酒井充子『台湾人生』
酒井充子『台湾人生』(文藝春秋、2010年)
本書のもとになった映画「台湾人生」は去年、ポレポレ東中野で観た(→こちらで取り上げた)。日本語世代の台湾人にインタビューしたドキュメンタリーである。最近、NHKの某番組が編集方針をめぐって無用の混乱を引き起こしたこともあったが、こちらの方はとにかく淡々と話を聞く構成なので安心して観られた。
「祖国」=日本のために命をかけるつもりだった、という話には、戦後世代である私はやはり戸惑いを覚えてしまう。しかし、中華民国籍に入ってからは、日本のために戦ったことは敵対行為であったとみなされてしまい、逆に日本政府は、すでに中華民国籍に入ったのだから関係ないという態度を取った。両国政府から棄てられてしまったようなものである。日本政府からせめてねぎらいの言葉でもいいから欲しかった、と言う。彼らは日本への親しみを語ってくれるだけに、いっそう、こうした形での戦争責任が果されてこなかったことには本当に申し訳ない気持ちになる。
本書(もしくは映画)が、単に彼らの日本に対するノスタルジーに終わらせてしまうのではなく、原住民や客家など台湾内マイノリティーの存在も大きくクローズアップしているところに興味を持った。戦後、中華民国軍に入ったパイワン族のタリグ・プジャスヤンさんは(白団の軍事教練を受けたらしい)、日本のためとか、中華民国のためとかいう以前に、原住民の地位向上のためという意識を強く持っていたようだ。客家人の楊足妹さんは、母語としての客家語以外にも台湾語、北京語、日本語を操る。
日本では台湾通を除いて意外と認識されていないが、台湾は多民族・多言語社会である。公定言語として外から押しつけられたかつての日本語、現在の北京語とも、この多言語性の中に位置付けられる。幼少時から日常的に使い慣れた言語的習慣はほとんど身体感覚の一部ともなり、その人のアイデンティティー形成に決定的な影響を及ぼす。1945年を境に公定言語が日本語から北京語へと切り換えられたとき、その転換に皮膚感覚レベルでついていけず、やるせない心情を表現できなくなった宙吊り状態。さらに、二・二八事件をはじめとする国民党の恐怖政治によって強いられた沈黙は、この心情的宙吊り状態を40年以上にもわたって継続させられた。思いのたけを語ることができるようになったのは、ようやく李登輝政権による民主化以降のことである。映画出演者はすでに相当のご高齢で、中にはすでに亡くなられた方もおられる。戦後歴史教育の違いで子供や孫の世代とのギャップを感じてもいるようだ。
日本語世代の台湾人に焦点を合せた研究として、周婉窈《海行兮的年代──日本殖民統治末期臺灣史論集》(允晨文化出版、2003年。日本語なら『「海ゆかば」の時代』)を以前に読んだことがある(→こちらで取り上げた)。この本では彼らを「ロスト・ジェネレーション」と呼ぶ。彼らが生きざるを得なかった時代経験というのは一つの厳粛な歴史的事実であって、それについて後世の価値判断から良い悪いと決め付けるのはおこがましいことであり、ある意味残酷なことですらある。そうした後知恵ではなく、虚心坦懐に彼らの心情に迫ろうと努力する姿勢に説得力があってとても良い本だった。日本語訳をどこかの出版社で出して欲しいものである。
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コメント
興味深い著作の読み込みが続きますねぇ。
郷愁が、さまざまな関係の積み重なりを異化する場になってゆく。
最近、“いま”の「経済」関係の著作に触れる度、このような表現は、どんな風に「経済」表現に成って来たのか〜成るのか、考えることがあります。
投稿: 山猫 | 2010年4月28日 (水) 23時30分
山猫様
以前にご紹介いただいた中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』、ようやく入手して読みました。ありがとうございました。
いただいたコメントが簡潔すぎてよく分からないのですが、経済という形で表われたものの背景の重層性といった話なのでしょうか。興味深いテーマです。私には重すぎますが…。
投稿: トゥルバドゥール | 2010年4月29日 (木) 03時38分
そこいらでブツブツつぶやいてるオッサンの「繰り言」から、飛び散った唾は綺麗に拭き取って消毒はしておきましたから、“みたいなもん”をほっぽらかしてしまって失礼しました。
ところで。
読めば良いのですが、ずーっと気になってるのが張平「十面埋伏」。エンターテイメントとかハードボイルドの括りになるのでしょうが。著者の「書く」ことへのこだわりが紹介されている略歴や解説を読み強い関心を持ちながら未読です。別の作品は読んだのですが。(タイトルは「兇犯」だったかな?)
このblogの“読み”を潜るとどんな表現になるのか読んでみたくもあります。
ほんじゃ、またお邪魔させていただきます。
投稿: 山猫 | 2010年4月29日 (木) 21時45分