中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』
中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』(福武文庫、1986年)
現地採用の新聞記者となった主人公が目撃した、日本軍占領下、いわゆる淪陥時期における北京の光景。『北京飯店旧館にて』『北京の貝殻』が回想録的、私小説的な形を取るのに対し、『夜よ シンバルをうち鳴らせ』の方は著者自身の実体験をにじませつつ、謀略サスペンス的なフィクションを絡ませた小説に仕立て上げられている。
左翼くずれに大陸浪人。抗日意識を胸に秘めた中国の知識青年や、大東亜共栄圏のスローガンを叫ぶ中国人。日本軍の謀略に利用された東トルキスタン独立運動のウイグル人マームード・ムヒイテ将軍。魯迅夫人・許広平がひそかに北京へ戻っているという噂。消えた北京原人の標本の行方。大東亜文学者会議への出席をやんわりと拒絶した周作人(その説得のため文学報国会から派遣された九重由夫こと久米正雄や葉柴勇こと林房雄たちの鼻息の荒さが北京で顰蹙をかっていたことは別の本でも読んだ)。京城日日新聞特派員として北京へ来ていた白哲(=白鉄、本名は白世哲)や金史良は朝鮮人の思いを語る。多彩な人物群像がうごめくスケールの大きさは圧巻で、読みながらグイグイとこの世界へと引き込まれていった。
占領者たる日本人と被占領者たる中国人。生身の人間同士として付き合った点では友情もあり得た一方で、必ずしも全面的な信頼までは置けないわだかまり。この微妙な関係は、抗日/親日といった単純なロジックで裁断できるものではなく、第三の道はあり得ないのか、そうした模索へと主人公を駆り立てていく。それは、他ならぬ著者自身の青春期から一貫したテーマであったと言える。
タイプは異なるが、占領者としての日本人の負い目意識をテーマにしている点で、日本植民地支配下のソウル文壇を舞台とした田中英光『酔いどれ船』も思い浮かべた。やはり大東亜文学者会議の準備に駆り出された青年文士(=田中自身)が目撃した、抗日と体制順応、陰謀と狂騒の混濁したファルスを、実在の人物をカリカチュアライズしながら描き出していた。田中が太宰治に私淑していたという感性が理由かどうかは何とも言えないが、『酔いどれ船』では主人公の内面的にウジウジしたところを暴露的に描く形で彼自身の青春の暗さが表現されていたという印象があった。これに対して『夜よ シンバルをうち鳴らせ』の方は、政治意識の強さを明確に打ち出したことで青春期特有の一種ロマン的な清冽さが印象付けられる。
『夜よ シンバルをうち鳴らせ』というタイトルはロルカの詩によるらしい。作中にはランボーの詩を使ったセリフもあった。そう言えば、ランボーには「酔いどれ船」という詩もあった。
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