズム』やポール・コーエン『知の帝国主義』なども思い浮かべたが、ジャパノロジーの場合、アメリカ基準による「お手本」として持ち上げたところが異なるようだ。
・第5論文「見える言説、見えないイデオロギー」では「近代の超克論」と高度経済成長後の文化政策とを比較する論点に関心を持った。
・私とは議論の体質が異なるせいか、読んでいて中に入り込みづらかった。批判口調の激しさも一因か。右翼、保守派、ファシストといった表現が結構安易に使われているのも私には気になる(例えば、神話的共同体主義という点で神話学者の「隠れファシスト」ミルチヤ・エリアーデと「農本ファシスト」橘孝三郎とは同じ立場だ、という言い方をする箇所があり、逆にこの二人をどういう観点で結び付けているのだろう?と別の意味で興味を持ったりもした)。ハルトゥーニアン『近代による超克』(岩波書店)も翻訳が出ているからいずれ読むつもりではいるが、ちょっと気が重い。

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