2010年5月5日 北京
【五日目:5月5日(水)】
・6:30起床、7:00頃からホテル内食堂で食事を摂り、コーヒーを飲みながら最終日のプランを練る。7:40頃に出発。
・北京駅の北側を歩き、朝陽門南小街から北総府胡同に入る。李鴻章の邸宅がこの並びにあったことは事前に調べてあったのだが、それらしい標識などは見当たらず。大規模造成している場所があったので、ひょっとしたらそこだったのだろうか。
・写真は蔡元培故居。
・東単北大街を南下して東交民巷まで歩く。かつて欧米・日本など列強の公使館が並んでいた区域である(写真)。東交民巷天主堂(写真)。旧フランス公使館(写真、写真)。官庁が入っているので警備がものものしい。旧フランス郵便局(写真、写真)。レストランが入っている様子。旧日本公使館(写真、写真)。旧横浜正金銀行(写真、写真、写真)など。横浜正金銀行脇の通りは明治街といったらしい。現在は閑静な官庁街という感じで、天安門広場に近い側は北京到着初日の夕方に歩いたが、検察・警察関係の役所が構えられている。むかしチャールトン・ヘストンや伊丹十三(柴五郎役)が出演していた「北京の55日」なるオリエンタリズム的偏見丸出しのトンデモ映画があったが、あれはここを舞台に攻防戦を繰り広げたという設定である。義和団事件をきっかけに結ばれた北京議定書(1901年)によって列強各国は北京駐兵権を獲得、それが1937年における盧溝橋事件へとつながっていく。盧溝橋事件当時に奥野信太郎は北京で暮らしていた。最近、奥野の『随筆北京』(平凡社・東洋文庫、1990年)を読んだら、混乱の中で北京在住日本人に東交民巷への退避命令が出され、日本公使館や横浜正金銀行での避難生活の光景がつづられていた。
・故宮と王府井との間で南北に走る南河沿大街を歩く。脇の胡同に入って陳独秀故居、康有為故居(戊戌の変法当時)があったはずの場所を歩いたが、それらしい標識等はなく分からなかった。事前に調べた地図とは道路も微妙に変わっている。例えば、康有為故居のあった胡同は王府井の繁華街のすぐ裏手であり、再開発で大型商業施設でも建てるのだろうか、あたり一帯は完全に更地となっていた。
・康有為故居があったであろう所から少し北へ行った所に老舎記念館がある。大きめの通りから脇に入る細い胡同で、案内看板がなければ分からず通り過ぎてしまうところだった(写真、写真、写真)。本当にさり気ないたたずまいである。彼が住んでいた家が記念館として一般開放されている。門があいているので覗いてみたら、管理人室でおじさんたちが談笑していた。「こんにちは。入ってもいいですか?」とおそるおそる尋ねたら、「いいとも! 免費だよ!」と笑顔で大きくうなずいて入場券をくれた。片言の中国語だったから外国人だとすぐ分かったのだろう、一言ずつ簡潔な返答。大きな笑顔は「遠いところからわざわざようこそ」という暖かい歓迎のように思えた。中に入ると、小ぶりの四合院(写真)。中庭には老舎が植えたという柿の木があり(写真)、これにちなんで夫人の胡絜青は居宅を丹柿院子と名付けたらしい。老舎の銅像(写真)。入って正面には応接室があり(事前予習のつもりで目を通した『有吉佐和子の中国レポート』に故老舎宅を訪ねて胡絜青夫人から話を聞く場面があり、応接間で二人がソファに並んで座っている写真が掲載されていたが、この部屋だろう)、右側の部屋は画家である胡絜青のアトリエ、左側の部屋が老舎の書斎となっていた。生前の雰囲気が残されている。老舎の机にあった卓上日めくりカレンダーは、彼が亡くなった翌日の8月24日となっていた。他の部屋では老舎の生涯や文学について紹介する展示。世界各国語訳された本も展示されており、私が読んだことのあった立間祥介訳『駱駝祥子』や稲葉昭二訳『猫城記』、それから古い訳本だが奥野信太郎訳『ちゃお つうゆえ』も目についた。
・王府井の繁華街に出た(写真)。並びには王府井教会もある(写真、写真)。起源を遡れば康熙年間からこの地にあったらしい。ウェディングドレスを着た新婚夫婦が記念撮影をしていた。平日の午前中なので人手はそんなに多くはないが、明らかに観光客の風体の人々、とりわけ白人系が目立つ。歩行者天国となっており、東京の銀座にそっくりな雰囲気の通りである。
・王府井駅で地下鉄1号線に乗り込み、建国門駅で2号線に乗り換え、北京駅で下車。ホテルは出てすぐ。荷物の整理をして、11:15頃にチェックアウト。フロントの人から「タクシーを呼びましょうか? 渋滞しているので時間がかかりますが、どうしますか?」と尋ねられたが、地下鉄で飛行場まで行くと答えた。北京駅から地下鉄2号線東直門駅まで10分くらい。機場快軌に乗り換え(25元)。飛行場の3つのターミナルがループ状に結ばれ、本数は20分間隔くらい。日本往き飛行機の大半が発着する第3ターミナルまでは15分くらいか。12時過ぎに北京首都国際空港第3ターミナルに到着。16:30離陸の飛行機で日本へ帰国。
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