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2010年5月25日 (火)

永井荷風『雨瀟瀟』ほか

 ここのところ何となく気が向いて永井荷風を読んでいる。『雨瀟瀟』を読んだ。漢詩やフランス詩も引用されたペダンチックな文人趣味。しかし、一人住まい、悠々自適の素振りを見せつつも、この小難しそうな筆致にひそむ孤影悄然たる哀感というか、枯淡の心境が、雨音響く情景の中でいっそう際立たされてくる。

 荷風の作品には、滅びゆく古き情緒への哀惜の念、社会が開けゆくに従って人情がドライになっていく世知辛さへの違和感が浮き彫りにされていることが多い。例えば、『雨瀟瀟』でメインとなる知人の成功した実業家から聞いた話。彼は、世話してやった書生たちが小利口に立ち回って立身出世するのを内心不愉快に感じていた。打算のないものとして芸者を身請けして芸をみっちり仕込もうとするが、この思惑も同様に外れてしまう。

 個人本位を一切の価値基準とするのが近代なる時代の成り行きだとするなら、それについて『濹東綺譚』に友人の神代箒葉の話としてこんなことが記されていた。

「然し今の世の中のことは、これまでの道徳や何かで律するわけには行かない。何もかも精力発展の一現象だと思えば、暗殺も姦淫も、何があろうとさほど眉を顰めるにも及ばないでしょう。精力の発展と云ったのは慾望を追求する熱情と云う意味なんです。スポーツの流行、ダンスの流行、旅行登山の流行、競馬其他博奕の流行、みんな慾望の発展する現象だ。この現象には現代固有の特徴があります。それは個人めいめいに、他人よりも自分の方が優れているという事を人にも思わせ、また自分でもそう信じたいと思っている──その心持です。優越を感じたいと思っている慾望です。明治時代に成長したわたくしにはこの心持がない。あったところで非常にすくないのです。これが大正時代に成長した現代人と、われわれとの違うところですよ。」(『濹東綺譚』新潮文庫、102~103ページ)

 荷風の作品に漂っている気風は、単に古き時代へのノスタルジー、功利的・打算的処世知に対する道徳的批判、というに限られるわけではない。曰く云いがたく、単純な言説にまとめようとすると、余韻としてほのめかされる含蓄がこぼれおちてしまう。近代化と言えば聞こえはいいが、物事がますます平板になりつつある中で、良い悪い白黒明確に割り切ることのできない何かへの哀惜。古さというのは時間の堆積であり、これまで悲喜こもごも様々に人々がおりなしてきた矛盾が、その矛盾のあるがままに渾然一体となって融け込んでいる。そうした中からほの輝くように情に訴えてくる何か、それを受け止める眼差しが失われつつあることへの一抹の寂しさ。

 荷風が好んで立ち寄った遊郭、それは決して健全な空間ではないが、道徳と悪徳のパラドックスからこそ見えてくる哀歓に荷風は一つの真実を感じ取っていた。たまたま読んだ『新橋夜話』にあったこんな表現が印象に残っている。表面潔癖、内面偽善の妻に嫌気がさして離縁して遊郭に出入りした男の述懐。

「…つまり彼は真白だと称する壁の上に汚い様々な汚点を見るよりも、投捨てられた襤褸の片に美しい縫取りの残りを発見して喜ぶのだ。正義の宮殿にも往々にして鳥や鼠の糞が落ちていると同じく、悪徳の谷底には美しい人情の花と香しい涙の果実がかえって沢山に摘み集められる…。」(『すみだ川・新橋夜話』岩波文庫、283ページ)

 岩波文庫版『花火・雨瀟瀟』の解説を書いている奥野信太郎が、かつて北京八道湾胡同の苦茶齋を訪れたとき、周作人がこの『雨瀟瀟』を激賞していたと回想している。周作人はもとより日本語に堪能ではあったが、たびたび引用される漢詩によってこの作品に漂う情趣がいっそう理解せられたのであろうという趣旨のことを奥野は記している。荷風と周作人の共通性については劉岸偉『東洋人の悲哀──周作人と日本』(河出書房新社、1991年)で指摘されており、興味深く読んだ覚えがある。世の騒がしさを尻目に枯淡の境地を味わう文人趣味という点で私もこの二人にどこか似た雰囲気を感じ、いたく興をそそられているところである。

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