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2010年3月

2010年3月31日 (水)

池内紀『東京ひとり歩き』、川本三郎『きのふの東京、けふの東京』

 何となく気が向いて、池内紀『東京ひとり歩き』(中公新書、2009年)、川本三郎『きのふの東京、けふの東京』(平凡社、2009年)を続けて読んだ。東京ぶらぶら歩きエッセイ。名所めぐりをするでもなく、気の向くまま風の吹くまま、普通に商店街を歩いて、古本屋を物色したり、居酒屋で一杯ひっかけたり。私の知っている街並も結構出てくるので親近感もわく。

 私は特に川本さんの東京歩きエッセイが好き。取り立てて起伏のある話は出てこない。一本調子に淡々と、しかし穏やかな筆致の中にさり気なく織り込まれた文学や映画の薀蓄が楽しい。安居酒屋のカウンターにひとり座って、ホッピーや焼酎を飲みながら川本さんのエッセイ集のページをゆっくりめくるのが実は至福の時間だったりする。

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蛇蔵・海野凪子『日本人の知らない日本語2』

蛇蔵・海野凪子『日本人の知らない日本語2』(メディアファクトリー、2010年)

 夜、職場に残ってクスクス笑いながら読んでいた。うさんくさげな視線を向ける帰り際の同僚、でも私が手にしている本を見て納得の様子。

 鋭いツッコミや思いがけないボケでハラハラさせる留学生たちと、受けて立つ日本語学校の先生。日本語をめぐるカルチャー・ギャップを描きこんだマンガである。このシリーズは文句なく面白くて好きだな。単に笑えるというだけでなく、見事に実地の比較言語論、比較文化論になっているから侮れない。例えば、「先生が早く結婚するのを願ってます」とおおっぴらに言う中国人に対して、欧米人は「なぜ他人のプライバシーに口を挟むんだ?」と冷ややか。マンガやアニメが好きで来日したオタクが多いが、同じオタクでもフランス人とアメリカ人とで態度の取り方が違うのも面白い。

 カバーをめくって本体表紙にある4コママンガも意味深だ。「大人の理由で紙袋をかぶせてあります」と注釈がついて紙袋で顔を隠して描かれる留学生。日本のニュースには殺人の話が多い、自分の故郷にはそんなことなかったのに…。いや、待てよ、ひょっとして報道されていないだけなのか? 「先生、殺人のニュースが多いのは、とても良いことなんですね!」

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2010年3月30日 (火)

岡本隆司『世界のなかの日清韓関係史──交隣と属国、自主と独立』、岡本隆司・川島真編『中国近代外交の胎動』

 岡本隆司『世界のなかの日清韓関係史──交隣と属国、自主と独立』(講談社選書メチエ、2008年)は、清朝の勃興、徳川幕府による日本統一、16世紀以降、パワー・バランスの中にあった朝鮮の立場を軸として日清・日露戦争に至るまでの東アジア国際関係史を描き出す。視点が斬新でとても面白い研究だ。清との宗属関係、日本との交隣関係、微妙なバランスで日=韓=清の関係が成り立っていたが、欧米列強の進出、明治日本の台頭によって状況が一変。朝鮮の清に対する「属国」でも「自主」でもない曖昧さを残した宗属関係は、日本・清・欧米列強の勢力均衡の中で成立していた。しかし、袁世凱はこの「属国」の実体化を図ってバランスが崩れ、清朝優位の均衡状態を覆そうと日本は武力行使→日清戦争。ただし、1896年の俄館播遷で日本優位も失われてロシアとのにらみ合い→再びの均衡状態の中で朝鮮は独立自主を目指すことになる。一連の情勢下、井上毅が朝鮮中立化構想を提案したり、李鴻章の肝煎りでお雇い外国人として朝鮮に送り込まれたデニーやメレンドルフらがむしろ朝鮮の自主独立を支持して清朝側の不興をかったりといったエピソードも興味深い。

 岡本隆司・川島真編『中国近代外交の胎動』(東京大学出版会、2009年)は、伝統・近代という後知恵的な二項対立の分析枠組みではなく、内在的・外在的要因の絡まり合う中で中国の近代外交が形成されていく動態を実証研究の組み合わせで提示しようとした論文集。外交を担当する人員やセクション、条約交渉に関する論文が中心。華夷観の根強い「夷務」の時代(19世紀前半~1870年代)、清朝側に条約関係へ対処する態勢が現われ始めた「洋務」の時代(19世紀後半)、そして「外務」の時代(~20世紀初頭)の三部構成。清朝の主観的認識としてなら「朝貢システム」論は成り立つが、他方で「互市」→政府間通交の有無や上下の序列は関係ない。在外領事や在外公館のあり方→「洋務」期に制度的な改革が行なわれたわけではないが、体制外的な方法によって対外交渉の担い手が現われつつあった。在外華僑への棄民政策から保護政策、さらに動員へという変遷→中華帝国の近代的再編が指摘される(領域的にどこを守るか?と同時に、誰を守るか?という問題意識の表われ)。

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岡部達味『中国の対外戦略』

岡部達味『中国の対外戦略』(東京大学出版会、2002年)
・同時代を扱う社会科学はどうしても不完全情報を前提とせざるを得ない→概念、理論等で一定の構造的理解をした上で情報の取捨選択、推論。その意味で後学によって乗り越えられる、あくまでも中間報告であるという割り切り。
・主に言説の中からうかがわれる中国側の対外イメージ、国際情勢認識を想定しながら、中華人民共和国成立以来の外交政策、具体的には対ソ政策、中ソ対立、核開発問題、米中和解、改革開放以降(多極化する中での大国としてのセルフイメージ)を分析。

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2010年3月29日 (月)

園田茂人『不平等国家 中国──自己否定した社会主義のゆくえ』、王文亮『中国農民はなぜ貧しいのか』『格差大国中国』、王文亮編著『現代中国の社会と福祉』、大泉啓一郎『老いてゆくアジア──繁栄の構図が変わるとき』、飯島渉・澤田ゆかり『叢書★中国的問題群10 高まる生活リスク──社会保障と医療』

 経済発展著しい一方で、貧富の格差拡大などひずみが顕在化している中国。そうした問題を考える上でまず手に取るべきは園田茂人『不平等国家 中国──自己否定した社会主義のゆくえ』(中公新書、2008年)だろう。農民工の急増からは都市と農村との分断状態がうかがわれる。都市中間層は官製メディアに対する不信感など近代的民主主義に親和的な性格を持つ一方で、生活水準が向上した現状維持を望む保守的傾向が見られる。都市民の農民工に対する差別意識はよく指摘される。学歴社会化→科挙の伝統を考えると「過去へ進化する社会主義」という見通し。

 共産党の権威主義支配体制と近年進展しつつある市場社会化。両方がもたらすひずみはやはり社会的弱者へとしわ寄せされてしまう。彼らへの手当ては残念ながら惨憺たるもので、とりわけ都市と農村の格差が深刻なようだ。王文亮『中国農民はなぜ貧しいのか──驚異的な経済発展の裏側で取り残される農民の悲劇』(光文社、2003年)、同『格差大国中国』(旬報社、2009年)は具体的なトラブルを通して問題を検討する。いわゆる「一人っ子政策」→人口の年齢構造、家族関係が変化する一方で(「四二一家庭」「空巣家庭」)、伝統的な家族福祉が当然視されているため、農村住民の老後を支える社会保障の構築がなおざりにされてきたことが指摘される。在宅介護の問題。医療・生活保護の都市・農村格差。農村での医療・衛生資源は限られているため、病気療養では子供や高齢者よりも労働年齢層を優先→経済的な理由による消極的安楽死もあり得る。病気→貧困→病気の悪循環。

 王文亮編著『現代中国の社会と福祉』(ミネルヴァ書房、2008年)は現代中国におけるライフスタイルの変化が社会保障に及ぼす影響についての各論を分担執筆。生活水準向上による消費スタイルの多様化とトラブル。性意識・結婚・家族観の変化。教育機会の地域的・階層的不平等、大学生の就職難(雇用のミスマッチ、頭脳労働偏重で技術労働者が少なくなっている)。高齢社会化の一方で、下の世代における家族意識の変化により扶養機能の弱体化。年金制度の問題。都市社会の変容とコミュニティ・サービス。障害者福祉(自助努力が基本だが、実際には就業困難という問題)や障害者教育。農民工の労働環境と社会保障体制の問題(農村モデル、都市モデルが難しい中、都市部で農民工のみを対象とする独立モデルが注目される)。農民工の子供の教育問題(民工学校、留守児童)。

 大泉啓一郎『老いてゆくアジア──繁栄の構図が変わるとき』(中公新書、2007年)は、ライフスタイルの変化による出生率の低下傾向が東アジア全域で見られることを指摘。中国の「一人っ子政策」についても、これが出生率低下の原因というよりもむしろ加速要因だと捉える(従って、「一人っ子政策」をやめたからといって出生率が上向くわけではない)。本書の特色は人口ボーナスの指摘。つまり、出生率の低下→生産年齢人口、一人当たり所得、国内貯蓄率、一人当たり医療・衛生サービス等の増加→経済発展を後押し。この人口ボーナス効果が持続している間に次なる高齢社会に向けた準備が必要。中国では、農民工の都市部への流入→都市部は人口ボーナス効果を享受する一方で、農村部では高齢人口の割合が高くなるため人口ボーナス効果が早く薄れてしまう→都市・農村間の経済格差が拡大し、農村部の高齢化がますます進んでしまう問題が指摘されている。

 飯島渉・澤田ゆかり『叢書★中国的問題群10 高まる生活リスク──社会保障と医療』(岩波書店、2010年)は、中国における社会保障や医療政策について歴史と現在のシステムを概観。衛生制度の進展における日本モデルの影響については飯島渉『感染症の中国史──公衆衛生と東アジア』(中公新書、2009年)でも取り上げられていた。
・清朝期は生活保障について「小さな政府」と家族・地縁的相互扶助→中華民国期に国家による管轄領域が広がり始め、社会主義革命後は公的事業として草の根レベルまで浸透。ただし、計画経済において、「国」よりも「単位」中心。社会保障資源は一次分配として賃金と同時に生産現場で支給される制度設計→完全・終身雇用が前提だが、実際には対象者の空白が大きかった。
・改革開放以降は、市場原理の導入。しかし、農民工など低所得者の社会保険加入率は低く、社会保障システムへとなかなか包摂できない現状。
・こうした趨勢の中、家族・地域社会といった伝統的担い手、大企業・経済的有力者の慈善へと回帰しているかのようにも見えるが、他方で政府がセーフティネットとして社会保障・最低生活保障を提供しようという原則があることにも留意。
・香港は自由主義レジーム→小さな政府。

