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2010年4月18日 (日)

李暁東『近代中国の立憲構想──厳復・楊度・梁啓超と明治啓蒙思想』

李暁東『近代中国の立憲構想──厳復・楊度・梁啓超と明治啓蒙思想』(法政大学出版局、2005年)

・国家統一・独立維持に肝要な立憲政治確立のため西洋・日本から近代思想を受容、同時に伝統思想としての儒教をどのように位置付けるか? こうした問題意識に向き合った思想家として厳復、楊度、梁啓超の三人に焦点を合わせ、彼らの構想を加藤弘之、福沢諭吉など明治期日本の啓蒙思想家たちと比較考察。西洋近代を基準とする「民度」ではなく、現実の社会状態としての「民情」という視点。伝統に立脚した上で西洋近代思想を受容、ウェスタン・インパクトはこの伝統をむしろ活性化=再解釈させる触媒として作用したと捉える。儒教の否定ではなく、相対化。
・厳復:法と道徳の分離は中国では成り立たないという問題意識。専制を抑えるため法治主義の導入、同時にそれを「民情」と合わせるため儒教伝統的な民本思想と結び付ける。礼治システムの中で民衆の法意識向上を目指す。
・楊度:ビスマルク的「鉄血主義」ではなく「金鉄主義」(富強のため自由のある人民、強国=対外的には責任のある政府が必要)は、西洋近代思想に触発されながら、伝統的な民本思想を磨き上げた。「仁」の担い手を為政者だけでなく人民すべてに拡大。「国会速開」論→まず国会を開いて、試行錯誤のプロセスそのもので人民を鍛えていく。全国民平等の必要→「満漢平等、蒙回(蔵)同化」→国家統一のため蒙回蔵をつなぎとめておくため清朝皇帝が必要→「虚君」論。
・梁啓超:「自己のもの」=伝統と西洋の「新理新学」とのぶつかり合いの中から普遍的なもの=真理を見出そうとした→「附会」論から質的に変化した上で中国伝統思想の中に可能性を探ろうと努力。
・加藤弘之は「民情」と「民度」を同一視→開化不全→君主専治=啓蒙専制という考え方。梁啓超には社会進化論へ転向した後の加藤弘之からの影響あり。ただし、加藤が「強者の権利」を以て天賦人権説から訣別したのに対し、梁啓超には両方が共存。「闘争のモチーフ」→自ら権利を勝ち取るものとしての「新民」の創出。
・福沢諭吉は独立の手段として西洋文明の摂取が唯一の方法とみなす→厳復や梁啓超らは伝統と西洋との結合の可能性を見出そうと努力した点で異なる。福沢が「私利」に基づく「公」として西洋近代の発想を理解したのに対し、厳復・梁啓超らは団体の利益優先、個人の利益制限という発想。
・「附会」の有無が日中の大きな相違点として挙げられる→日本は西洋思想をより正確に理解したのに対し、中国は儒教の重みから抜け出せず、むしろ伝統思想の活性化・再解釈という方向を取らざるを得なかった。
・袁世凱の帝政→楊度は帝政実行のため籌安会を組織 厳復は袁世凱個人の資質に疑問をつけていたが消極的に容認、梁啓超は袁世凱の帝政に反対して護国戦争の先頭に立った。ただし、梁啓超は一時期袁世凱政権を支持していたことがあり、帝政そのものにも必ずしも反対だったわけでもない(帝政が望ましいが、現状において共和制が成立しているのだから安易な国体変更は混乱のもと→既存事実を踏まえて構想するのが梁啓超の特徴。また、袁世凱即位の正当性に疑問という判断)。それぞれニュアンスが異なるとはいえ清末啓蒙思想家たちが基本的に帝政支持だったのはなぜか?→法や国会の枠組みに基づく立憲帝政ならば情勢安定化のために必要という考え方。

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