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2010年6月12日 (土)

山室信一『キメラ──満洲国の肖像』、ルイーズ・ヤング『総動員帝国』、姜尚中・玄武岩『大日本・満州帝国の遺産』

 「満洲国」論のスタンダードはやはり山室信一『キメラ──満洲国の肖像』(増補版、中公新書、2004年)だろう。制度形成過程及びそこに作用した日本側の意図が描き出され、現地の人々との思惑のズレが浮き彫りにされる。現地の支持者でも、例えば于沖漢の保境安民主義は日本側の「満洲」独立構想と親和性があったが、それはもちろん日本の植民地化を受け入れるものではない。日本軍による安全保障を是認した不養兵主義には、これまでの軍閥割拠の戦乱状態を踏まえて軍事費負担軽減の意図があり、ある意味で戦後日本がアメリカに安全保障を委ねたのと同じロジックになっているのが興味深い(なお、保境安民主義などについては澁谷由里『「漢奸」と英雄の満洲』[講談社選書メチエ、2008年]を参照のこと)。当初、満蒙領有論に立っていた石原莞爾たちは軍中央の説得もあって独立構想に転換、しかし間もなく日本本国から行政・経済のテクノクラートが流入、産業開発に乗り出すものの、「五族共和」「王道楽土」の建前とは裏腹に日本による植民地化が実質的に進む。「満洲国」は日本のエリート候補の人事研修室、政策実験場(日本本国のように議会のチェックを受けないで済む)となり、ここで実施された政策が日本本国に還流する関係が成立した。「王道楽土」などの夢想的ユートピアを目指したスローガンが多くの日本人の心をとらえた一方、それがどんなに美しい価値表明ではあっても現実の支配関係への自己欺瞞的正当化となってしまった矛盾、これをどのように捉えたらいいのかという問題は難しい。

 ルイーズ・ヤング(加藤陽子・川島真・高光佳絵・千葉功・古市大輔訳)『総動員帝国──満洲と戦時帝国主義の文化』(岩波書店、2001年)も日本が「満洲国」を作り上げていくプロセスそのものが日本側に与えた影響に注目する。サブタイトルにある「文化」というのは、様々な位相で国民が政治動員される際のロジックを指す。軍事的勝利のユーフォリアと経済危機への不安はマスメディアを通して大衆社会における対外意識の一体感を生み出した。社会的に対立関係にある様々な要因が「満洲」という契機によって奇妙な同盟関係を見せる。例えば、日本本国に居場所のなくて「満洲国」へ渡った左派系知識人は、主観的には日本の帝国主義政策を内部から掣肘しよう意図しつつも、彼らの提供した専門知識は帝国において制度化された暴力の中に取り込まれた。農村問題の危機意識から貧農を意図した農本主義は、牧歌的な反近代ヴィジョンを抱きつつ、満洲開拓移民と連動する中で帝国主義ヴィジョンと融合した。本書は軍事、経済開発、開拓移民、イデオロギー、政治機構、都市計画、観光等々、様々に多角的な諸相を検討しながら、社会的リソースが「総力戦」的システムへと巻き込まれ再編されていくプロセスを描き出す。近代特有のシステムとも言うべき国民国家は、国民動員によって社会領域へ深く浸透している。それぞれに複雑な対立や矛盾をはらみながら網の目のように張り巡らされたシステムが「満洲」というファクターを触媒としてあらゆる側面で相互反応を引き起こしていくダイナミズムが浮き彫りにされる。

 姜尚中・玄武岩『興亡の世界史18 大日本・満州帝国の遺産』(講談社、2010年)は新刊。「満洲国」がいわば「政策実験場」となり、そこでの経験が戦後日本経済の発展に寄与した、そのシンボルとして岸信介を取り上げるのはいまや定番的議論の観さえあるが、同様のことが韓国における朴正熙にも言えるという論点が本書の特色である。「満洲国」論そのものとしては特に目新しい知見はないが、朝鮮半島に視軸を置いているところが興味深い。植民地支配下にあった朝鮮半島でもやはり「満洲」ブームが起こった。日本からのしめつけも厳しくなる中、例えば社会主義系朝鮮知識人たちが公的イデオロギーの内在的読み替えによって自分たちの民族性を戦略的に保持しようと「東亜共同体」論に応答するなどの雰囲気の中、朴正熙は満洲国軍官学校に進む。朴正熙と岸信介、満洲人脈というばかりでなく(「満洲国」時代に二人の身分には開きがあって直接の面識はなかった)、岸は東条内閣の閣僚、朴は親日派、「満洲国の鬼胎」という暗い過去を引きずり、反米意識を抱きつつも現実的判断として対米依存を選択するなどの屈折で二人に共通点があるのも興味深い。

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コメント

最近入手した貴志俊彦『満洲国のビジュアル・メディア-ポスター・絵はがき・切手』(吉川弘文館、2010年6月)も出色の出来だと思いますよ(*゚▽゚)ノ

投稿: nakanishi | 2010年6月13日 (日) 13時16分

nakanishi様

そんな本が出たのですか、興味あります。情報をありがとうございました。
ビジュアルつながりで、以前、桑原甲子雄の満洲の写真集を古書店で見つけ、高かったので逡巡しているうちに誰かに買われてしまったという苦い思い出が…。

投稿: トゥルバドゥール | 2010年6月13日 (日) 18時50分

ご紹介しました貴志俊彦さんの『満洲国のビジュアル・メディア』は、以前刊行された内藤陽介さんの『満州切手』とあわせての購読をお勧めします。
いずれも、満洲国史への新しいアプローチで、きわめてユニークです。なにより両書とも掲載されている画像だけながめても、おもしろいですよhappy01

投稿: nakanishi | 2010年6月13日 (日) 19時38分

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