シャオビン・タン『グローバル・スペースとナショナリストの「近代」言説:梁啓超の歴史的思考』
Xiaobing Tang, Global Space and the Nationalist Discourse of Modernity: The Historical Thinking of Liang Qichao, Stanford University Press, 1996
19~20世紀、帝国主義列強によって蚕食されつつあった近代中国が追い求めた対外的に独立、国内的に社会革命、すなわち国民国家建設と近代化という課題。本書は、これに取り組んだ梁啓超のとりわけ歴史的思考のあり方に着目して、彼の思想上の変遷に対する理解を試みる。
梁啓超の初期の歴史論をみると、空間的・時間的に政治的統一体としての「中国」を定位しようという志向、国民国家形成を意図した歴史叙述がうかがえる。人物論では社会革命のあり方を模索。民族運動革命家としてハンガリーのコッシュート。イタリア統一革命は、マッツィーニの情熱を媒介としながら、カヴールの政治力によって成功したと把握。フランス革命ではジャコバン派によって処刑されたジロンド派の指導者ローラン夫人を取り上げて、革命を動かしたラディカリズムの負の側面に着目。
梁啓超は民主主義への高い期待を抱いて理念としては主張したが、それが中国の現実に可能かどうかに頭を悩ませた。外遊時に北米と南米を比較→北米に移住したピューリタンのように民主主義的な理念を予め持っていた場合には独立革命を通して民主政体の形成は可能であったのに対し、南米のようにそうした理念が国民全体に浸透してない場合には革命は混乱をもたらすだけと認識。一人ひとりに自由意志的なものが実質的に完備・保障されていない限り、民主政体は混乱と専制をもたらす→近代的市民確立のため「新民説」と同時に、中国について悲観的な現状認識から「開明専制論」をしぶしぶながら主張せざるを得なかった。
こうした態度は革命的情熱に燃える若手の目には裏切りとしか映らない。梁啓超は、感情論で現状の欠陥から目を背けるのではなく、歴史的展開の中で目的達成を考えるというリアリズムの立場から感情論に突っ走りかねない彼らと論戦。梁啓超の「新民報」と革命派の「明報」との相違(彼は政治小説『新中国未来記』の登場人物によって立憲派と革命派の議論を再現させているが、中江兆民『三酔人経綸問答』を思わせる)→後者に見られるラディカルなユートピア主義という遺産はその後も国民動員における政治イデオロギーとして影響し続けたと指摘される。梁啓超は立憲君主論者であったが、辛亥革命が起こると、この現状を所与の前提として混乱回避と国家建設のため積極的に政権参加。
梁啓超は「新民説」を唱えた当初、国民国家建設と近代化のため中国の伝統的価値に対しては否定的見解を取っていた。しかし、第一次世界大戦直後のヨーロッパ歴訪→近代の物質文明の行き詰まりと認識→中国の伝統的価値への再評価の契機。このとき梁啓超は、地球という同じ空間の中で異質なものが相互補完的に展開する、いわば弁証法的なダイナミズムとして歴史を把握、こうした人類史的視野の中で近代文明と中国との関係を位置付ける。従って、中国の伝統的価値の見直しは単なるナショナリズム回帰ではなく、それを西欧近代文明と相互補完的に関係付けることで広く世界文明に寄与すべきという普遍主義の主張であったと解釈(私は明治日本における陸羯南や三宅雪嶺など政教社ナショナリズムを想起した)。本書ではこの時点での梁啓超の普遍主義的歴史観について、近代言説にまとわりつく発展段階説的な時間意識とは異なる視点を出しているとしてポストモダン思想と比較しながら評価されている。
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