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2010年3月28日 (日)

西村成雄・国分良成『叢書★中国的問題群1 党と国家──政治体制の軌跡』、国分良成『現代中国の政治と官僚制』、毛里和子『新版 現代中国政治』

西村成雄・国分良成『叢書★中国的問題群1 党と国家──政治体制の軌跡』(岩波書店、2009年)
・中華人民共和国以前を「反動」とみなす共産党史観ではなく、清末・中華民国・中華人民共和国の連続性を重視する20世紀中国史観に立って政治体制の動態を概観。近代化・「富強」志向と政治的統一のための強権主義、普遍的価値と中国的特殊性との葛藤、ウェスタン・インパクト以来の国際社会への参入過程など様々な論点があり得るが、本書は「党と国家」の関係に注目。人民から政治的意思を授権されたという擬制に党が国家・政府を創出・指導する正統性を求めるロジック、この点で中国国民党と中国共産党は同じ性格を有していた。なお、共産党は半恒久的な権力保持を想定しているのに対し、国民党の場合には、孫文が提示した政治プログラム(軍政→訓政→憲政)に将来的な民主化が組み込まれていた点で相対的には近代民主主義に親和的→「中華民国在台湾」における民主化が可能となった。
・蒋介石への権力集中→中国国民党と国家機関の融合関係が制度化。ただし、蒋介石主導の「訓政体制」の下でも、権力集中への抵抗が党内に存在。
・中華民国の水平的正統性の重層性:①広東派は蒋介石政権を承認しないが、国民政府は認める。②地方実力者は国民政府の正統性を必ずしも認めるわけではないが、中華民国からは離脱しない。③少数民族地域権力や中国共産党は中華世界の範囲内には留まった。→南京国民性は、こうした水平的(範囲)、もしくは垂直的(中央‐地方関係など制度面)正統性の拡大に努めた→「以党治国論」の制度化(1931年「中華民国訓政時期約法」、1935年の幣制改革など」。
・戦後、訓政→憲政への移行(民主化)という政治的争点が社会的に広がりを見せる(アメリカからの民主化要求も共振)→双十協定、政治協商会議の開催など政治交渉の場を創出。
・中華人民共和国は、前半30年(建国~毛沢東の死、文革の終結)と後半30年(近代化へ向かう)に分けられるが、党国体制という点では同じ、政治手法が相違。
・WTO加盟→国内産業の改編が必要→初めに指導部の決定ありきで、次に各産業界への説得という順番(社会主義市場経済の「社会主義」の側面)。
・共産党は本来、労農階級の代表であるが、江沢民の「三つの代表論」で「広範な人民」の代表と位置付け→新たに登場した社会階層の包摂。共産党のエリート集団化→実質的な「ブルジョワ」政党化。「党国コーポラティズム」。太子党の人的ネットワークなど既得権益層の固定化。

国分良成『現代中国の政治と官僚制』(慶應義塾大学出版会、2004年)
・①党の指導の絶対性→社会主義官僚組織の自己浄化能力の難しさ。②専門的機能分化の制度化という意味での「近代化」の有無。③歴史的な政治文化の脈絡における「人治」の問題。こうした問題意識を分析視角として中華人民共和国の官僚機構、具体的には経済政策を担当する国家計画委員会を分析。
・第一次五カ年計画期(1953~57年):ソ連モデルの模倣→重工業一辺倒、中央集権化→ここからもたらされた官僚主義、他の産業分野軽視といったひずみを見て毛沢東は中国には合わないと認識→大躍進運動(1958~59年):毛沢東の「鶴の一声」。彼の圧倒的なカリスマを前にして経済官僚は意見を言えず、大失敗(直言した彭徳懐は失脚)。地方からは水増し報告。責任転嫁の無責任体制→失敗が教訓としていかされず、むしろ次の失敗を誘発してしまう悪循環。
・劉少奇・鄧小平たちの調整政策で経済再建→毛沢東の猜疑心→文化大革命。
・1980年代:上意下達方式の政策決定ではなく、下からの積極的な動きを生み出す効率的な政治システムの創出が目標となった。そのため「人治」を排して、いかに近代的な官僚機構を確立させるかが課題。党政分離が提起されたが、天安門事件で頓挫。
・市場化による競争原理の導入→格差や富の偏在といった問題→分配機能を有効に果たす制度が実質的に失われている。

毛里和子『新版 現代中国政治』(名古屋大学出版会、2004年)
・比較政治論の視座を駆使して、毛沢東時代・「四つの現代化」時代それぞれの政治プロセス、国家・共産党・軍隊が絡み合った政策決定メカニズムをはじめ現代中国政治をめぐる多面的な論点を網羅しながら概観。スタンダードなテキストで、レファレンス本として有用。それだけでなく、各論点からは軍の政治関与、少数民族・香港・台湾などをめぐる国家統合のあり方、農民問題と村民自治、民主化、人権問題など現代中国が抱える困難も様々に浮き彫りにされてくる。

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2010年3月27日 (土)

ツェリン・オーセル『殺劫[シャーチェ]──チベットの文化大革命』

ツェリン・オーセル著、ツェリン・ドルジェ写真(藤野彰・劉燕子訳)『殺劫[シャーチェ]──チベットの文化大革命』(集広舎、2009年)

 「革命」をチベット語では「サルジェ」と言う。共産党軍がチベットに入ってきてからつくられた言葉らしい。本書のタイトル「殺劫[シャーチェ]」は、文化大革命がチベットにもたらした災禍を明確にするため、チベット語の「サルジェ」と似た発音の中国語単語の中から敢えて選ばれている。

 文化大革命期にチベットで展開された光景を記録した写真はほとんど公表されていないが、本書には当時の写真が多数収録されており、資料的にも貴重な意義を持っている。著者の父親が撮りためていたものだという。この写真を何とか役立てたいと考え、ここに映っている人々はどんな思いを抱えていたのか、そしてここに映し出されている光景が意味するのは一体何なのか、そうした問いを投げかけながら、当時迫害を受けた人、紅衛兵や造反派として迫害を行なった人、70人以上の様々な当時の関係者に取材をした記録である。

 煽動されて「造反有理」に邁進した少年少女たちの純情そうな表情。「牛鬼蛇神」(こんな概念自体がチベット語にはなく、中国語でぎこちなく発音されたらしい)としてつるし上げられた人々の打ちひしがれて力なく呆然とした諦め。背景に見える群集の不安げな戸惑い。チベット人はそれぞれの立場なりに緊張した面持ちを見せる中、漢人幹部の傲岸な笑顔が目に残る。父親が撮らされたヤラセ写真からも当時の状況は逆説的にうかがえる。

 多くの人々が命を落とし、残された人々は身も心も傷を負った。続く造反派内部の武闘抗争。宗教文化の荒廃。漢語の押し付けと改名の強制。人民公社化は牧畜等の伝統的生活基盤そのものを崩してしまった。民族差別を階級闘争のロジックにすり替え、「所詮チベット人同士がやったことで漢人は関係ない」という逃げ口上は、楊海英『墓標なき草原──内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(岩波書店、2009年→こちらで取り上げた)でも指摘されていたのと同じ構図である。「批判闘争」のような抗争様式というのも、後天的に獲得された行動パターンという意味では一つの「文化」であり、それが外から持ち込まれたことによって、チベット仏教に基づく伝統的な生活形態の中では本来表面化することのなかった様々な醜さが意図的にほじくりかえされ無理やり表出させられてしまった。そうした意味での精神文化の破壊に目を覆いたくなるような悲しみを感じてしまう。

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2010年3月26日 (金)

川島真『中国近代外交の形成』、青山瑠妙『現代中国の外交』、牛軍『冷戦期中国外交の政策決定』、王逸舟『中国外交の新思考』

川島真『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会、2004年)
・中華民国初期の外交を対象とした研究。この時期の中国外交については後世の国民党及び共産党の「革命外交」史観によって「売国外交」としてイデオロギー的にマイナス評価されてきた。対して本書は、外交档案の丹念な調査・読解を通して事実に即した中国近代外交史の再構成を目指している。
・中華民国北京政府は国際社会において「文明国」として対等に認知されることを志向(この点では清末外交との連続性が認められる)、それをテコとして不平等条約改正を目指した。→こうした「修約外交」は、スローガンばかり先行する「革命外交」とは異なり、具体的な成果あり。他方で、北京政府は「宣伝」「大衆動員」「説明」などをあまり行なわなかった点で19世紀的な政府であった。
・朝貢システムから近代外交システムへの移行期における朝鮮の位置付け:朝鮮半島を属国視したのは、伝統的な「中華思想」の表われというよりも、中国自身の国際社会における「強国」「大国化」志向と解釈される(朝鮮にとっては清もまた帝国主義的存在となっていた)。
・北京政府と広東政府との対峙、軍閥割拠と国内的には分裂していたが、同時に「中華民国」という枠組みにおけるナショナリズムは共有されていた→重要な国際案件についての態度は一致(パリ講和会議には北京政府・広東政府が全権代表を共同派遣)。ただし、政治主体としてのあり方が分節化されていたという状況。

青山瑠妙『現代中国の外交』(慶應義塾大学出版会、2007年)
・冷戦初期における中国の対外政策について、イデオロギー的アプローチor状況的アプローチ?→当初はソ連とアメリカとを両天秤にかけた柔軟性→ソ連からの支援があったから向ソ一辺倒政策を選択(状況的アプローチに適合的)。経済主権、自力更生のための手段として、政経分離で西側諸国との貿易も促進。
・「強硬路線」の中に見られる「柔軟路線」という中国外交の特徴:対外政策の形成・決定はトップダウン方式。最高決定者(毛沢東)が大原則を示す→ルーティンワークにおいて政策解釈権者(周恩来)が現実的な判断→各実務担当者、という縦割りのピラミッド型政策執行体制。
・中国による対外援助(特にアフリカ):①米ソを意識して中国の知名度向上が目的→②採算度外視の援助、③内政不干渉。ただし、④台湾ファクターは要求。方法としては、⑤「援助・貿易・投資の三位一体型協力」という日本モデル。⑥地方、国営、私営企業などのアクター。(※このあたりの議論については最近、Deborah Brautigam, The Dragon’s Gift: The Real Story of China in Africa[Oxford University Press, 2009]でも指摘されていた→こちらで取り上げた。)
・文革期の外交:外交分野は相対的に秩序安定。ただし、周恩来の権威低下→鄧小平らの地位上昇→改革開放。
・「内外有別」(国内問題、対外問題で異なる管理原則)→グローバル化の中で対外問題について行政の分権化。
・「一圏・一列・一片・一点」対外戦略:近隣諸国との友好関係、先進国との友好関係、発展途上国との連帯、対アメリカ政策。近年は「一点」とされていた対アメリカ政策の比重が低下。
・改革開放以降は経済優先の外交方針。
・PKOなど国連活動に参加:中国は世界秩序改編には関心がなく、既存のルールへの適応を選択。「自己認識」を変えないまま外からの「障害」を「外交」がうまく吸収、乗り越えながら国際的活動への参加。→国際社会への参加が中国内部に変化を引き起こすかどうか?(トロイの木馬効果)
・冷戦期におけるプロパガンダと、冷戦後におけるパブリック・ディプロマシー(中国に対するマイナス・イメージ払拭を目的)とを区別。
・中国国内の世論:政治的代表機能が限られている社会環境の中で、メディア(学者・研究者が発信)、投書・陳情(農民などサイレント・マイノリティー)、インターネット(都市部の若者→ネット世論)という三層構造。→政府は世論誘導のためメディアを活用し、外交機能も変化。
・全般的な特徴の変化としては、「断片化された権威主義」から「ソフトな権威主義」へ転換されるつつあることが指摘される。

