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2010年4月 7日 (水)

萩原朔太郎『猫町 他十七篇』

 萩原朔太郎(清岡卓行編)『猫町 他十七篇』(岩波文庫、1995年)は短編小説らしきものやエッセイを集めた小品集。「群集の中に居て」から抜粋。

「都会生活とは、一つの共同椅子の上で、全く別別の人間が別別のことを考へながら、互に何の交渉もなく、一つの同じ空を見てゐる生活──群集としての生活──なのである。その同じ都会の空は、あの宿なしのルンペンや、無職者や、何処へ行くといふあてもない人間やが、てんでに自分のことを考へながら、ぼんやり並んで坐つてる、浅草公園のベンチの上にもひろがつて居て、灯ともし頃の都会の情趣を、無限に侘しげに見せるのである。」
「げに都会の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。群集は一人一人の単位であつて、しかも全体としての綜合した意志をもつてる。だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。しかも全体の動く意志の中で、私がまた物を考へ、為し、味ひ、人人と共に楽しんで居る。心のいたく疲れた人、重い悩みに苦しむ人、わけても孤独を寂しむ人、孤独を愛する人によつて、群集こそは心の家郷、愛と慰安の住家である。」

 文学者というのは意外とよく町をほっつき歩いている。例えば永井荷風については川本三郎さんが書いているが、萩原朔太郎もよく歩いていた。単に散歩好きというのではなく、退屈まぎれということもあろうし、当時、彼は家庭のトラブルを抱えていたから家にいたくなかったのかもしれない。ささくれ立って鬱屈を抱えた孤独。それでも都会は、あたかも居場所があるかのように思わせてくれる。そんな気分のとき、あたり前のときとは違って、行き交う人々の表情に自分自身の感傷を反射させて、そこに映し出された陰影あるひだを、より切実なものとして嗅ぎ取るのだろう。

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