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2010年5月12日 (水)

2010年5月2日 北京

【二日目:5月2日(日)】
・北京近郊で交通の便があまりよくない場所をタクシーで移動する予定。予めネット上で評判の良さそうな日本人観光客向け現地代理店を調べ、タクシーをチャーターしてあった。約束の8時にホテルの玄関ロビーでちゃんと待っていてくれた。日本語を勉強中という運転手さん。車中で私が日本語を教え、運転手さんが中国語を教えてくれた。
・まず、盧溝橋へ。北京中心部から西南方向へ車で30分ほど。明代の延平県城の城門をくぐり、ちょっとした商店街を通過。奇石の売店が目立つ。中国人民抗日戦争記念館の前で停めてくれたが、開館時間は9:00でまだ30分ほど時間がある。
・永定河にかかる盧溝橋を見に行った(写真写真)。橋の両端は柵で囲われていて、入るのに20元取られる。もとは金の時代に造営されたらしい。元の時代にマルコ・ポーロが『世界の記述』(東方見聞録)に記したことからヨーロッパ諸語ではマルコ・ポーロ・ブリッジと呼ばれていることは周知の通り。たびたび修築が繰り返されてきたが、一部に昔ながらの石畳も保存されている(写真)。欄干には獅子の像が並ぶ(写真)。乾隆帝がここで見た月の美しさに感動、「盧溝暁月」の石碑(写真)の筆跡は乾隆帝のものだという。
・盧溝橋事件が起こったのはこの辺りである。中国人民抗日戦争記念館を観に行く(写真)。自動券売機があるが、その前で軍服を着た少女がチケットを配っていた。無料のようだ。抗日戦争に関する解説展示。日本軍の残虐さを強調するような蝋人形でもあるかと期待していたが、それは南京の方か。虐殺現場の写真の展示室で、中高生くらいの少年グループがわらわらと入ってきて、なぜか日本軍発行の軍票の前で交互に記念撮影をして移動して行った。他の展示には目もくれず。貨幣マニアなのか? 戦争そのものには興味なさそうだった。
・解説展示は共産党を中心として各勢力が一致協力して戦ったというストーリーが組み立てられている。共産党中心の愛国主義「神話」。抗日戦争の英雄たちの紹介はもちろん共産党が中心で、それ以外で大きく取り上げられているのは張自忠くらい。蒋介石はカイロ会談など資料写真に顔が出てくるから仕方なく出してやっているという感じで特別な言及はない。港澳台、海外華僑同胞の結節点としての中国共産党という位置づけ。このコンテクストの中で台湾抗日闘争50年という趣旨の展示室も設けられており、林献堂、蒋渭水、霧社事件の莫那魯道(モーナルダオ)、李友邦、謝雪紅などの名前が挙げられている。李友邦と謝雪紅以外は共産党とは全く関係ないと思うのだが。いずれにしても、台湾問題への執着がうかがわれる。地下の特別展示室では、戦時下に北京大学・清華大学・南開大学が疎開先で組織した西南連合大学に関する特集展示が行なわれていた。知識人も抗日戦争で一致団結したというストーリー。展示の最後は日中友好という締め括りで、周恩来と田中角栄、鄧小平と昭和天皇、江沢民と今上天皇との写真などがあった。総じて想定の範囲内で、特に意外性もなし。もっとガチガチの反日を期待していたので、肩透かし。
・次は香山の北京植物園へ。高速道路を通ったところ、休日なので渋滞に巻き込まれなかなか動かない。事前に立ててあった予定通りに行動できるか微妙な情勢になってきた。
・北京植物園内は家族連れやカップルなどでにぎわい、花見よろしくビニールシートを広げて昼食を摂っている姿もあちこちで見かけられた。植物園内にある梁啓超墓苑が目的地(写真写真)。梁啓超の墓は、息子で著名な建築家であった梁思成の設計による(写真、横から見た写真)。植物園内には他に曹雪芹記念館もある(写真)。『紅楼夢』の作者である。植物園は広くて出入口もいくつかあり、タクシーをどこに待たせたのか迷ってしまった。ますます時間のロス。
・次の目的地は頤和園。西太后がつくらせた巨大庭園であり、ここにつぎ込んだ莫大な金額は本来ならば軍備増強のための資金で、結果、軍隊の弱体化→日清戦争の敗北につながったとも言われる。北宮門でタクシーを停めてもらった。到着したのは午後1時過ぎ。中国人に外国人、とにかく観光客でごった返している。今日も気温は30度まで上昇する夏日で、アイスキャンディーの売り子が要所要所で待機、地元観光客は思い思いに買ってなめており、頤和園内のあちこちにビニール袋が散乱していた。のどが渇くのは確かで、私はミネラルウォーターを買う(3元)。写真は北宮門から入ったところ。万寿山を階段でよじ登るのだが、これが一苦労。上から昆明湖を見下ろす。時間もないし、人ごみで疲れてきたので、すぐにタクシーまで戻った。
・次の目的地は円明園。途中、清華大学の横を通った。着いたのは2時半頃。ここでタクシーの運転手さんとはお別れすることにした。この後も車で北京市内を移動するとなると、渋滞の中ではかえって時間的ロスが大きい。さいわい、つい最近この辺りにも地下鉄が開通したばかりなので、そちらを利用することにした。ここまでの費用は650元+駐車場代の実費、ちゃんとレシートも渡してくれた。運転手さんには昼飯も食わずに強行軍につき合わせてしまったので、食事代込みのチップを上乗せしてあげた。