牛軍(真水康樹訳)『冷戦期中国外交の政策決定』(千倉書房、2007年)は、政策目標の設定とその達成というイデオロギー・フリーの尺度から冷戦期中国が直面した外交問題を分析。具体的には向ソ一辺倒政策、朝鮮戦争(抗米援朝)、インドシナ戦争(援越抗仏)、中印国境紛争、中ソ同盟の形成と崩壊、ヴェトナム戦争(援越抗米)、中ソ国境紛争及びその余波としての中米接近、以上8つの事例分析が行なわれる。国内的要因、指導者の認識や方針からの影響が重視され、その判断ミスがもたらした情勢の変転も含めて描き出される。著者は北京大学教授で、中国側研究者による政策決定過程の分析としては類書がない。

王逸舟(天児慧・青山瑠妙編訳)『中国外交の新思考』(東京大学出版会、2007年)は、国際政治学の理論的立場としてはリベラリズムに立脚、構造的に多元化する国際社会における中国の位置付けを分析、今後を模索する。新しい総合安全保障観として、国家間の権力政治だけでなく、市民社会やNGOなど国家以外のアクターも含めて重層的な「政治」概念を提示。多国間外交の制度化、その中での国際協調、大国としての中国が建設的な責任を果たすべき必要の指摘。概ね穏当な議論が展開される中、台湾問題や日本の軍国主義復活への懸念などには若干の違和感あり。ただし、例えば「中台統一のため軍事的準備を怠ってはならないが、一方で長期的には現状維持となるから短慮はいけない」という感じに「一方で」のような逆接詞を入れて本題につなげているところから見ると、こういうのは中国内部での一種のポリティカル・コレクトネスのようなものか。

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2010年3月23日 (火)

厳善平『叢書★中国的問題群7 農村から都市へ─―1億3000万人の農民大移動』、秦尭禹『大地の慟哭──中国民工調査』、清水美和『中国農民の反乱──昇竜のアキレス腱』、李昌平『中国農村崩壊──農民が田を捨てるとき』、他

 厳善平『叢書★中国的問題群7 農村から都市へ─―1億3000万人の農民大移動』(岩波書店、2009年)は、統計データを踏まえて中国の人口動態を概観。その中から農民工をめぐる構造的問題、とりわけ都市戸籍と農村戸籍の二元体制に起因する社会問題を浮き彫りにする。
・民国期の人口移動は原則的に自由、ただし移動人口の総人口比は低かった。動乱期の移動が目立つ。文革等の下放では都市から農村への政策的・一方的移動。
・中国人海外移動者を出身地別に見ると近年は多様化。在日中国人登録者数を見ても、かつては福建出身者(華僑を輩出)が多かったが、1980年代以降は大都市(上海・北京)、残留孤児等(遼寧・黒竜江)ほかと出身地の多様化傾向。
・農民工の移動の性質は2000年代に転換:①農民と非農民の兼業→非農業の専業へ、②農村・都市間の移動→都市社会への溶解へ、③生存目的の出稼ぎ→平等の追求へ。
・①「離土不離郷」→②「離郷不背井」(出稼ぎ→他地域居住は3か月以内に規制されているが、実態ははるかに超過して不法滞在→労働力として必要がなくなったらいつでも追い返せる仕組み)→③「離郷又背井」(都市定住化が進行中)。
・一人っ子政策で少子化→若年労働力の供給が減少、他方で労働需要は拡大→40歳以上の労働供給が増加。
・都市住民と農民工との賃金格差、給料の遅配・不払い。社会保障なし。子供の教育問題への影響。三無人員(住民身分証、暫住証、在職証なし)→強制送還でトラブル。
・都市/農村戸籍の二元体制により、都市に流入した農民工の地位は立場的に不安定、そこにつけこんで使い捨て可能→コスト抑制策として利潤の最大化→中国企業の経済発展を支えてきた。民工荒(労働力としての農民工不足)問題は、労働力の不足というよりも、使い捨てによって熟練労働力としてのスキル向上(人的資本の蓄積)が図られなかったところに起因するのではないかと指摘される。また、近年、人件費の上昇が見られるが、これは経済水準が上昇したからというよりも、本来なされるべきであった社会保障に遅まきながらも目が向けられつつあるという側面もある。

 秦尭禹(田中忠仁・永井麻生子・王蓉美訳)『大地の慟哭──中国民工調査』(PHP研究所、2007年)は、都会の最底辺にあって経済を支えているにもかかわらず、無視され、差別を受け、過酷な労働待遇にあえぐ農民工たちが直面している実態を描き出す。収入が乏しいというだけではない。不安定で孤独な中での精神的つらさ、結婚難や性生活の不如意。労災があっても保障はなく、経営者がコスト抑制を図って不衛生な生活環境の中で暮らさざるを得ず、健康被害に見舞われている。権利問題についての無知のため泣き寝入り、抗議しようにも方法がない。「民工荒」問題の背景としては、企業管理のまずさのため、よりましな待遇を求めた民工の移動という側面もある。民工の子供たちの問題も深刻だ。都市で親と一緒に暮らしても、都市民からの差別により疎外感、教育機会も不均衡。民工学校設立などの努力はなされているが、公立学校との落差は大きい。故郷に残っても、親から離れて暮らすため精神的不安定。いずれの場合にも心理的ケアの必要が指摘される。幼少時環境の劣悪さには格差再生産のおそれがうかがわれてくる。

 清水美和『中国農民の反乱──昇竜のアキレス腱』(講談社、2002年)は農民問題に焦点を合わせて取材したルポルタージュ。農村で権力を振るう地方幹部=「土皇帝」の横暴、その半面としてのパターナリズム。都市/農村戸籍の二元体制の中で農民が事実上の「二等公民」として縛られ、そうした状況を合わせて考えてみるとまるで封建時代の再来のようにも見えてくる。農民工として都市に出ても差別を受ける。民工学校の努力も紹介される。土地の流動化は農民の生活基盤そのものを崩してしまう可能性がある。「法輪功」の整然としたデモ活動をはじめ、農民層に静かに鬱積している爆発力がほのめかされる。

 中国内陸部の農民たちが置かれた惨状には構造的な人災としての側面が強い。地方幹部の腐敗、農民に課された重い負担金。農民たちは痛めつけられても抗する手段がない。李昌平(北村稔・周俊・訳、吉田富夫・監訳)『中国農村崩壊──農民が田を捨てるとき』(日本放送出版協会、2004年)の著者は、自身湖北省の農村の幹部であるが、荒廃した農村問題について当時の朱鎔基首相に直訴の書簡を送った。政府上層部がいわゆる「三農問題」に目を向けてもなかなか解決の目途が見えてこないところに問題の根深さがうかがえてくる。陳桂棣・春桃(納村公子・椙田雅美訳)『中国農民調査』(文藝春秋、2005年)は、安徽省でおこった農民たちの集団直訴(上訪・信訪)事件の取材を通して同様の問題を浮き彫りにしようとしている(→こちらで取り上げた)。

 都市に出てきた農民工が働く都市の工場現場については、以前にこちらアレクサンドラ・ハーニー(漆嶋稔訳)『中国貧困絶望工場──「世界の工場」のカラクリ』(日経BP社、2008年)、Leslie T. Chang, Factory Girls: From Village to City in a Changing China (Spiegel & Grau, 2009。邦訳はレスリー・T・チャン『現代中国女工哀史』栗原泉訳、白水社、2010年)を取り上げた。前者ではコスト抑制のため過酷な労働条件がまかり通っている現状について、後者ではむしろ夢を追って都会に出てきた少女たちの表情が描かれている。

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2010年3月22日 (月)

日端康雄『都市計画の世界史』

日端康雄『都市計画の世界史』講談社現代新書、2008年

 都市はその時代ごとの政治・経済・社会的要因が関わり合ったダイナミズムの中から生成し、古代以来、そのあり方は都市計画として表われてきた。本書は、世界史的な視野の中で都市の類型や要件、格子状街並の普遍性、バロック都市、社会改良主義の都市計画(住環境の悪化、人間疎外→コミュニティ再構築という問題意識)、近代的都市計画(大規模化ではなく、分節化の再組織)といった流れを概観。海外との比較を通して日本の都市の問題も浮き彫りにされる。都市問題についてのレファレンス本として重宝する。様々な論点の中でも関心を持ったのをメモしておくと、
・日本の都市には城壁がない(外敵の脅威なし。戦争は国土や人民の奪い合いではなく、天皇の取り合い。中世動乱期の寺内町のような例外もある)→近代的都市化→城壁を崩して環状道路をつくるなどの都市計画ができず。城壁という区分がないので周囲の自然地域・農村へ都市が侵食。
・バロックの都市計画(例えば、オースマンのパリ大改造):市役所が開発し、不動産売却→開発資金を調達→市場主義社会における公共事業経営のモデル。
・東京は道路・敷地割が無秩序→ゾーニングにおける規制はかえって無秩序な街並のさらなる形成につながるおそれあり。

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2010年3月21日 (日)

