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2010年6月26日 (土)

繁沢敦子『原爆と検閲──アメリカ人記者たちが見た広島・長崎』

繁沢敦子『原爆と検閲──アメリカ人記者たちが見た広島・長崎』中公新書、2010年

 日本の敗戦直後、まだ一ヶ月も経たないうちに相当数の連合国側ジャーナリストが被爆地へ訪れ、その惨状を目の当たりにしたが、彼らの書いた記事原稿はほとんど本国の媒体に載ることはなかった。何を見て、何が伝わらなかったのか、彼らの動きを検証し、アメリカ側の「検閲」の問題を考えていく。

 GHQが組織的な検閲をしていたことは周知の通りだろう。アメリカは戦争中から厭戦気分が生まれるのを警戒して人的災禍の悲惨さについての報道は抑制されていたし、核情報独占の思惑もあって、そうした意味で戦後の検閲は戦中から継続したものだったとも言える。

 しかし、検閲による情報不足から原爆への無知・無関心が生じたのか? 検閲やプロパガンダがなく被爆の実相が正確に伝えられたとしても、アメリカ本国世論は果たしてそれを受け入れたのか? 一つには、日本軍の残虐行為と相殺することで無差別爆撃や原爆投下を正当化するロジックが生まれ、これらの合法性・道徳性を問う議論が押さえ込まれてきたという問題がある。それ以上に、現地を目撃したアメリカ人ジャーナリストも、ジャーナリストである以前にアメリカ人であり、アメリカ人としての愛国心やプライドによって、目の当たりにした惨禍を正当化しようとする契機が現われたのではないか。外的圧力としての検閲よりも、内面的な自己検閲という問題が自ずと浮かび上がってくる。

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