佐藤慎一『近代中国の知識人と文明』
佐藤慎一『近代中国の知識人と文明』(東京大学出版会、1996年)
・清朝末期から近代中国への転換期にあたって、国家のあり方とそれを支えるロジックを模索した知識人たちの言説を検討した政治思想史の論文3点を収録。取り上げられる思想家は絞り込まれている意味で点描的だが、その組み合わせによって通史的に俯瞰される。第1章「文明と万国公法」が本書の3分の2を占めて本論をなし、第2章「フランス革命と中国」、第3章「近代中国の体制構想」で論点を補う構成。
・「文明」の有無を指標とする華夷観念の枠組みにおいて中国文明の優越性は自明視されていた。洋務運動において西洋の機器や万国公法を受け容れはしたが、それはあくまでも中国の立場を強化することが目的。万国公法のような外の価値観によって逆に拘束されてしまうなら、中国の「礼」の秩序が乱されてしまうという反発があった。
・「真」であること(true→普遍性)と「自己のもの」であること(mine→中国文明に本来内在的なもの)とが「文明」受容の条件→「附会」:外来の事物を中国固有の事物と結び付けることで導入を正当化。この「附会」というロジックを契機として「文明」観念の読み替えが始まり、それが「近代」へと転換されていく思想史的な変容過程をたどるのが本書の趣旨となる。
・変法派は、中国を取り巻く国際環境のシステム転換を理解(列国並立の中におけるあくまでも一国としての中国の認識)→この中国の存続を図るために国家のあり方を変革しなければならない。この際、支配者の恣意的な権力を抑制、民意が反映される体制が必要であり、法の支配(西洋では実現されている)の確立を「文明」の基準とした。
・文明化の過程を儒教本来の理念の実現と捉えるロジック。康有為は、経書は古代の記録という体裁を取りつつも、実は孔子が自らの政治変革理念を託したのだと理解→理想社会は上古ではなく未来に存在する→「三世進化」と「大同」の理念、これらに万国公法は適合的だと判断。普遍的な理念であると同時に、すでに孔子が予見していることなのだから「自己のもの」でもある。
・「真なるもの」(普遍性)と「自己のもの」(中国固有)とに「附会」ができない場合にはどうするのか?という問題提起→梁啓超は社会進化論(すでに厳復が『天演論』で紹介)の枠組みで「三世進化」を捉えるが、普遍的な真実はそれ固有の価値を持つのだから、孔子の言説と一致するか否かは全く関係ない。梁啓超は儒教を否定も肯定もせず相対化(対して、後の新文化運動で儒教は「奴隷根性」として排撃される)。
・胡漢民は、危機的な国際環境の中でも国際法を遵守、文明のロジックに従って「正当な排外」を行なうべきことを主張(西洋への屈従も、野蛮な排外も不可)。しかし、清朝は異民族による専制支配体制であり、多数派の漢族は抑圧されている→国民の支持なし→「正当な排外」ができない清朝の構造的問題→変革のため排満革命。
・国際法を遵守したとしても、現実には帝国主義の圧迫→その後の民族主義、社会主義、不平等条約改正等の展開。
・第2章「フランス革命と中国」では、フランス革命認識を通して中国知識人の間での革命観念の相違を浮き彫りにする。フランス革命の積極的な意義とマイナス面との両方をみな理解していたが、康有為や梁啓超はマイナス面の方を憂慮、対して革命派はプラス面を高く評価。
・第3章「近代中国の体制構想」では、専制と自由をめぐる議論に関心を持った。梁啓超は「野蛮の自由」(事実上の野放図な自由)と「文明の自由」を区別。中国は自由を許容する温和な専制体制であったが、その自由とは「野蛮の自由」に過ぎなかった→権力者のへつらいなど「奴隷根性」という「内なる専制」の克服が必要だ→こうした問題意識は後に『新青年』に集った知識人に受け継がれていく。以上の「自由」観は孫文も共有、ただし、梁啓超が「内なる専制」の克服を重視したのに対し、孫文は自由の過剰を憂慮して開明専制を模索したと指摘される。
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