「息もできない」

「息もできない」

 借金取立てなど暴力的な裏稼業に生きるサンフン(ヤン・イクチュン)。母は死に、父と弟は精神的にすさんでしまった家庭の中で踏ん張ろうとしている女子高生ヨニ(キム・コッピ)。ふとしたきっかけで出会った二人は、それぞれの孤独な内面に相通ずるものを嗅ぎ取ったのか、互いに悪態をつきながらも次第に心安く付き合える関係になっていく。サンフンの心境に変化が芽生え、裏稼業から足を洗おうとするが、その変化は彼には珍しいスキとなり、運命は暗転──。

 この映画で描かれる光景には監督自身の生い立ちの中での体験が反映されているという。貧困やすさんだ家庭環境が世代間で再生産されてしまう問題は社会学でよく指摘されている。映画の背景にある韓国の「ヴェトナム・シンドローム」について日本ではあまり知られていないが、例えば金賢娥(安田敏朗訳)『戦争の記憶 記憶の戦争──韓国人のベトナム戦争』(三元社、2009年→こちらで取り上げた)で触れられている。

 ただし、こういった背景を理屈として分析したとしても「上から目線」のもどかしさを感じてしまう。そこには収まりきれない内面的なところでわだかまるどうにもならない焦燥感を主人公の粗暴な振る舞いの中から立ちのぼらせ、観客に追体験させていけるところにこの映画の意義があると言えるだろうか。情緒的な思いやりが強いのにそれをうまく表現できないサンフンの不器用さ。泥沼のように構造的な負の連鎖から脱け出せない困難。映画終盤でサンフンの親族・友人たちが集まった擬似家族的な団欒のシーンに一つの希望が示されるが、その中に彼の姿はない。映画としての完成度が高いだけに、このシーンに込められたつらさがいっそう強く胸をうち、コメントがなかなか難しい。

【データ】
監督・主演・脚本・製作:ヤン・イクチュン
2008年/韓国/130分
(2010年3月21日、渋谷・シネマライズにて)

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川島真・毛里和子『叢書☆中国的問題群12グローバル中国への道程 外交150年』、川島真編『異文化理解講座6 中国の外交──自己認識と課題』、川島真・服部龍二編『東アジア国際政治史』

川島真・毛里和子『叢書☆中国的問題群12グローバル中国への道程 外交150年』(岩波書店、2009年)
・中国政治外交史を主導する二人による中国外交史の通史。前半の清末~1949年までを川島、後半の中華人民共和国成立から現在までを毛里が分担執筆。共著ものというのはたいていどこかチグハグなものだが、本書は一貫した流れが出来ている。ポイントが簡潔にしぼられ、文献案内も充実しているので中国外交史入門としては最適だと思う。
・中国近代は国内政治が動揺しやすかった→外交を行ない、国際社会の承認を受けることが政権としての正当性。複数の政権の並存状態がしばしばあった点で「二つの中国」的素地は近代中国に育まれていた。
・領土を奪われたり、主権侵害の経験→被害者として自らを位置付け→国際的地位向上への熱意(150年経った現在、実現しつつあるとも言える)。冊封していた国々が列強により植民地化もしくは冊封からの離脱→これを中国の国権喪失過程として描く外交史は、国民の共同幻想としての「国史」。
・こうした歴史的経緯から中国外交にはナショナリズムとの親和性が強いが、他方で国力不十分であるため国際協調が主旋律となった。弱国としての現実、強国という理念的志向性との並存。
・国内の論理が外交に反映されやすい性質。
・毛沢東時期は、国際環境についてのリーダー(毛沢東)の認識が与件として内政に連動(反右派闘争、大躍進政策、文化大革命)→しかし、文化大革命後の権力闘争や経済破綻で政権の正当性磨滅→鄧小平時期は国内的要員〔安定、開放、発展〕が対外関係へと連動。
・毛沢東時期は向ソ一辺倒→中間地帯論→一条線戦略→三つの世界論。ソ連・アメリカに振り回された経緯を踏まえて、鄧小平時期になると独立自主(全方位外交)。
・国家主権・内政不干渉→平和共存五原則が現在でも最重要準則となっている。
・対日二分論(軍国主義者と一般日本人とに二分)→対日関係において道義性やリーダーの人格的関係に依存するもろさがあった。
・鄧小平時期になると、毛沢東時期の外交を規定していたナショナリズム・革命イデオロギーとは異なり、国家利益に基づくリアリズムの主張も広まった。
・経済発展→「責任ある大国」としての自覚。

川島真編『異文化理解講座6 中国の外交──自己認識と課題』(山川出版社、2007年)は中国外交関連の専門家11人が寄稿。中国にとっての「外交」認識、パブリック・ディプロマシー(外交としての広報活動)、対外文化交流のあり方、経済外交、軍事外交、中米関係、上海協力機構、対朝鮮半島政策、ASEANとの関係、国境線をめぐる外交、日中関係、それぞれのテーマを通して現代中国の外交を多面的に映し出す。

川島真・服部龍二編『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会、2007年)は日本・朝鮮半島・中国を中心に、第Ⅰ部で冊封体制にあった19世紀末から第一次世界大戦まで「伝統」と「近代」が重なり合いながら進められた東アジア国際秩序の再編成、第Ⅱ部でワシントン体制から第二次世界大戦後の脱植民地化まで、第Ⅲ部で戦後から現代につながる東アジア国際秩序の形成経過を通史的にまとめられている。執筆者はコラムも含めると第一線の研究者が網羅的に勢揃い、錚々たる顔触れだ。時間的にも空間的にも大きな枠組みの中で個別論点も詳細に論じられており、レファレンス本として手もとに置いておきたい。

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2010年3月20日 (土)

アーヴィング・ゴッフマン『スティグマの社会学──烙印を押されたアイデンティティ』

アーヴィング・ゴッフマン(石黒毅訳)『スティグマの社会学──烙印を押されたアイデンティティ』(改訂版第2刷、せりか書房、2003年)

・他者からの社会的信頼を著しく失わせる属性としてのスティグマ。正常/異常という対立そのものの是非ではなく、こうした社会現象が現実にあることを前提として、これをめぐる人びとの行動パターンを社会学的に分析。本書ではアメリカ社会における身体的ハンディキャップ、病者、同性愛者等々が中心で、人種的・民族的レベルまでは踏み込まず。
・スティグマを隠して越境(自らにまつわる情報の管理・操作)→パッシング(passing)→多様な生活上の準拠枠組みの中で二重生活、いつ露見するかという不安の中での生活→社会的アイデンティティ(社会関係における空間的なアイデンティティの分割)、個人的アイデンティティ(二重生活を管理・操作しなければならない内面的なアイデンティティの分割、一歩進んで社会的統合の工夫)、自我アイデンティティ(社会的にも内面的にも分割状況にあることの認識→アイデンティティとして定着)。
・社会化の段階:まず常人が持つ視角を学習→その視角から見て自分が失格していることを理解→常人が相手をどのように処遇するのかを学習→越境の仕方を会得。
・「常人のなかのもっとも幸運な人びとでも半ば隠れた欠点をもつのが普通であり、しかもどんな小さな欠点もそれが大きな影を投ずるときは、即時的な社会的アイデンティティと対他的アイデンティティの間に世人の目を避けたくなる乖離を生ずるようになる機会が社会には存在するのだ。たまに不安定な人と、常時不安定な人とは一つの連続体の上にある。つまり二つの型の人びとの生の状況は同一の枠組みで分析することが可能なのである。」(214ページ)。
・常人の役割とスティグマのある者の役割は同一部分の複合体。「恥ずべき差異」という概念自体が共通。→スティグマのある人は「逸脱点のある常人」。言い換えれば、その個人に固有の属性というのではなく、相対的な関係性の問題。
・「スティグマとは、スティグマのある者と常人の二つの集合に区別するっことができるような具体的な一組の人間を意味するものではなく、広く行なわれている二つの役割による社会過程を意味していること、あらゆる人が双方の役割をとって、少なくとも人生のいずれかの出会いにおいて、いずれかの局面において、この過程に参加していること」。「常人とか、スティグマのある者とは生ける人間全体ではない。むしろ視角である。それらは、おそらくは出会いを機に具体的に作用することになる未だ現実化していない基準によって、さまざまの社会的場面で、両者が接触する間に産出されるものである。」→常人、スティグマ所有者の区別は役割の相対的な相違→「多くの場合ある面ではスティグマのある個人が他の面でスティグマのある人びとに対して抱く偏見が全部常人のものそっくりそのままであっても、驚くにはあたらない」(231~232ページ)。

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2010年3月19日 (金)

広井良典『定常型社会──新しい「豊かさ」の構想』『持続可能な福祉社会──「もうひとつの日本」の構想』『グローバル定常型社会──地球社会の理論のために』『コミュニティを問いなおす──つながり・都市・日本社会の未来』

広井良典『定常型社会──新しい「豊かさ」の構想』(岩波新書、2001年)
・高齢化、人口・資源が量的に均衡点に向かいつつある、つまり経済の拡大成長を主要目標とはしない社会。こうした「定常型社会」における持続可能な福祉社会をどのように構想するかを模索。
・伝統的社民主義・ケインズ主義(大きな政府)/伝統的保守主義・市場主義(小さな政府)→方向性が正反対に見えても、経済成長志向という点では両方とも同じ。
・「個人の機会の平等」→原理的に突き詰めればスタートラインを同じ地点に設定しなければ公正とは言えない→相続税の強化(資産格差が出発点における機会の不平等を生み出してしまうのだから、相続税を財源として「人生前半の社会保障」に充当→個人の潜在的自由を保障)。現実問題としては、ハンディを負った人でも潜在的自由を保障する必要である点に社会保障の意義を求める。つまり、個人のライフサイクルを座標軸とした社会保障。事後的な施策ではなく、将来のアクシデントに備えて未然防止としてのセーフティネット。
・資源・環境など地球規模での制約の中にあっても存続できる福祉社会。
・個人単位ではなく、世代間継承を意識。
・高齢者や子供は土着性が強い→地域重視。
・時間の消費(余暇・レクリエーションなど文化活動、ケア、生涯学習など自己実現)→市場経済の枠組みには収まらない。

広井良典『持続可能な福祉社会──「もうひとつの日本」の構想』(ちくま新書、2006年)
・「持続可能な福祉社会」=「定常型社会」:個人の生活保障や分配の公正が十分実現されつつ、それが環境・資源制約とも両立しながら長期にわたって存続できる社会」。
・上掲書で展開された議論を踏まえ、社会保障のあり方と長期的持続性とを結び付ける形でライフサイクル、雇用、教育、年金、再分配、資本主義、環境、医療、コミュニティなど様々な論点を検討。
・かつて日本では「終身雇用」(会社単位)「核家族」による「見えない社会保障」という形を取ったため、社会保障は老後・障害者などこのシステムから外れた人々への手当て(事後的な施策)として捉えられてきた。しかし、雇用流動化、格差拡大などの社会的変化を踏まえ、会社単位ではなく個人のライフサイクル単位で社会保障を考えなおす必要。人生の後々まで影響を及ぼしてしまう人生前半期での社会保障(とりわけ教育機会の平等)という問題意識。
・言い換えれば、自立した個人を前提としつつ、それを支える公共性の確立を理念とする。情緒的共同体が同心円的に広がるつながり、独立した個人としての公共意識に基づくつながり、両方のつながりをバランス。

