譚嗣同『仁学──清末の社会変革論』
譚嗣同(西順蔵・坂元ひろ子訳注)『仁学──清末の社会変革論』(岩波文庫、1989年)
戊戌の政変で袁世凱に裏切られ、刑場の露と消えた譚嗣同の33年という短い生涯。自らの宿命に抗わず、従容として死についたという。そうした潔い悲劇性も相まってか、主著『仁学』はその後の中国革命の志士たちに強い影響を与えたと言われる。
「網羅の衝決」、つまり人々のいのちにまとわりつく束縛を突き破って平等を求める革命を、個人の内面において動機付ける「仁」。それを支える科学としての「格致」=「学」。中国、西洋、様々な思想を取り込み、時に奔放な思い付きもめぐらしながら、伝統的儒学の枠を超えて展開した思索の記録。政治制度や産業政策などにも触れられる。
自他の別を立てるこわばりを取り去り、存在一般としての一体感を回復することで世のあらゆる矛盾を我がこと同然と感じ取る共感=「仁」。この感覚を説明する便法として「以太」(エーテル)なる概念が使われる(似非科学的だが)。不生不滅、すべてが「我」なのに、その「我」を目先の事象へと狭く限定して捉えているところに人間の迷妄があると言う。思念に限界はなく、なすべきことに障碍はないという唯心論。なすべきという強い動機を抱いたなら、その時点が行動のチャンスだとされ、利害打算でことの成否を図るのとは発想の次元が異なる。革命のための死、こうした心性の具体的表現そのものが将来に向けた革命のタネとなる。
存在論的認識では荘子や仏教の唯識に立脚。すべてを我がこととして共感するという発想では墨子の兼愛説と同様であり、イエスにも言及される。存在論的な一体感を行動のパッションへと昇華させている点では陽明学である。日本における幕末維新の志士たちへの共感も記されている。読みながら吉田松陰が想起された。
譚嗣同の議論は雑駁だと章炳麟は批判していたらしい。しかし、戊戌変法から辛亥革命へとつながる中で、自らの死を捨石的に革命のタネとしていくという考え方では共通していたと高田淳『中国の近代と儒教──戊戌変法の思想』(精選復刻 紀伊國屋新書、1994年)では捉えられている。また、吉澤誠一郎『愛国主義の創成──ナショナリズムから近代中国をみる』(岩波書店、2003年)は、譚嗣同の死が政治的儀礼として顕彰されることで愛国主義の言説の中に組み込まれ、その後の政治的死を誘発していったと指摘している。
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