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2010年6月27日 (日)

「京都学派」についてとりあえず何冊か

 一般に「京都学派」というと、西田哲学を中心とした人的ネットワークをさす。竹田篤司『物語「京都学派」』(中公叢書、2001年)はその群像を描き出す。西田の門下生もそれぞれ独創的な研究を進めており必ずしも「学派」と言えるほど系統だった体系はないが、西田幾多郎のオーラに惹かれて集まった人々、西田哲学に対する内在的批判者としての田辺元、マルクス主義に向かいつつ西田への傾倒を隠さない三木清や戸坂潤、こうした人的厚みには互いに知的に啓発し合う独特な一体感があった。西田の西洋古典への「読み」の浅さについて田中美知太郎の批判は手厳しい。しかし、西欧文献の入手がままならないこと、西田自身の思索の表現が目的であって西洋哲学はそのヒントにすぎなかったこと、そして何よりも、急速な「近代化」=「西欧化」の中にあって田中の批判は正論ではあるが、同時に、目前に押し寄せつつある敵、すなわち西洋の「論理」に対して、東洋にも牢固として備わっている伝統的な「論理」の構築という使命感を西田は抱いていたことが指摘される。

 陸軍主導で開戦が間近となり危機感を抱いた海軍の一部グループが「京都学派」を中心とした知識人グループに接近、昭和17年2月から18年11月にかけて定期的に秘密会合が開かれていた。大橋良介『京都学派と日本海軍──新史料「大島メモ」をめぐって』(PHP新書、2001年)は、海軍側との連絡役を務めた大島康正(田辺元の弟子で当時は京都大学文学部副手)が記したメモを復刻、その時局的背景を解説する。出席者は、田辺元、高坂正顕、木村素衛、高山岩男、西谷啓治、鈴木成高、宮崎市定、日高第四郎、柳田謙十郎、高木惣吉(海軍)、天川勇(慶應)など。当初は戦争回避が意図されていたが、いったん開戦されてしまうと国策是正のため戦争の理念転換が話題の中心となり、「反体制」的な「戦争協力」という複雑な性格をはらんでいた(こうしたポジションは満鉄調査部にいた左翼系知識人も思わせる)。東条政権など陸軍に対する批判的意識が強く、彼らも海軍シンパとみなされて陸軍側からマークされていたらしい。復刻史料からいくつかメモすると、
・大東亜共栄圏の指導理念、「盟主」と「共栄」の論理的矛盾をどうするのか?→世界史的必然として日本の歴史的使命。
・自由主義のアウフヘーベン。
・「主権」概念の検討、指導権と干渉権の問題→「絶対矛盾的自己同一」として説明せよ。東洋における「主権」「国民」「民族」を近代ヨーロッパ的概念で説明はできない。しかし、東洋の特殊性を強調して済むのか?という疑問あり。発展段階の相違によって指導・服従の上下関係、同時に、帝国主義的搾取ではいけないという道義性、自発性を尊重しつつ統合。
・木村が大陸視察報告:狭量な日本主義者や一般日本人の優越意識に対して中国人に強い反感、汪兆銘政権に対する不信感があることを指摘。
・「万邦各々所を得さしめる」ことこそ真のデモクラシーである、アメリカン・デモクラシーの真理は日本の「八紘一宇」にあり。

 大橋良介「「近代の超克」と京都学派の哲学」(『岩波講座現代思想15 脱西欧の思想』岩波書店、1994年)は京都学派における「近代の超克」論を、政治的にではなく内在的な哲学の脈絡において捉えようとする。昭和17年の『文学界』誌上の有名な座談会「近代の超克」には日本浪漫派及び『文学界』同人の文学者たちと京都学派の学者たちとの間には始まったばかりの戦争を「思想戦」として捉える共通の問題意識があった一方で、前者は日本文化が西欧近代によって危機にさらされていると強調するのに対し、後者は西欧近代の世界性をまず認識する姿勢を持っていたという違いが認められる。それから、日本の戦争の侵略性の認識と、その倫理的性格転換の必要性。京都学派の思想は西田幾多郎・田辺元以来の「絶対無の哲学」が内在的に展開→「近代の超克」というテーマとシンクロした、その意味で政治性とは次元が異なる。久松真一・西谷啓治の「空」の哲学→「ニヒリズムを超克」する立場。大橋良介編『京都学派の思想──種々の像と思想のポテンシャル』(人文書院、2004年)は、第Ⅰ部で「京都学派」評価のあり方を概観、第Ⅱ部で科学思想、技術思想、美学思想、教育思想、言語思想、歴史思想、宗教思想といった諸相において西田哲学の可能性を探っている。

 植村和秀『「日本」への問いをめぐる闘争──京都学派と原理日本社』(柏書房、2007年)は、西欧主導の「近代」への挑戦、危機意識の中で日本の世界史的使命を主張した点で京都学派と蓑田胸喜たち原理日本社との共通性を指摘、ただし、京都学派が世界に向けて開かれた積極的な創造性を強調したのに対し、原理日本社の特徴は、自分たちは日本の「原理」を確信→他の論者に対する否定的態度。
・西田哲学は、生命の自覚的表現→万人がそれぞれに創造的に生きようとするならば自己を問い直し、日本人なら日本人として日本への問いによって、創造への意欲を喚起→日本が世界へと貢献、逆に日本への問いが人間の創造を妨害するなら本末転倒だという考え方。西田哲学の内面的理性の生き生きとした探求は、蓑田にとってかえって「日本」的なるもの、ひいては自分たちの立場への脅威だと映った。
・蓑田の『学術維新原理日本』:蓑田たちの主観ではすでに「近代」を「超克」済み→他の学者たちは何も分かっていないと否定的攻撃。美濃部達吉への攻撃:日本に内在的な自分たち「名も無き民」による、日本に外在的な特権階級的集団に対する闘いという位置付け。

 松本健一『「世界史のゲーム」を日本が超える』(文藝春秋、1990年)は、高度経済成長を遂げ国際化がキーワードとなる中、世界史の課題を担える新しい日本人をつくらねばならない、こういった議論は、実は「近代の超克」論と同じロジックをとっているのではないかと問題提起している。

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