広井良典『グローバル定常型社会──地球社会の理論のために』(岩波書店、2009年)
・「定常型社会」=「持続可能な福祉社会」を構想して上掲書で展開された議論を、文明史的な次元で大きく捉え返していく。
・ナショナル・ミニマムは、誰を福祉国家内の成員とみなすかを確定しなければならないという意味でナショナリズムと親和的な考え方→グローバル・ミニマム。

広井良典『コミュニティを問いなおす──つながり・都市・日本社会の未来』(ちくま新書、2009年)
・国家レベルと個人レベルとの中間団体としてのコミュニティ。→「生産のコミュニティ」/「生活のコミュニティ」、「農村型コミュニティ」/「都市型コミュニティ」、「空間(地域)コミュニティ」/「時間(テーマ)コミュニティ」、それぞれのタイプの重なり合いとしてコミュニティを把握。
・「農村型コミュニティ」は情緒的・非言語的つながり(内部的関係性)、対して「都市型コミュニティ」は規範的・理念的ルールの普遍性に基づく開放的なつながり(外部的関係性)。→後者が重視される一方、人間は感情的次元を持つため、相互補完性が不可欠となる。
・「私」(→市場)中心のシステムが進展するにつれてインフォーマルな「共」的基盤が弱体化。しかし、それに代わる「新しいコミュニティ」(公共性)としての関係性を基礎付ける価値原理が未確立。
・「公」(政府レベル)─「共」(地域社会)─「私」という重層性。
・戦後日本社会では「終身雇用」による「見えない社会保障」という形を取ったため、社会保障の問題は老後に集中。しかし、社会構造の変化(雇用流動化、格差拡大)→「機会の平等」か「結果の平等」かという対立ではなく、前者の保障のためにこそ制度的介入が必要となる。従って、「人生前半の社会保障」が政策的に必要。
・ケアの空間化という問題意識。世代的継承性→「持続可能な」地域社会としてのコミュニティ政策。「都市」的視点と「福祉」的視点とを別個に立てるのではなく、両者を絡ませた形での政策が必要。
・近代科学の基盤としての要素還元主義に沿って従来の社会政策は組み立てられてきた。しかし、個体間のコミュニケーションがケアの本質的意味として重要であり、その場としての「コミュニティ」。

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2010年3月18日 (木)

橋本健二『「格差」の戦後史──階級社会 日本の履歴書』『貧困連鎖──拡大する格差とアンダークラスの出現』

 橋本健二『「格差」の戦後史──階級社会 日本の履歴書』(河出ブックス、2009年)は、社会学的な「階級」もしくは「社会階層」という概念をもとに戦後日本社会における構造変化の動態を読み解く。「階級」と言ってもマルクス主義イデオロギーの不毛さとは距離を置いた学術用語である点に注意。「格差」は量的な差異を示す中立的用語だが、分断状態の質的差異が見失われやすい。「貧困」はイメージしやすい言葉だが、それをめぐる差異が目えづらい。「結果の格差」と「機会の格差」、二つの原理が理念的によく語られるが、現実には両方が絡まりあってカテゴリー間の格差再生産につながっており(例えば、教育機会の格差と経済状態は結び付いており、親の出身階級に左右されていることは近年指摘されている。苅谷剛彦『階層化日本と教育危機──不平等再生産から意欲格差社会へ』[有文堂高信社、2001年]を参照)、こうした問題を経済的・社会的資源配分の不均等としての「階級」概念によって可視化。資本家階級・労働者階級という二項対立ではなく、旧中間階級(自営業等)、新中間階級(正規雇用者等)を加えた四階級モデルが本書の分析視角。地位の非対称性と賃金格差が結び付いている点で、現在では正規雇用者と非正規雇用者との間に搾取関係のあることが指摘される。

 橋本健二『貧困連鎖──拡大する格差とアンダークラスの出現』(大和書房、2009年)は現状分析。九割中流という幻想が破綻していることはすでに社会全体で実感されているが、自民党政権時代の政府・財界が「格差はみせかけ」と主張していた一方で、親の経済状態と子供の教育水準とが連動しているという問題意識から実態調査をしようとしても教育現場では「差別につながる」として反対があったらしい。その二重の意味での逆説が目を引いた。生活の不安定な非正規雇用の増大→従来型の階級構造のさらに下に位置するアンダークラスとなり、生活水準の低さから家庭形成困難→子孫を増やすという意味での世代再生産困難(山田昌弘『少子社会日本──もう一つの格差のゆくえ』[岩波新書、2007年]の結婚格差の指摘とパラレルな議論だ)。さらに、健康格差、生命格差の問題。自己決定は選択肢が健全に保証されてはじめて成立するが、機会格差拡大の現状を放置しながらそれを正当化しようとする「自己責任」イデオロギーの欺瞞が指摘される。

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2010年3月17日 (水)

楊海英・新間聡『チンギス・ハーンの末裔──現代中国を生きた王女スチンカンル』、楊海英『モンゴル高原の文人たち──手写本が語る民族誌』

 楊海英・新間聡『チンギス・ハーンの末裔──現代中国を生きた王女スチンカンル』(草思社、1995年)は、オルドス在住のモンゴル貴族出身女性スチンカンルから聞き取ったオーラル・ヒストリーをもとに、中国領内モンゴル人に襲い掛かった苦難を描き出す。彼女は共産党の活動に一所懸命に努力しても、「悪い出身階層」であるがゆえに認められない。そればかりか、難癖をつけられて迫害された。モンゴルの生活文化に対する漢人の無理解(定住化の強制、牧畜集団化の失敗など)はモンゴル人の生活基盤を崩してしまい、漢語教育の押し付けなど大漢族主義の傲慢さは、民族文化消滅の危機をもたらした。中国共産党がかつてモンゴル人を懐柔するためにアヘンを用いたことも指摘されている。文化大革命前後の残酷な迫害については楊海英『墓標なき草原──内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(上下、岩波書店、2009年)に詳しい(→こちらで取り上げた)。

 上掲書はオーラル・ヒストリーだが、楊海英『モンゴル高原の文人たち──手写本が語る民族誌』(平凡社、2005年)は手写本に注目、そこに表現されている様々な語りを通してモンゴル史の再構成を目指す。日本の東洋学研究にも長年の蓄積があるが、かつてそれは主に漢文史料に基づいていたため漢人視点に立った塞外史としてモンゴル史を捉える形になっていた。そうした傾向は中国国内により顕著なことは言うまでもない。遊牧民族も自分たちの歴史を文字に記してきたにもかかわらず、漢人=文明/遊牧民=野蛮という偏見から、モンゴル語史料の価値が無視されてきたという問題意識を本書は示している。手写本の喪失はすなわちモンゴル文化消滅を意味する。反右派闘争・文化大革命をはじめ漢人から受けてきた政治的弾圧の中でも身を挺して守ってきた人々の努力に敬意が払われる。少数民族出身研究者は、場合によっては投獄されかねないようなナーバスな政治状況と隣り合わせである。従って、「自民族中心主義」「分離独立主義」などと言いがかりをつけられるような隙を見せないためにも客観性・政治的中立性に細心の注意を払わねばならないという難しさを、自身モンゴル人である著者は指摘している。

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2010年3月16日 (火)

張承志『殉教の中国イスラム──神秘主義教団ジャフリーヤの歴史』『紅衛兵の時代』

 張承志(梅村坦・編訳)『殉教の中国イスラム──神秘主義教団ジャフリーヤの歴史』(亜紀書房、1993年)は、中国イスラムの一つ、ジャフリーヤ派の内面世界に踏み込み、彼らの抵抗と殉教を軸として回族の歴史を再構成する。原著のタイトルは『心霊史』となっているらしい。相次ぐ回民大反乱を、唯物史観的な社会経済の矛盾としてではなく、信仰のあり方から内在的に捉えようとしている。共産党政権下のイデオロギー硬直性がまだ強かった出版時点では稀有な視点と言えるだろうか。

 ジャフリーヤ派はスーフィズム(神との合一を求める内面的志向性)系の新教であり、18世紀に現われた馬明心の教えが、黄土高原の過酷な自然環境にあって貧しく虐げられてきた人々のくじけそうな気持ちをとらえた。清の乾隆帝の時代、馬明心は政府軍によって処刑され、以来、抵抗と殉教が彼らの精神的アイデンティティーとなった。清朝の弾圧による流刑や逃亡によってジャフリーヤ派は新疆・雲南をはじめ中国各地に散らばっていく。

 著者の張承志自身が回族の出身であり、北京生まれのエリート学生ではあったが、文化大革命のとき、理想主義的情熱から底辺の地域や民族に分け入って内モンゴルで牧民として暮らす。その体験を通して精神的彷徨の末、ジャフリーヤ派への関心が芽生えたという。その経緯は自伝的な作品『紅衛兵の時代』(小島晋治・田所竹彦訳、岩波新書、1992年)に記されている。「紅衛兵」という言葉そのものは彼の発案だったらしい。ただし、初期紅衛兵として理想的情熱を抱いていた彼自身からすると、その後の文化大革命の政治的混乱にはだいぶ違和感があったようだ。文革時にエリート紅衛兵に見られた、「良質な」革命家庭出身者>「悪質な」反革命家庭出身者と人間を生まれでカテゴライズする血統主義に対しては強い反感をもらしている。

 紅衛兵体験ものでは、だいぶ昔に陳凱歌(刈間文俊訳)『私の紅衛兵時代──ある映画監督の青春』(講談社現代新書、1990年)を読んだ覚えもある。細かい内容は忘れてしまったが、父親をつるし上げた後悔の念は印象に残っていた。

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2010年3月15日 (月)

中薗英助『何日君再来物語』

中薗英助『何日君再来物語』(河出書房新社、1988年)

