坂出祥伸『康有為──ユートピアの開花』
坂出祥伸『康有為──ユートピアの開花』(中国の人と思想⑪、集英社、1985年)
・康有為の生涯と思想のアウトラインを平易にまとめた啓蒙的な伝記。書家としての横顔に注目したり、史料発掘の経緯から色々な人間関係が見えてきたりするのも興味深い。
・戊戌の政変で失脚・亡命後、とりわけ張勲の復辟事件の際の行動や思想的関わりなど民国期の彼の動静に私は興味があったのだが、民国期に入ってからの記述は私生活の描写が中心となり、公的活動、思想的展開にあまり触れられていないのがちょっと食い足りない感じがした。
・康有為は咸豊8(1858)年に広東省南海県銀塘郷(現・銀河郷)蘇村に生まれた。当初は朱子学を学んだが、他方で、静座や禅学で感得した天地万物の一体感→本当は陸象山・王陽明を好んでいたこととの関連を指摘。「人に忍びざる心」=仁としての万物一体感→わが身に引き受ける共感をもとにした社会改革志向→大同思想につながる。
・孔子改制論。距乱世→升平世→太平世へと進化(三世進化論)。孔子教→国民的な一体感を醸成、人々の間の垣根を取り払って愛国の一点へと集中させる。
・1895年の日清戦争・下関条約→科挙の会試受験のため北京に来ていた挙人たちが集まって対日講和反対、政治改革要求の上書(公車上書)→清朝はじまって以来の士大夫による集団的政治行動。
・日清戦争の敗北、黄遵憲から話を聞いた→日本観の変化→明治維新を変法の模範。
・1898年、保国会の設立。戊戌の変法→西太后派の巻き返し、袁世凱の裏切り→日本へ亡命。日本でも厄介者扱いされてカナダへ行く→華僑有志を集めて保皇会。光緒帝の師を以て任じていたのであくまでも立憲改革派→革命派とは一線を画す。
・日本亡命直後は牛込区早稲田42番(早稲田鶴巻町40番)の明夷閣。1911年月から2年半ばかり神戸や須磨に落ち着く。帰国後は上海の愚園路192号。
・そう言えば、以前、楊蓮生『診療秘話五十年 一台湾医の昭和史』(中央公論社、1997年)という回想録を読んだとき、著者の楊氏が日本統治期の台北帝国大学付属医学専門部に入学したところ、汪精衛政権派遣の留学生として女生徒が一人いて、彼女は康有為の孫娘・康保敏なる人だったという記述があったのを思い出したので、ここにメモしておく。
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