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2010年6月 3日 (木)

ジョシュア・A・フォーゲル『Articulating the Sinosphere:時空間における日中関係』

Joshua A. Fogel, Articulating the Sinospere: Sino-Japanese Relations in Space and Time, Harvard University Press, 2009

 タイトルのArticulating the Sinosphereをこなれた日本語に移しかえづらいのだが、中華圏(Sinosphere)を時期的に区切って明確化する、といった意味合いになるだろうか。文明圏の核として中国があり、日本、朝鮮半島、ヴェトナムその他の地域がその周りで軌道を描くモデルとして中華圏という捉え方を示す。図式的にはいわゆる朝貢システムと似ているが、ただし、そのように制度化された枠組みではなく、様々な要因が絡まりあって複雑な関係を具体的に取り上げていくための思考道具的な枠組みとしてモデルそのものは抽象化、この中で日中関係を古代から日清戦争直前(つまり、両国関係が険悪化する前)まで幅広いタイムスパンの中で俯瞰しようとしている。人的交流に関わるトピックが多い。

 第1章「日中関係:長期的概観」は日中間交流を古代から江戸時代まで大きく概観、とりわけ人的交流に焦点が合わされている。取り上げられているトピックは過不足なく簡潔。第2章「千歳丸の船旅と日中外交関係正常化への道程:ミクロ・ヒストリカルな視点」は1862年、江戸幕府が清と公的な接触を持とうとして上海に派遣したイギリス製軍艦・千歳丸をめぐるエピソードを細かく検証。上海での交渉で仲介したオランダ人商人のプロフィールなども調査している。その後、日本と中国は国際法的な関係として対等になり「中華圏」は終わるが、日中双方の記憶には残ったと指摘される。第3章「上海の日本人コミュニティ:第1世代、1862~1895年」は明治維新前から上海に来ていた日本人の動向、例えばからゆきさん、商売人、仏教徒、ジャーナリズムなどやはり具体的な人的つながりを取り上げている。近代に入ってからは中国人留学生が西洋の知識を吸収するため来日したが、この当時は上海が日本人にとって西洋への窓口であり、かつ西洋による抑圧をも目撃し、両方の意味で国民国家建設への駆動力となっていく。

 漂流民の果たした役割が興味深い。越前出身の竹内藤右衛門は満洲人に保護され、明朝滅亡、北京占領の際にも同行して、この動乱をじかに目撃した後に帰国したらしい。幕末期、尾張出身の音吉と仲間たちはアメリカに漂着、その後、貿易や伝道のため中国へ行く。音吉はペリーの日本遠征の際に通訳を頼まれたが断ったという。

 岸田吟香は横浜でヘボン(Hepburn)に眼病の治療をしてもらい、その縁でヘボンの日本語辞典編纂に協力。ところで、印刷しようにも維新前の時代であり、機械がない。そこで彼らは上海に行った。上海のキリスト教伝道所では開国したばかりの日本への布教を意図してかな文字の印刷機がすでにあったからだ。この設備を準備したのは、実は音吉と一緒に漂流した弟の久吉だったという。吟香はヘボンに処方を教えてもらった眼病薬を上海で売り込み、これが日中間で最初に行われた直接の民間交易だったとされる。吟香は眼病薬販売のため楽善堂という会社を設立、当時、陸軍の諜報員として中国に来ていた荒尾精はこの店員という身分をカモフラージュとした。荒尾は後に召還命令が来ても除隊して中国に留まり、日清貿易研究所を設立、これが後に東亜同文書院となる。なお、漂流民つながりで言うと、吟香はジョゼフ・ヒコと知り合って横浜で『海外新聞』を出したりもしている。

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