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2010年4月 5日 (月)

松山巖『乱歩と東京 1920 都市の貌』

 本好きな小学生だった人は必ずと言っていいほど江戸川乱歩体験を共有しているのではなかろうか。私は少年探偵団の謎解きや冒険スリル的なストーリーよりも、舞台となっている東京のレトロモダンな風景の描写の方に印象が強い。自分が知っている東京とは全く違う世界が開けているような一種の幻想をかき立てられて好きだった。私の大正・昭和初期についての原型的イメージは乱歩によってつくられたと言っても過言ではない。

 ポプラ社の江戸川乱歩シリーズは今になって思うと不思議な構成で、前半の1~24巻までは子供向けの少年探偵団ものだが、後半は装丁のデザインや明智小五郎が登場する点では同じでも大人向けの小説が入っていた。子供には結構刺激の強い描写にドキドキした覚えがある。むしろ、この淫靡なエロティシズムやグロテスクな雰囲気の漂う際どさの方が乱歩の本領であろう。今さら私が言うまでもないが、そうした乱歩の作品は、近代社会へと変容する過程に対しての一種の精神分析として読むことも可能である。

 松山巖『乱歩と東京 1920 都市の貌』(ちくま学芸文庫、1994年)は、乱歩作品に内在する眼差しを通して、大都会へと変貌しつつある東京の変化やその中で息づく人々のメンタリティーを鮮やかに読み解いてくれる。示唆深い論点が豊かに提示され、乱歩論、東京論としてばかりでなく、近代日本思想史としても名著だと思っている。

 伝統社会の中で持続していた心性は近代化と共に徐々に変成しつつあったが、器はすぐ切り替えることはできても、その中身の熟成には時間がかかる。明治期において型としてのライフスタイルは一変しても、感性面での変化には世代交代が必要であり、私自身の印象としては、現代に生きる我々に直接つながるメンタリティーは大正期以降、とりわけ都市生活において具現化し始めたものと考えている。

 乱歩の猟奇的、グロテスクにも思える作品群。それらは必ずしも乱歩という独特な個性のイマジネーションによってのみ作り上げられたわけではない。乱歩作品の後景から垣間見える都会的匿名性、性の解放、「家」制度の解体と婚姻形態の変化、そういった個人主義的感性をつきつめたところに当然にして表われるライフスタイルの変化は、一方で残存している伝統的感性からすれば奇異なものでありながらも、他方において実はすでに了解可能な射程内に入りつつあった。両者の葛藤が先鋭であればあるほど奇妙にも昂揚する「罪」意識の愉悦。それを乱歩は目ざとくつかみ取り、小説的な面白さへと昇華させた。本来秘しておきたかったはずの欲望、しかしタブーを破ること自体に独特な快感が伴い、そうした行為をむしろひけらかしたいのではないかとすら思えてくる猟奇的な事件。読み手は、荒唐無稽な話と思いつつも、そうしたグロテスクな不思議にどこか一片のリアリティーをほのかに嗅ぎ取り、それは自分の中にも潜んでいるからではないかという疑いを禁じ得ず、目を離せない何かを感じ取った、もしくは現代においても感じ取られ続けているとも言える。

 なお、「芋虫」についての指摘に興味を持ったのでメモしておく。読んだ人なら分かるだろうが、戦争で四肢も声も失って「肉ゴム」と化した兵士を妻がいたぶる話。軍国主義的な風潮の中で発表するには危なっかしい話で、戦後、一部の人たちは反戦小説として読んだらしいが、乱歩自身のコメントを次に孫引き(本書、227ページ)。

「私はあの小説を左翼イディオロギーで書いたわけではない。私はむろん戦争は嫌いだが、そんなことよりも、もっと強いレジスタンスが私の心中にはウヨウヨしている。例えば「なぜ神は人間を作ったか」というレジスタンスの方が、戦争や平和や左翼よりも、百倍も根本的で、百倍も強烈だ。それは抛っておいて、政治が人間最大の問題であるかの如く動いている文学者の気が知れない。(略)「芋虫」は探偵小説ではない。極端な苦痛と快楽と惨劇を描こうとした小説で、それだけのものである。強いていえば、あれには「物のあわれ」というようなものも含まれていた。反戦よりはその方がむしろ意識的であった。反戦的なものを取入れたのは、偶然、それがこの悲惨に好都合な材料だったからにすぎない。」

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