 私は、李香蘭はもちろん、テレサ・テンもすでに歴史上の人物という感じでピンと来ない世代である(「アジアの歌姫」という表現を見ると、フェイ・ウォンなどがまず頭に浮かんでしまう。こちらもすでに旬は過ぎているとは思うが)。当然ながら、「何日君再来」(いつのひきみまたかえる/ホー・リー・チュン・ツァイ・ライ)という曲も聴いたことはない。それでも、たった一つの歌をめぐってこんなにミステリーがまとわりついているのかと、背景を知らないだけにかえって新鮮な興味で読んだ。

 周璇、李香蘭、渡辺はま子、テレサ・テン、中国語・日本語それぞれで歌われ、受け止め方もそれぞれ。中国では、日本軍の謀略工作か、それとも抗日歌か? 蒋介石を待ち望む歌? 共産党政権下ではエロで頽廃的だから禁止すべきとされた。時代の政治的思惑も渦巻く中で正反対の解釈がまかり通り、タブー視されたり、日中友好歌とされたり。ペンネームを使った作詞・作曲家の正体も分からず、最終的に劉雪庵の名前が突き止められるが、彼は反革命的と迫害を受けた末、著者の連絡と行き違うようにこの世を去っていた。

 中国で「漢奸」と決め付けられてしまった人々の立場的もしくは内面的葛藤には以前から関心がある。台湾出身で漢奸と名指しされて暗殺された新感覚派の文人・劉吶鴎の名前も本書に出てきたが、彼については田村志津枝『李香蘭の恋人──キネマと戦争』(筑摩書房、2007年)で知ってから興味を持っている。

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2010年3月14日 (日)

「台北に舞う雪」

「台北に舞う雪」

 大陸出身で新人歌手として台北でデビューしたメイ(トン・ヤオ)。精神的ストレスから声が出なくなり行方をくらませた彼女は、山あいの田舎町・菁桐でモウ(チェン・ボーリン)と出会う。孤児として町全体を家族のように思う彼の優しさに接して、メイは徐々に声を取り戻していく。

 ストーリーは可もなく不可もなくという感じ。それよりも、よく計算された美しい映像がこの映画の見所か。フォ・ジェンチイ監督はミュージック・プロモーション・ビデオのように凝った映像を作れる人なんだな。時折、大都会・台北のシーンも挿入され、菁桐の町の穏やかな空気が対照的に際立たせられる。その中にたたずむ、チャン・ツーイー似の清楚な美人トン・ヤオの憂い気な表情が印象的だ。

 菁桐には一度行ったことがある。日本統治期に建てられた駅舎の屋根の苔むした緑色が最初に目にとまり、かつて鉱山で栄えた時代の線路や橋脚なども木々の中に埋もれ、町全体が緑の中に静かに沈んでいるという印象があった。駅の線路脇から丘をのぼる階段が目に入って登ってみようと思ってやめた覚えがあるのだが、その上の集会スペースが映画終盤のコンサート会場になっていた。天燈は手前の平渓で季節はずれだが観光客向けのデモンストレーションとして一つ空に飛ばしていくのを見た。菁桐に到着した時はすでに夕方であまり歩き回らずに引き揚げたのだが、映画を観ると、思っていたよりも大きめな町なんだな。あるいは、平渓でもロケをしたのか。平渓は線路の両脇に商店街が並んでいる風景が印象に残っている。

【データ】
原題:台北飄雪
監督:霍建起(フォ・ジェンチイ)
原案・脚本:田代親世
2009年/中国・日本・香港・台湾/103分
(2010年3月14日、シネスイッチ銀座にて)

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坂野潤治『近代日本の国家構想1871─1936』『日本政治「失敗」の研究』、井上寿一『昭和史の逆説』、他

 19世紀以来、(日本に限らず)新興国家が直面した課題は、国家建設のため上からの権力的リーダーシップを確立する一方で、下からの民主化要求をどのように両立させるかという問題であり、そうした葛藤の中から憲法に基づく議会制度整備としての立憲主義が求められたと言える。

 坂野潤治『近代日本の国家構想1871─1936』(岩波現代文庫、2009年)は、廃藩置県により軍事・租税を手中に収めて中央集権政府として緒についた1871年から二・二六事件で岡田啓介内閣が退陣する1936年までのタイムスパンにわたり、立憲政体構想をめぐって政治史の焦点となった対立軸を浮き彫りにする。左右の二項対立ではなく、実効性あるシステムを模索した中道派に着目しているのが本書の特色である。明治憲法にある天皇大権の規定は大きな障碍ではあったが、穂積八束の天皇主権説はともかく、内務官僚・都築馨六の超然主義で示されていた政党政治家のアマチュアリズムが党利党略に走って国家的事業を妨げかねないという懸念はいつの時代でも一つの議論としてあり得る考え方で、必ずしも当時の時代的制約とは言えないだろう。明治憲法に現在の観点からすれば大きな欠陥があったのは確かにしても、憲法正文と現実の社会的変化とのせめぎ合いで政治過程の変容も進んでおり、事実上の解釈改憲や政治的運用を通して政権交代可能な立憲政治への道は開けていた。本書では、憲法制定に先立って福沢諭吉『民情一新』ですでにイギリス・モデルの議院内閣制が広く知られていたこと、さらに吉野作造の民本主義の実現勢力としてリベラル派の憲政会=民政党や社会民主主義の社会大衆党右派に注目される(二・二六事件直前の総選挙では民政党が第一党、社会大衆党も5→18議席と躍進しており、社会民主主義的政治枠組みへの期待があったことが指摘される)。政友会に対する評価は辛い。

 戦前期日本政治について、侵略戦争への反省の行き過ぎからすべてを国家主義・軍国主義として断罪してしまう傾向がかつての戦後アカデミズムには強かった。しかしながら、紆余曲折があったとはいえ、日本のデモクラシー経験はすでに百歳を超えているという事実は重い。坂野潤治『日本政治「失敗」の研究』(講談社学術文庫、2010年)は、美濃部達吉の「解釈改憲」としての天皇主権説、吉野作造の政治的運用としての「民本主義」(明治憲法の規定には矛盾するが、民意→運用で正当化→現在の自衛隊合憲論にも比較すべき拡大解釈)、民政党の民主的リーダーシップ、社会民主主義政党としての社会大衆党の総選挙における勢力拡大などを検討する。戦前の自由主義、民主主義、社会民主主義も結構いい線まで行っていた。ところが、戦前を否定するあまりそうした良質な部分まで無視されてしまい、明治以来の蓄積があるデモクラシーが思想的伝統として受け継がれなかったという問題意識が本書の動機となっている。

 デモクラシーは明治期には借り物思想だったかもしれないが、昭和・平成に入ってからはもはや借り物ではない。すでに自前の思想的伝統を持っていた。明治、戦前、戦後をそれぞれ線引きして別個に分けて論ずるのではなく、明治から現代に至るまでデモクラシー確立に向けた流れが連綿として続いていることを一つの総体として捉える議論がもっと出てきてもいいのではないか。

 井上寿一『昭和史の逆説』(新潮新書、2008年)は、思惑のすれ違いや誤算の連続で戦争の泥沼へと引きずり込まれてしまった当時の政治状況を描き出す。読み物的なスタイルだが、最近の学術的成果をしっかり取り込んで昭和初期政治史のポイントを簡潔に提示してくれる。オビには「民主主義が戦争を生んだ」とあるが、五・一五事件、二・二六事件とキナ臭いテロが頻発する一方で、総選挙の結果から見ると政友会は凋落、民政党・社会大衆党による社会民主主義的な政治枠組みへの期待があった(二・二六事件直前の1936年及び翌37年の総選挙ではいずれも民政党が第一党、社会大衆党は5→18→37議席と大躍進)。具体的には、国民一般レベルにおける経済問題、とりわけ格差是正への関心である。戦争景気は国民を沸き立たせ、電力国家管理法案・国家総動員法案は軍部主導によるが、国民の意向を汲み取った社大党はこれを社会改革として支持した。

 以下、社会大衆党について蛇足。同時代のイギリス政治を見ると、①保守党・自由党の二大政党制における第三勢力として労働党が議席数を拡大→②自由党・労働党連立政権として政権参加→③戦後は労働党が二大政党制の一翼として単独政権(自由党が第三勢力に転落)という流れがあった。日本の社大党の場合、1936・37年総選挙における躍進は①にあたるし、民政党との協力の可能性があった点では②まで手をのばしていた。その後、近衛文麿の新体制運動に社大党は率先に立って参加、近衛も政友・民政両党に代わる新興勢力として期待を寄せていた。当時、政友・民政二大政党への幻滅感から革新勢力として国民の注目を浴びていたのが軍部と社大党であり、中野正剛の東方会が社大党との合併を目論んだのもこうしたブームに乗ろうという思惑があったからだ。つまり、戦争協力の是非というフィルターを外して考えてみると、社会民主主義勢力の着実な拡大傾向も当時の政治要因として織り込まれていたことが分かる。ただし、新体制運動に走った右派は戦争協力の負い目に縛られ、戦争批判をした左派は戦後になってスターとなった。戦後の日本社会党において、現実柔軟性のある右派が発言権を喪失、イデオロギー硬直的な左派が看板となり、結果として社会党が国民政党に脱皮できない体質へとつながってしまった。

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2010年3月13日 (土)

中薗英助『北京飯店旧館にて』『北京の貝殻』

中薗英助『北京飯店旧館にて』(筑摩書房、1992年)、『北京の貝殻』(筑摩書房、1995年)

 日本軍占領下の北京、放浪語学生として日本人・中国人の友人たちと文学談義をたたかわせた日々の追憶をつづった小説。40年以上たって再訪、現在の街並の変貌に戸惑いつつも、その中にも所々残るたたずまいから脳裡が刺激されて立ち上る記憶。見覚えのある街路や樹木をきっかけに、もう出会うはずのない友人知己と幻の中で邂逅するかのように往年の青春期を振り返る。憲兵隊に殺害されたと聞く親友だった演劇人、大東亜文学賞を受賞したがため後に漢奸作家として迫害を受けることになる袁犀(戦後は李克異と名乗る)、頽廃的な曲を書いたとしてやはり文革で迫害を受ける作曲家の劉雪庵、気がかりだった人々のことを調べて回るが、納得のいく理解がなかなか得られないもどかしさ。日本軍占領下における北京の文化的シーンが著者自身の生身の出会いや葛藤を通して描かれる。一対一の人間同士として付き合っていたつもりでも、侵略者の一員である自分と、中国人の友人との間によぎっていた影、いつまでも残っていた心のトゲを見つめなおしていく。

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2010年3月12日 (金)

