覚書(南方戦場体験の戦後精神史)
なぐり書きメモ。第二次世界大戦で南方から生還した人々は、その戦場体験があまりに過酷であったからこそ積極的には語りたがらない。語らなければ世間から注目されることはなく、彼らの抱えたうめきを置き去りにしていく形で戦後日本は経済繁栄を謳歌し、あるいは能天気な平和論がはびこった。朝、時間が合うとき「ゲゲゲの女房」を見ることがあるが、こうした人物の例として水木しげるがまっさきに思い浮かぶ。あのとぼけたような、達観したようなのっぺりとした表情。しかし、戦地で川を船で渡っていたとき、ちょっと身をかがめて起き上がったら戦友がワニに食べられて死んだ。紙一重の偶然で自分はいまここに生きているという感覚。それから、ダイエーの中内功。人肉食の噂も絶えないが、それはさておき、飢餓で戦友がバタバタ倒れ、自分も意識を失いそうになったとき、頭の中でグルグル回ったスキヤキの光景。生き残って開き直ったかのようなハングリー精神、自分たちをこんな不条理へと叩き込んだ国家に対する怨念、それらが絡まり合ったエネルギーが流通革命という形で戦後の高度経済成長を動かす要因の中に入り込んでいた。あるいは、大岡昇平。自分は捕虜になった身だからというのを文化勲章辞退の理由にしていたが、戦友がみんな死んでいった中、自分だけが生き残ったという負い目の意識。さらに、今すぐ論ずることはできないが山本七平にも色々とある。他にも南方での戦地体験で心に負った傷が戦後の人生に大きな影響を及ぼしている人々はいるはずだ。南方の過酷な戦場体験によるトラウマが戦後史の背景にひっそりと、しかし悲痛さを内に込めて伏流している。こういった怨念は、我々の気付かないところで、しかしよく目を凝らしてみれば明らかなところで戦後史に影響を与えている。そうしたあたりを精神史としてすくいとっていく作業に関心がある。そういった本はないものか。書いている人はいないものか。
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コメント
切実なテーマですね。
私自身は、東アジアからの「復員」の在りか。
大藪春彦の「野獣死すべし」
田中小実昌の諸作品、など想うのですが…。
「南方」というと、インドネシアで日本軍に抑留された、リリー・クラウスの評伝「リリー、モーツァルトを弾いて下さい」(多胡吉郎;著 河出書房新社)。
枢軸国についたハンガリー出身、ゴダーイやバルトークに師事し、モーツァルト弾きとして日本でも知られたリリー・クラウスのピアノ。
彼女の音が問うて来る様々なボーダー/政治と文化(音楽)、民族、階級…。
以前、評されていた佐藤卓巳;著「言論統制」(中公新書)と重ねながら、
リリー・クラウスのモーツァルトが響かせてしまった日本の「戦後」を聞けないものかと想います。
投稿: 山猫 | 2010年6月14日 (月) 23時30分
山猫様
いつもコメントやご教示ありがとうございます。色々な作品、色々な視点で「戦後」を考えるポイントがたくさんありそうで、圧倒されてしまいます。
投稿: トゥルバドゥール | 2010年6月16日 (水) 01時45分