張承志『回教から見た中国──民族・宗教・国家』、楊海英『モンゴルとイスラーム的中国──民族形成をたどる歴史人類学紀行』
中国西北部は人口的にはともかく面積的には広大なイスラム圏が広がっており、歴史的にもイラン系、トルコ系、チベット系、モンゴル系、漢系と様々な人々が入り組んで複雑な民族状況を呈していた。漢語を母語とするムスリム系は回族として一つの民族に認定されている。
張承志『回教から見た中国──民族・宗教・国家』(中公新書、1993年)は、この回族の視点に立って7世紀以降の歴史を通観、そこから国家体制と宗教との緊張関係を見つめていく。唐代に西方から移入してきたムスリムに回族の起源が求められるが、本書は三つの喪失という観点から回族を捉える。第一に、故郷喪失。第二に、母語の喪失→漢語を話す。この点では漢族と同様に見られるようになるが、ただし宗教意識を支えにしながら母語のない民族としての生き方を求めた。ところが、清朝や共産党政権下では迫害を受け、さらに現在進行中の経済至上主義によって民族の根幹としての信仰心も危機にさらされているという。これが第三の喪失である。回族の存在を通して、信仰に重きを置かない中国文明を相対化する視点を示そうとする。著者は北京生まれだが回族の出身で、少年期に学校で侮辱された記憶を記している。1930年代に上海・南京・北京など都市部でイスラムを侮蔑する出版物が出てムスリムは反発、漢人側はそれを言論妨害とみなしてさらに揶揄、大騒動に発展したという事件が目を引いた。近年のオランダにおける諷刺画事件なども想起される。
中国内イスラム圏の多様さは、回族、ウイグル人の他にも、イスラムの信仰を受け入れたモンゴル人(保安族、東郷族)やチベット人の存在にも表われており、こうした「民族」なるものの多重人格的複雑さは単純な断案を許さない。楊海英『モンゴルとイスラーム的中国──民族形成をたどる歴史人類学紀行』(風響社、2007年)は、モンゴルとイスラム世界との関わりを探るため、寧夏・甘粛・青海を踏査。単なる学術調査というのではなく、旅の風景、現地の人々とどのように打ち解けたのか、そういった旅行記的な要素も合わせ持ったフィールドワークの記録として興味深く読んだ。オルドスのモンゴル人には、19世紀の回民大反乱で略奪・虐殺を受けた記憶が伝承されているらしい。それでは、なぜ回民は反乱へ追い込まれたのか?とも著者は問う。漢人による差別、清朝の役人による圧制、こうした背景の中で彼らが窮していたことをモンゴル人は知らないと言う。モンゴル人は清朝と同盟関係にあり、清朝崩壊後、回民は国民政府と手を組んだという政治力学もあった。
本書には、イスラムとの関わりを捉え返すことで、著者自身の属するモンゴル自身の多様性を考え直そうという意図がある。そして、他者としてのムスリムを研究対象として向き合うとき、「客観性」の呪縛から脱して彼らの「生き方」の歴史、精神世界にまで踏み込んだ内在的理解を求めようという点で張承志を導き手として強く意識している。同時にそれは、他者視点の「客観的」研究が少数民族の政治的地位にも強い影響を及ぼしてしまう懸念がある点で、中国で従来主流であった漢文史料中心の歴史再構成に対する異議申し立てにもつながっている。モンゴル史研究でもモンゴル語史料の活用が怠られていること、保安族・東郷族など自前の文字史料を持たない民族の研究をどのように進めるのかといった問題意識が示されている。
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