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2010年4月 9日 (金)

梁啓超『清代学術概論──中国のルネッサンス』

梁啓超(小野和子・訳注)『清代学術概論──中国のルネッサンス』(平凡社・東洋文庫、1974年)

 清代の主だった学者たちが展開した議論を通史的に概観。後半では梁啓超の師匠であった康有為、同時代人の譚嗣同、章炳麟、そして梁啓超自身も俎上にのせられる。とりわけページの大半を占めるのが考証学である。例えば、戴震を取り上げて、①仮説を立てる→証拠を集めて検証→帰納的に定理を導き出すという科学的方法論が見られること、②従来の儒学に見られたようなドグマに寄りかかって空虚な論理に走る「理性哲学」ではなく、真意は何だったのかを探求する「情感哲学」であった点でヨーロッパにおける文藝復興期の思潮と本質的に酷似していたと指摘する。師匠であった康有為については、孔子改制論は従来正統とされてきた経典を偽作だと断定→懐疑的批評の態度や比較研究の可能性をひらいたと評価。ただし、康有為自身が自らの断案に固執する傾向があったとして批判する。

 古人に仮託して自分の立論の正当化を図る中国伝来の思惟方法は、創造性を抑圧し、虚偽の混乱を招いてきたという問題意識が出発点にある。ただし、清代考証学には科学的思考の発想がすでに内在していたことを自覚化、それを受け継ぎながら今後の学問研究の発展を期するところに本書の眼目があった。

 過去の学者たちを単に批判するというのではない。色々な考え方があるわけで、そこに優劣をつけるのではなく、様々な議論を並列的に整理しながら、各学説のポイントを要約→問題点を指摘→自身の視点から根拠を挙げて批評するという手順を取る。かつて梁啓超自身が展開した議論のマイナス面も批判の例外とはしない(額面通りに受け止めるかどうかはともかく)。根拠に基づき手順に則った批判、比較の中での位置付け、こうした叙述方法を意図していること自体に、ドグマ的な抑圧から離れた言論・思想の多元的な自由、研究態度の自由が近代中国にとって肝要だという梁啓超自身の時代的問題意識がうかがわれる。

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