・円明園は清代に造営された離宮、カスティリョーネなどが設計に携わった西洋風建築があったことで知られる。19世紀のアロー戦争で北京が英仏軍の攻撃を受けた際、この円明園は破壊され、略奪された。それ以来の廃墟が公園として保存されている。頤和園ほどではないがこちらも観光客は多い。ロマネスク調の巨大な列柱が折れたり倒れたりしているいかにも廃墟という風情そのものが面白い。何か建物がたっているよりも、もっとイマジネーションがかき立てられて、大きさと時間的悠久感覚を実際以上に感じさせるというか(写真写真写真写真写真写真写真)。なお、再建のための募金活動が行なわれていた。
・最近開通したばかりの地下鉄4号線に円明園駅で乗車。西直門駅で2号線に乗り換え、雍和宮駅で下車。雍和宮まで徒歩10分ほど。たどり着いたのは16時ちょっと前、ちょうど入場券販売終了間際で駆け込みセーフ。
雍和宮写真写真)はチベット仏教の寺院だが、建物は完全に中国風(写真写真写真写真)。見ていると、長い線香を振りながら行なう参拝方法も中国寺院でよく見かけるのと同じやり方で、知らなければここがチベット仏教の寺院だとは気づかないかもしれない。廟堂にかかる扁額の青地は、例えば故宮で見かけるのと同じ様式(写真)。漢字、チベット文字、満洲文字、モンゴル文字と4種類の文字が並ぶ(満洲文字とモンゴル文字の区別が私にはつかないのだが)。マニ車があった。実物を見たのは初めてだ。思いっきりグルグル回してきた。功徳たっぷりだ、わーい。
・清朝の皇帝は、まず満洲人の王であるのと同時に、漢人に対して皇帝としての地位を持ち、モンゴル人にとってのハンを兼ねる。そのように、各民族のトップとしての地位を持つことで、それぞれの文化的・宗教的伝統を、清朝の権威に逆らわないという限定内で容認するという方針で臨んでいた。同様の方針がチベットに対しても取られ、皇帝からはチベット仏教に対しても特別の配慮がなされていた。清朝支配下で準貴族的地位を与えられていたモンゴル人にチベット仏教の信奉者が多いことも考慮されていたのだろうか。同時代、ハプスブルク家が、ドイツ人出身の王であると同時にハンガリー王、ベーメン王などを兼ねることでゆるやかな帝国支配という形式を取ったり、またオスマン帝国にしても、ゆるやかな専制統治の範囲内での文化的多元性の保証という帝国支配のあり方の世界史的同時代性には興味深く感じている。
・雍和宮のチベット仏教には中国的色彩がかなり濃厚である一方で、展示されているチベット仏教美術の強烈な迫力にはおのずと目が奪われてしまう。憤怒の形相には本当におどろおどろしいエネルギーが発散されているようで圧倒されるし、それから歓喜天のエロティシズム。男女の交わりを仏像で表現するなんて、道学者的視野狭窄のリゴリズムでは考えられないことだろう。人間の持ち得る感情的高まりを素直に表現していく。様式はあるのだが、それがコンベンショナルには感じられない。近代的美意識というものが人間感情の正直な表出を肯定するところに特徴があるとするならば、こうしたチベット仏教美術のエネルギッシュな表現は、他の伝統芸術に比べるといっそう近代人の視覚に訴えるところがあると言えるだろうか。もちろん、当時の信徒たちとは受け止め方が違うにしても。戦時下の北京で近くの孔子廟に通っていた江文也が詩集『北京銘』の中で、雍和宮で見た歓喜天のエロティシズムに触れていたのをふと思い出した。
・いったん雍和宮駅まで戻って地下鉄5号線に乗車次の北新橋駅で下車。事前に調べて印をつけておいた北京市街地図を見ながら胡同にもぐりこむ。次の目的地は梁啓超故居写真写真)。細い通りを挟んだ反対側には梁啓超書斎とある(写真)。北京在住時だから、熊希齢内閣で司法部長、段祺瑞内閣で財政部長を務めていた頃の居宅か。
・歴史上の人物の故居を訪ねて場所的感覚を一つ一つ確認するのももちろん目的ではあるが、それ以上に、オリエンテーリング的な目標地点を設定して歩く機会を意図的につくることによって、普段なら決して来ないであろう街並をじっくり眺めたい、感じ取りたいという動機の方が実は大きい。
・北京の気候は乾燥しており、街はほこりっぽい。風が吹くと砂ぼこりが目に入ってくる。それから、宙に舞う柳絮を見たのも初めて。北京在住者には当たり前のことなのだろうが、以前、何の映画だったか、この柳絮が舞うのを叙情的なシーンで使われるのを見て美しく感じたことがあって、それを思い出して少々感慨深い。
・歩いていたら、若者向け風の店。看板にひらがなで「の」の字が入っている(写真)。こういう使い方は台湾ではよく見かけるが、大陸では珍しいのではないか。
・いったんホテルに戻ってシャワーを浴び、改めて湖広会館に出かけ、京劇を鑑賞。19:30開演で終わるのは20:30頃。280元。主に外国人観光客向けに京劇のさわりだけを紹介するという感じ。日本語解説イヤホンを借りたが、邪魔なのですぐに外した。舞台上に中文と英文の電光字幕があるので(写真)、こちらを見ていれば問題ない。全くの素人として見る場合、歌舞伎よりも京劇の方が動きがあって入り込みやすいかもしれない。

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