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2010年6月 7日 (月)

戸部良一『ピース・フィーラー──支那事変和平工作の群像』、劉傑『日中戦争下の外交』

 戸部良一『ピース・フィーラー──支那事変和平工作の群像』(論創社、1991年)。1937年の盧溝橋事件以降、戦火が拡大しつつある一方で和平工作も進められており、その大半が非公式・秘密裏の交渉であった。本書は主に日本側の政策決定過程との関連を踏まえながら、こうしたピース・フィーラーたちの動きを検証する。ドイツを仲介役としたトラウトマン工作失敗後、有名な近衛声明「国民政府ヲ相手トセス」→人気頼みで権力基盤が弱い近衛は戦勝気分に乗っかって世論対策→蒋介石政権を否認しても具体的方針は一定せず。重慶の国民政府を和平へと転換させる、具体的には蒋介石の下野を求めて汪兆銘工作に乗り出す(近衛声明と矛盾しないように苦慮→軍部や世論など国内要因による制約)→汪兆銘を中心とした和平派の圧力で蒋介石下野を期待→うまくいかず、成り行きの中で汪兆銘首班の政権樹立へと方針変化→ますます重慶政権側との和平は困難になってしまった。また、宇垣工作(宇垣は近衛声明の修正・撤回を意図したが、軍部の反対にあって外相辞任)をはじめ複数の和平工作が同時進行→混乱。

 劉傑『日中戦争下の外交』(吉川弘文館、1995年)。対象とするテーマは上掲書と同じ。従来、「和平工作」について日本側の研究では事変終結の手段として、中国側の研究では誘降工作として捉えられてきたが、これに対して本書は、戦後の日中関係や世界秩序構想との関わりから把握する視点を示す。当時の日本の対中政策について武力行使派と外交交渉派とに分類するが、欧米依存から脱却し日本を東亜安定勢力として国民政府に認めさせるという方針では一致していたと捉える。ところが、トラウトマン工作や九カ国会議をめぐる応酬の中で、交渉相手として国民政府中心論、新政権中心論(蒋介石政権否認、親日新政権樹立)という対立図式に変化した。後者の流れの中で、親日政権づくりのため第一級の大物+三流の働き手の引き出し工作→北洋軍閥期の大物・呉佩孚擁立工作の失敗→汪兆銘の重慶脱出でこうした構想が再浮上。戸部書では汪兆銘工作は当初は和平工作だったのに途中で新政権樹立構想に変化したと指摘されていたが、本書では最初から新政権樹立構想で一貫していたと考える。ただし、汪兆銘に実力がなく思惑外れ→実力を備えた重慶政権との交渉が必要という認識、むしろこちらの方が「和平工作」と言える。

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