宮本太郎『福祉政治──日本の生活保障とデモクラシー』『生活保障──排除しない社会へ』

 宮本太郎『福祉政治──日本の生活保障とデモクラシー』(有斐閣、2008年)は戦後日本での福祉をめぐる政治の展開を整理する。戦後日本の福祉政策は福祉レジーム(所得再配分)よりも雇用レジーム(雇用の保障)に力点が置かれ、それは業界・会社・家族によって成り立つ「仕切られた生活保障」という形をとった。これを担ったのは幅広い利益を包摂した自民党政権であり(経済成長の前提要件として格差是正が必要という考え方)、対して左派野党の急進性→平和問題など「文化政治」が対立図式の主軸となり、福祉は政治的争点としては傍流に置かれてしまった(左派は建前としては福祉を標榜しつつも、その具体案は示さず)。保守政権は、デモクラシーという制度的しばりがあったからこそ、様々に相反する利害対立に二股かけざるを得なかったとも言える。近年、福祉制度の再編が迫られ、市場主義的な構造改革の進行と共に、「行き過ぎた平等社会」論と「格差社会」論とが奇妙な共存。社会的公正を多くの人々が納得できる原理が確立されていない中、政治の膠着状態。言説政治の変化(かつての調整型言説→小泉ブームに顕著に表われたようにコミュニケーション的言説の肥大化)についての議論に興味を持った。背景として、従来制度の揺らぎ、利益団体経由の組織政治が機能不全、個別利益の多元化、政治の集権的傾向といった要因が指摘される。コミュニティーや家族などがもはや自明視されなくなっている現在、ライフスタイルの再定義も含め、人々の社会参加を通したライフ・ポリティクスという問題意識が示される。

 これまで日本の福祉政策が依拠してきた「仕切られた生活保障」は、その前提条件である持続的雇用がグローバル化・脱工業化の進展により掘り崩されてしまっている。宮本太郎『生活保障──排除しない社会へ』(岩波新書、2009年)はこうした中で新しい生活保障をどのように制度設計すればよいのか、その方向性を模索する。考えねばならない条件として、①社会の流動化・個人化→柔軟性に対応した制度、②人間としての相互承認を可能にする「生きる場」の確保、③ワーキング・プア等の増大→補完的保障、④社会全体の合意可能性を挙げる。比較モデルとしてスウェーデン型生活保障のプラス・マイナス両面を検討(高福祉が必ずしも経済成長とトレードオフの関係にあるわけではない。就労支援としての雇用保障により労働力の流動もスムーズ。ただし、近年の経済環境の変化により雇用減少という現実に直面)。そこから、「殻の保障」(例えば、日本の「仕切られた生活保障」)ではなく、スウェーデン型の「翼の保障」、つまり困難やリスクに直面したときにそれを乗り越えて社会参加し続けられるよう支援という考え方を引き出し、アクティベーションと表現。就労を軸にした社会参加と税負担とが対になったルールの明示化により社会的合意を得て、排除される者のない社会形成へ向けた方策を探る。

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フェルナン・ブローデル『歴史入門』

フェルナン・ブローデル(金塚貞文訳)『歴史入門』(中公文庫、2009年)

 大著『物質文明・経済・資本主義』の内容をブローデル自身が要約的に語った講演が本書のもと。一般論としての歴史学入門というよりも、アナール派の歴史観入門。マルクス主義に顕著に見られるように発展段階として歴史を捉えるのではなく、人間の歴史的体験が織り成された複数の時間的厚みが空間的にも共時的にも様々に並存、それらの大きなダイナミズムとして歴史を捉え返していこうというところにブローデル史観の画期点。本書が眼目を置くのは資本主義の生成というテーマだが、長期持続としての日常的な生活構造である物質文明がまずあり、その上に早くから交換活動としての市場経済が芽生えていた。ブローデルは市場経済と資本主義とを明確に区別し、市場経済が生成した中でも一定の条件が揃った所で資本主義が繁栄、こうした三層構造として社会経済史を把握していく。

 本書やリセの教科書として書かれた『文明の文法』(Ⅰ・Ⅱ、松本雅弘訳、みすず書房、1995・1996年)などを読んでブローデルを読んだ気になっているのだが、『地中海』や『物質文明・経済・資本主義』まではなかなか手が回らない…。

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2010年3月11日 (木)

張承志『回教から見た中国──民族・宗教・国家』、楊海英『モンゴルとイスラーム的中国──民族形成をたどる歴史人類学紀行』

 中国西北部は人口的にはともかく面積的には広大なイスラム圏が広がっており、歴史的にもイラン系、トルコ系、チベット系、モンゴル系、漢系と様々な人々が入り組んで複雑な民族状況を呈していた。漢語を母語とするムスリム系は回族として一つの民族に認定されている。

 張承志『回教から見た中国──民族・宗教・国家』(中公新書、1993年)は、この回族の視点に立って7世紀以降の歴史を通観、そこから国家体制と宗教との緊張関係を見つめていく。唐代に西方から移入してきたムスリムに回族の起源が求められるが、本書は三つの喪失という観点から回族を捉える。第一に、故郷喪失。第二に、母語の喪失→漢語を話す。この点では漢族と同様に見られるようになるが、ただし宗教意識を支えにしながら母語のない民族としての生き方を求めた。ところが、清朝や共産党政権下では迫害を受け、さらに現在進行中の経済至上主義によって民族の根幹としての信仰心も危機にさらされているという。これが第三の喪失である。回族の存在を通して、信仰に重きを置かない中国文明を相対化する視点を示そうとする。著者は北京生まれだが回族の出身で、少年期に学校で侮辱された記憶を記している。1930年代に上海・南京・北京など都市部でイスラムを侮蔑する出版物が出てムスリムは反発、漢人側はそれを言論妨害とみなしてさらに揶揄、大騒動に発展したという事件が目を引いた。近年のオランダにおける諷刺画事件なども想起される。

 中国内イスラム圏の多様さは、回族、ウイグル人の他にも、イスラムの信仰を受け入れたモンゴル人(保安族、東郷族)やチベット人の存在にも表われており、こうした「民族」なるものの多重人格的複雑さは単純な断案を許さない。楊海英『モンゴルとイスラーム的中国──民族形成をたどる歴史人類学紀行』(風響社、2007年)は、モンゴルとイスラム世界との関わりを探るため、寧夏・甘粛・青海を踏査。単なる学術調査というのではなく、旅の風景、現地の人々とどのように打ち解けたのか、そういった旅行記的な要素も合わせ持ったフィールドワークの記録として興味深く読んだ。オルドスのモンゴル人には、19世紀の回民大反乱で略奪・虐殺を受けた記憶が伝承されているらしい。それでは、なぜ回民は反乱へ追い込まれたのか?とも著者は問う。漢人による差別、清朝の役人による圧制、こうした背景の中で彼らが窮していたことをモンゴル人は知らないと言う。モンゴル人は清朝と同盟関係にあり、清朝崩壊後、回民は国民政府と手を組んだという政治力学もあった。

 本書には、イスラムとの関わりを捉え返すことで、著者自身の属するモンゴル自身の多様性を考え直そうという意図がある。そして、他者としてのムスリムを研究対象として向き合うとき、「客観性」の呪縛から脱して彼らの「生き方」の歴史、精神世界にまで踏み込んだ内在的理解を求めようという点で張承志を導き手として強く意識している。同時にそれは、他者視点の「客観的」研究が少数民族の政治的地位にも強い影響を及ぼしてしまう懸念がある点で、中国で従来主流であった漢文史料中心の歴史再構成に対する異議申し立てにもつながっている。モンゴル史研究でもモンゴル語史料の活用が怠られていること、保安族・東郷族など自前の文字史料を持たない民族の研究をどのように進めるのかといった問題意識が示されている。

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2010年3月10日 (水)

楊海英『墓標なき草原──内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』

楊海英『墓標なき草原──内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(上下、岩波書店、2009年)

 民族性の超克という麗しく響く理念が、思想としてではなくある民族の物理的消滅を意味するとしたら、これほどおぞましい戯画もないだろう。文化大革命が中国社会に残した傷痕はいまだに引きずられているが、それは中国社会全体の経験として一般化できるものではなく、内モンゴルでは別のコンテクストを伴っていた。多数派たる漢人が階級闘争という大義名分の下でモンゴル人に対して行なった残忍な虐殺──。本書は、その凄惨な嵐を生きのびた人々から聞き取った証言をもとに、殺戮がエスカレートしていった実態を克明に描き出す。著者自身がモンゴル人で、証言者の中には親族も含まれている。

 日本の敗戦直後、内モンゴルの指導者たちはモンゴル人民共和国との統一合併に向けて動いたが、当時の国際情勢はそれを許さない。やむを得ず、中国内部での高度な自治を目指した。内モンゴル東部はかつて旧満州国に編入されていたため、モンゴル人の間には建国大学、興安陸軍軍官学校、医科大学、さらに日本留学などで近代教育を受けた軍人・知識人が育っており、「日本刀をぶら下げた者たち」と呼ばれていたという。彼らの知的に洗練された振る舞いは、人民解放軍の無学で乱暴な漢人軍人たちと際立った対照を見せ、当初は利用価値ありとされていたものの、「対日協力者」として危うい立場は免れなかった。文化大革命では、彼ら「日本刀をぶら下げた」東部出身者と延安派モンゴル人との抗争が共産党上層部によってたくみに仕組まれ、共倒れすることになる。

 遊牧を生業とするモンゴル人にとって大切な牧草地を、後からやって来た漢人入植者が開墾、モンゴル人の生活は打撃を受ける。モンゴル人は広い牧草地を利用=地主階級、対して漢人は土地を持たない=無産階級という構図が強引に引き出され、モンゴル人に対する民族的圧迫が階級闘争のロジックにすり替えられた。中ソ論争の激化によって内モンゴルはソ連及びモンゴル人民共和国に対する最前線と位置付けられ、大漢族主義と少数民族への不信感からモンゴル人に対する粛清が正当化された。文革が終わり、「行き過ぎがあった」と総括はされても、殺戮を重ねた漢人は誰一人として罪に問われることはなかった。高名なモンゴル人作家一人がスケープゴートとして有罪判決を受けただけである。すべてはモンゴル人同士の内輪もめで漢人は関係ない、というわけだ。

 一見もっともらしい革命イデオロギーがそのロジックを恣意的に操作して、裏に潜む民族的偏見を隠蔽、結果として多数者による少数者への抑圧・抹殺が正当化された危うさ。本書では、毛沢東・共産党・漢人に対する憎悪に近い筆致に驚くこともある。ただし、著者自身が冷静になれないところを自分の限界だと認めているし、それだけ激しい口調をせねばならないほどの受難にモンゴル人がさらされてきたことは銘記しておかねばならない。チベットやウイグルの問題については比較的知られている。対して内モンゴルの問題が海外の注目を浴びないのは、平和だからではない、声をあげるべき知識階級がすべて抹殺されてしまったからだという。

