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2010年6月 2日 (水)

ジョゼフ・R・レヴェンソン『梁啓超と近代中国の精神』

Joseph R. Levenson, Liang Ch’i-ch’ao and the Mind of Modern China, University of California Press, 1967

・本書の初版刊行は1953年だから半世紀以上経っている。欧米における梁啓超研究の古典という位置付けになるだろうか。彼の生涯と思想的変遷のアウトラインが体系的に整理しながら描き出されている。①国民国家建設という課題にどう取り組むのか? ②近代化=西洋化と自分たちの伝統思想とは対立するのか、それとも折り合いがつけられるのか?というテーマがやはり中心となる。中国に限らず、日本をはじめ非西洋世界において近代思想史を描こうとすると、必ずと言っていいほどこうしたあたりに議論は収斂してくるわけだが。

・伝統的な中華思想においては中国=世界、つまり中国だけで自足的→他者という観念が薄い(“野蛮”はあったにせよ、ヒエラルキー的世界観の中に取り込まれるという意味で自足的)。清代のイエズス会は結局しめ出され、洋務運動は中体西用論に基づき技術だけの摂取を試みた。対して梁啓超は普遍的視野の中で中国を相対化する視点を示す。つまり、帝国主義列強をはじめ様々な国がこの世界に並立している→他者を認識→分割された世界における分割されざる一つの中国としてナショナリズム→生き残りのための国民国家建設という課題→近代化のため伝統思想克服という課題→「新民説」。
(※一つの中国という立場から革命派の滅満興漢的ナショナリズムを批判→満洲人を排除しようとしたら他の少数民族も追い出せという話になってしまって収拾がつかなくなる。ただし、一つの中国というロジックにおいては言語や習慣の同質性が前提→梁啓超の生きた当時は帝国主義に対する防御という発想だったが、このロジックがその後も受け継がれる中で中国=漢人という枠組みにすり替わって漢人文化への同化圧力→現在の民族問題につながっている点には留意しておく必要がある。)

・生存競争のロジックには当時流行していた社会ダーウィニズムの影響が濃厚。
・①中国伝統の文化主義において文人>武人というヒエラルキー→軟弱な平和主義では生き残れない→日本の武士道への関心。②秦以降の統一帝国の枠組みで儒教イデオロギー支配→社会的同質性のため競争や対立の契機が欠如→停滞の原因という問題意識。⇒梁啓超は先秦・戦国時代に注目→思想の複数性、競争の発想、中国の武士道があったと主張。

・梁啓超は第一次世界大戦直後のヨーロッパを見聞し、西欧の行き詰まりを目の当たりにした→かつて西洋を基準にした中国の改造を主張していたが、西洋の科学文明における唯物主義を批判するようになる。中国は確かに科学的先進性を西洋から学ぶ必要はある。しかし、価値観において西洋にも間違いがあるならば中国自身の伝統思想における価値観を見直していこう、その点で中国が世界に寄与できるところがあるかもしれない→科学/精神の二元論(dualism)における西洋/東洋のシンクレティズム(syncretism)。かつての中体西用論とは発想の契機が異なる点に注意。

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