汪精衛(兆銘)について
汪精衛(兆銘)は、「革命いまだ成らず」で有名な孫文の遺言を書き留めるなど国民党の嫡流革命家というイメージがある一方、日中戦争が泥沼化する中で対日協力を行った「漢奸」というイメージもあり、この両極端な二つのイメージを整合的に理解するのが極めて難しい。「漢奸」イメージによってまとわりつく政治的な敏感さのため研究者からは敬遠され、研究上の空白も大きい。日本人からすれば、「親日」イメージを過度に作り上げてしまうことで歴史認識上のタブーに触れかねない、そうした腫れ物に触るような居心地の悪さも感じてしまう。日中関係を考える上で避けられない人物だと分かっていて興味がありつつも、敢えて触れるには色々とハードルは高い。
汪兆銘について作家による評伝としては、杉森久英『人われを漢奸と呼ぶ──汪兆銘伝』(文藝春秋、1998年)と上坂冬子『我は苦難の道を行く──汪兆銘の真実』(上下、講談社、1999年)がある。杉森書は著者晩年の遺作。戦前の文献など依拠しているソースが古く、事実関係の誤認等は編集段階で手が入れられているようだ。
上坂書は遺族へのインタビューを中心に汪兆銘、陳璧君夫妻の生涯を描き、遺族のその後についてもたどられている。タイトルは、汪兆銘が日本との和平工作に乗り出した際に蒋介石へ送った書簡の末尾をしめくくる「君為其易、我任其難」という一文に由来する。蒋介石を抗日の旗頭とする一方で、もし日本が勝利しても中国の生き残りを図る、つまり保険をかけたオルターナティヴとして汪兆銘自身は対日和平に踏み込んだという捉え方は史料的な裏付けが難しいが、本書は基本的にこうしたトーンをにじませている。南京国民政府設置にあたり、あくまでも「遷都」であって新政府樹立ではないという建前を取り、主席には重慶政権の林森の名前を掲げて汪兆銘自身は代理主席とするなど、一つの中国、一つの国民党という前提がうかがえる。いずれにせよ、中国側の強硬な抗日世論と日本側の自分勝手なゴリ押しとの板ばさみの中で「漢奸」とレッテル貼りされ、歴史のエアポケットに落ち込んでしまった彼を再評価しようというスタンスに両書とも立っている。
杉森、上坂両書ともノンフィクション評伝として個々の描写が詳しく読みやすい一方で、情緒に流れやすいきらいもある。汪兆銘政権を客観的に概観するには小林英夫『日中戦争と汪兆銘』(吉川弘文館、2003年)が便利である。本書はこれまでの研究動向をレビューした上で、例えば清郷工作、法幣問題、民衆動員組織(東亜連盟が入り込んできたが、その理念的主張と実際の日本軍の振る舞いとのギャップから支持は得られず)、外交政策(日本の対米英開戦→租界回収、治外法権撤廃等を見返りに期待して参戦を打診。なお、こうした汪兆銘政権の動きに反応する形で重慶政権側も英米と交渉、香港問題を除き不平等条約改正へとつながる)、教育・文化をはじめ庶民生活など汪兆銘政権をめぐる様々な論点を簡潔に網羅している。
劉傑「汪兆銘政権論」(『岩波講座 アジア・太平洋戦争7 支配と暴力』岩波書店、2006年)は、日本側の意図と汪兆銘政権側における対日協力の論理とのズレを浮き彫りにする。蒋介石の重慶政権や共産党は抗日→中国の独立という考え方であったのに対し、抗日戦争の先行きに悲観的であった汪兆銘たち和平派は「アジア解放」というロジックの中で中国の独立の可能性を探った。しかし、日本軍占領地において独立政権を果たしてつくれるのかというジレンマからは逃れられず、①正当性・正統性、②日本軍がつくった各地方政権(北京の臨時政府、南京の維新政府)との関係調整、③日本側の干渉に対する交渉、いずれもうまくいかないまま無力であり、結局、傀儡政権に成り下がってしまった(なお、周仏海は満洲の返還がなければ日中問題の解決はあり得ないと考えていたという)。日本側は重慶政権の切り崩しによる親日的かつ強力な中央政府を期待して汪兆銘を引っ張り出したが、思ったほどに波及効果もなく失望、戦争解決のためにはやはり重慶政権側との直接交渉が必要という認識を持ち、そのため自分たちで引っ張り出しておきながら汪兆銘政権の承認を遅らせるなど単なる一手段とみなして軽視していた。
劉傑「汪兆銘と「南京国民政府」──協力と抵抗の間」(劉傑・三谷博・楊大慶編『国境を越える歴史認識──日中対話の試み』東京大学出版会、2006年)は、日中間における歴史認識のズレというテーマの中で汪兆銘を位置付ける。汪兆銘をめぐってはやはり「漢奸」「傀儡政権」の評価という争点に帰着してしまうが、彼の前半生における「孫文後継の情熱的革命家」イメージと後半生における「漢奸」イメージとが結び付きづらいという難しさがある。日本側では「愛国かつ親日」、「アジアの協調」という観点からの再評価が見られる。中国側では大陸・台湾ともに「漢奸」イメージでは一致。ただし、以前ほどのタブーはなくなってきて、台湾では彼が重慶政権を抜けた1938年を、大陸では彼が反共に転じた1927年を分岐点として後半は否定、前半は一定の評価という研究動向が表われている様子である。「協力と衝突」アプローチによる研究も現われ、大陸での最近の研究は台湾での研究成果に触発されているものも多いらしい。しかし、研究そのもののタブーはなくなりつつあっても、日中戦争への根深い問題意識が背景に伏在しているため「漢奸」「傀儡」という基本的評価は今後も変わらないだろうと指摘、汪兆銘をめぐる日中の温度差は、戦時期ばかりでなく現代にも続いているのではないかと問いかける。
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