「クロッシング」
「クロッシング」
ヨンスはかつて花形のサッカー選手だったが、いまは炭鉱で働いている。結核で倒れた妻のために治療薬が必要となったが、頼みの綱としていた中国との密貿易に従事している友人はスパイ容疑で逮捕されてしまい、結局、ヨンス自身が豆満江を渡った。中国では公安に追われ、せっかく稼いだ金も失ってどうにもならない中、金をくれるという話で脱北者支援組織にすがりついたのだが、成り行きで韓国へ行く羽目になってしまう。残された妻は死に、息子のジュニは一人さまよい、裏切り者の子供として強制収容所に送られる──。
脱北者の苦境がドラマ仕立てで描かれている。実際の脱北者から協力も得ているとのことで、考証はしっかりなされているのだろう。ヨンスが目にしたソウルの繁栄ぶり、続いて映し出されるジュニがいる強制収容所内の光景、この落差は同時代のものとは思えない。ヨンスは妻の結核治療薬入手のため国を出たわけだが、ソウルで薬局に行くと、それなら保健所で無料で支給されると聞き、愕然とする。
政治体制というのは人々の生活を保障する根元的なインフラである。そのインフラは、ものの考え方や行動様式、すなわち「思想」の集積であり、いびつな統制がこれほどまでにギャップを大きくしてしまった。ヨンスが国境の外から家族のことをいくら想っても、見えない壁はすべてをシャットアウトしてしまう。ヨンス一人が結果として生きのびた背後に横たわる何人もの惨めな死、その重みの一切を彼は背負って生きねばならない。ソウルで「自分ひとり助かりたいから脱北したんだろう」と陰口をたたかれるシーンがあるが、実際にそういう目で見ている人がいるのだろうか。この映画ではあからさまな体制批判のメッセージは抑えられており、実際にあったであろう出来事がより合わされて再構築されたストーリーを通して、「首領様」を上にいただく政治体制のブルータルな非人道性を浮かび上がらせていく。
百歩譲って、国が違っても、イデオロギーが違っても構わない。それでも、映画の最後に映し出されるような、北朝鮮でもあり得たはずの牧歌的なむつみあいすらももはや見ることはできない哀しさ。終盤、ジュニがさまようモンゴルの砂漠、雄大に広がる空、この広い世界の中にあってもどうにもならない孤絶感がいっそう際立ち、そうした心情を重ね合わせると、残酷な美しさに胸がしめつけられてしまう。
【データ】
監督:キム・テギュン
2008年/107分/韓国
(2010年4月24日、渋谷・ユーロスペースにて)
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