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2010年4月 4日 (日)

湯志鈞・近藤邦康『中国近代の思想家』

湯志鈞・近藤邦康『中国近代の思想家』(岩波書店、1985年)

・本書全体の3分の1を占める第一部は湯志鈞論文、第二部が近藤邦康論文等。
・第一部。戊戌変法はブルジョワ革命?単なる政治改良?→ブルジョワ改良主義と規定。マルクス・レーニン主義の階級闘争史観にそって康有為・章炳麟を位置付け。こういうのは、例えばかつて北朝鮮のアカデミーが金玉均を再評価したとき甲申事変=ブルジョワ革命と位置付けたのと同じ論法だし、日本なら明治維新をめぐって講座派と労農派の間で交わされた議論も想起される。もう魅力のない議論だが。
・民族的危機、腐敗した封建制度という状況下、西洋に学んだ康有為の今文経学→孔子をブルジョワ化して読み替え→しかし、儒教イデオロギーの限界性という理解。
・戊戌の政変で章炳麟は台湾へ逃れ、一時期、『台湾日日新報』に勤務。日本官憲の横暴と衝突して辞職したと言われていたらしいが、同紙を調査したところそうした証拠はなく、西太后攻撃の政治論文で居づらくなった(当時、日本政府は維新派をかくまっていると清朝から抗議を受けていた)。
・プロレタリア階級の支援を受けた孫文とは異なり、章炳麟には階級的制約があったという理解。
・第二部は日本人の視点から。清朝の一君万民体制において、康有為は上からの改良(一君)、章炳麟は下からの革命(万民)という捉え方。近藤による中国での在外研究報告は30年前の中国アカデミズムの空気がうかがわれて興味深く読んだ。特に、マルクス主義中心の認識という点で違和感を漏らしている。例えば、李大釗を中国では「揚棄」「質的転換」(ヘーゲル=マルクス用語だ)の思想的飛躍として高評価、対して近藤は連続性を重視。あるいは、唯心主義か唯物主義かという二者択一への疑問。中国の知識人とじかに接してみると、書かれた文章よりも生きた人々の方が奥行きが深いという感想が興味深い。言いたいことがあっても、論文に書くには制約が強いということか。

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