 本書は日本語で書かれている。漢人による少数民族圧迫の現実を訴える本を言論統制下にある中国本土で刊行することは難しい。こうした事実は一般の漢人にどれだけ知られているのだろうか。悪意はなくても、知らない=なかったと思い込まれ、場合によっては言われなき中傷だという反発すら招き、議論の前提が共有されていないのでそもそも話が通じないかもしれない。オープンな議論ができない社会では、加害者も被害者も双方が不満や恨みを内にため込んでしまい、和解がどれだけ可能なのか、心もとなく感じてしまう。

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2010年3月 9日 (火)

河西秀哉『「象徴天皇」の戦後史』

河西秀哉『「象徴天皇」の戦後史』(講談社選書メチエ、2010年)

 「象徴」という言葉は実に曖昧で、捉えようによっては相異なる立場からの意味づけも可能となる。本書は、敗戦直後から「象徴天皇制」確立に至るまで様々にかわされた天皇制をめぐる議論を検討、一定のコンセンサスへと収斂していく過程を整理してくれる。そこからは、日本国民統合の支柱としての天皇の伝統的存在感を、戦後民主主義という新しい価値観へどのようにして適応させていくかという葛藤が浮かび上がってくる。例えば、政界保守派に根強かった天皇を統治の中心と位置付ける考え方と、学生運動の反発に見られた「一人の人間」として捉える天皇観との対立は、そうした相克の極端な表出だったとも言えよう。

 天皇退位論には二つの考え方があった。第一に、昭和天皇自身の自発的退位によって国民を納得させようという道義的責任。第二に、戦争という過去のイメージから切り離して新しい国家像にふさわしい天皇を選びなおそうという意図。この二点によって天皇制の存続が含意されていた。後者の新しい天皇像は皇太子(今上天皇)が引き受ける形となり、外遊やミッチー・ブームなどが検討される。こうして象徴天皇制が確立されていくにあたり、マスコミの果たした役割、民衆との関係が強く意識されていたこと、「文化平和国家」という戦後日本のナショナル・アイデンティティーと結び付く中で天皇像が再定義されたことが指摘される。

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2010年3月 8日 (月)

ヴィクター・セベスチェン『東欧革命1989──ソ連帝国の崩壊』

ヴィクター・セベスチェン(三浦元博・山崎博康訳)『東欧革命1989──ソ連帝国の崩壊』(白水社、2009年)

 東欧の共産党政権が連鎖的に崩壊していった1989年の東欧革命。そこに至るまでに各国で様々な人物群像が織り成した政治劇をブレジネフ政権の黄昏から説き起こし時系列に沿って描き出した歴史ドキュメンタリーである。事実関係の描写が中心で特にこれといった洞察があるわけでもないが、ゴシップ・ネタふんだんにナラティブな構成なので、浩瀚なボリュームでも飽きずに読み進められる。

 レーガンの言う「悪の帝国」とはあくまでも国内向けの選挙用レトリックにすぎなかったわけだが、ソ連指導部は意外と本気で受け止めて警戒心を高めており、レーガンは後で知って驚いたらしい。大韓航空機撃墜事件は、ソ連の防空システムの不備を上から叱責されるのを恐れた現場の焦りと、こうした指導部の恐怖心とが相俟ってもたらされたとも言える。相互の誤解をいかにうまくハンドリングするかが大切だが、他方で、このような誤解に基づく意図せざる連鎖が「ソ連帝国」崩壊劇の大きな流れに着実に組み込まれていったのも事実である。ベルリンの壁崩壊は東ドイツ当局者による記者会見発表のミスが引き金になった。そもそもゴルバチョフのペレストロイカはソ連の建て直しが本来の目的であって、ソ連の崩壊など全く想定していなかった。

 現在ならインターネットだろうが、当時はテレビが大きな役割を果たした。東ドイツ国民は西ドイツのテレビを見て当局発表とは違うものの見方に気づいていた。ルーマニアでは、式典でいつものように大衆歓呼を期待していたチャウシェスクに対して図らずも野次がとび、予想していなかった事態にうろたえた彼の表情を生中継のカメラがしっかりとらえてしまい、権力失墜へと直結する。東ドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリーでは社会的に根付いた民衆運動が政治を動かしたのに対し、ルーマニア、ブルガリアではむしろ「宮廷クーデター」による政権交代となった。語弊のある言い方かもしれないが、市民社会的感覚が一般に根付いているかどうかという「民度」の違いとして目を引いた。

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2010年3月 7日 (日)

山崎朋子『朝陽門外の虹──崇貞女学校の人びと』

山崎朋子『朝陽門外の虹──崇貞女学校の人びと』(岩波書店、2003年)

 北京の朝陽門外、かつてスラム街だった地域に1920年から45年まで日本人クリスチャンの経営する女学校があった。五四運動、盧溝橋事件と日中関係の難しかった時期に設立・運営にあたった清水安三と彼に協力した人々の姿を描いたノンフィクション。戦後、接収されて陳経綸中学校となっている現在でもこの地で彼の名前は記憶されているという。

 伝道に赴いた北京で見たスラム街の子供たち、特に売春等に身を落とさねばならない少女たちのため、手に職をつけて自立して生きていけるように読み書きと手芸を教える無料の学校を設立。教育事業であると同時に、彼女たちの縫ったハンカチやテーブルクロスなどを販売して収益を上げるという方法は社会起業の先駆のようで興味深い(実際、清水は近江兄弟社とも関係があった)。この工読女学校は後に中等教育機関として崇貞女学校に発展。中国人だけでなく日本人や朝鮮人の子女も入学したらしい。さらに天橋のスラム街でも同様のセツルメントを行なった。敗戦後、日本に帰国した清水は桜美林学園を設立。この大学には中国語学科があるが、このような背景があったというのは初めて知った。工読女学校の最初から協力してきた羅俊英という女性が、何の政治性もないにもかかわらず、戦後、漢奸として投獄され非業の死を遂げたという悲劇には何とも言葉がない。

 細かい話だが個人的な関心としてメモしておくと、崇貞学園の理事の一人に台湾出身の音楽家、当時は北京師範大学で教壇に立っていた柯政和の名前があった。江文也を北京師範大学へ招聘した人である。

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北京について8冊

 もともと中国の政治的・文化的重心は黄河流域のいわゆる中原にあった。対して現在の北京は辺境であり、北方遊牧民族とせめぎ合う最前線であった。いわゆる征服王朝の南下により、遼(契丹)の副都・南京、金(女真)の首都・中都として政治中心機能を担うようになり、そしてフビライが元の首都として整備した大都が現在の北京の基礎を形作る。例えば、胡同(フートン)はモンゴル語に由来すると言われているし、盧溝橋はマルコ・ポーロが絶賛したことから「マルコ・ポーロ・ブリッジ」と呼ばれている。陳高華(佐竹靖彦訳)『元の大都──マルコ・ポーロ時代の北京』(中公新書、1984年)は世界帝国モンゴルの中心として花開いた大都=北京の都市構造や社会史的・文化史的たたずまいを描き出している。

 林田愼之助『北京物語──黄金の甍と朱楼の都』(集英社、1987年/講談社学術文庫、2005年)、竹内実『世界の都市の物語9・北京』(文藝春秋、1992年/文春文庫、1999年)は、北京原人や古代の薊、燕から中華人民共和国の成立まで北京を主軸として中国史を通史的に概観。文学作品の引用や生活風俗の描写もまじえ、エピソード豊かに読ませてくれる。春名徹『北京──都市の記憶』(岩波新書、2008年)は北京オリンピック開催に合わせて刊行されたのだろうか、北京の名所歩きをしながら歴史的背景を手際よくまとめていく構成。北京旅行に携行するならうってつけだ。

 倉沢進・李国慶『北京──皇都の歴史と空間』(中公新書、2007年)は、サブタイトルに「皇都」とあるので王朝時代の話題のような誤解を招きかねないが、実際には社会学的な都市問題として北京を考察するのがメイン・テーマとなっている。戦後中国では食料配給の問題から農村戸籍と都市戸籍の別が制度化され、それによる流動性への縛りは現在の社会的ひずみの一因となっている。都市に流入した農民工が劣悪な労働条件を強いられていることは近年よく指摘されているが、そうした彼らの存在について都市住民は感情的にも拒否感を抱いているらしい。Community=「社区」を中心とした生活形態は、かつては地方出身者ごとに集まった「会館」という形を取ったが、現在でも職場組織の「単位」という形で続いている。四合院はもともと大家族的な生活共同体に適合した住居形態であるが、戦後における国有化方針、さらに文化大革命の時の強制収用で複数世帯の雑居状態になった。このため、文革時には密告等で相互不信、改革開放以降は権利関係でトラブルが頻出。伝統的家屋構造の中で、社会状況の変化に応じて人間関係のあり方も変わってきていることがうかがえて興味深い。

 陣内秀信・朱自煊・高村雅彦編『北京──都市空間を読む』(鹿島出版会、1998年)は、『乾隆京城地図』など古地図も参照しながら都市空間としての北京を成り立たせているコスモロジーを読み解こうとした共同研究。中庭を中心とした住居形態である四合院へのこだわり、この伝統の上に近代化の影響がかぶさっている。皇帝権力のロジックから内城が中心となる一方で、外城ではこうしたロジックを無視して商業空間が展開、両者のせめぎ合いから北京の街並みがトータルとして現出している様子が浮かび上がる。

 藤井省三『現代中国文化探検──四つの都市の物語』(岩波新書、1998年)は中国文化圏における四大都市、北京・上海・香港・台北それぞれの近代社会としての変貌について文学や映画の話題を絡めながら語る。北京の魯迅邸に寄寓していたエロシェンコの鬱屈については藤井省三『エロシェンコの都市物語──1920年代 東京・上海・北京』(みすず書房、1989年)が北京大学の学生たちの軋轢に注目していたが、『現代中国文化探検』の方では、地方出身者ごとに集まる四合院共同体に分割された北京の人的ネットワークとしての偏狭な空気がコスモポリタンたる彼にとって寂寞たる思いを味わわせていたのではないかと指摘されているのが目を引いた。

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田中奈美『北京陳情村』

田中奈美『北京陳情村』(小学館、2009年)

 北京南駅近く、信訪局に陳情すべく地方から上京してきた人々の集う「陳情村」。陳情者の多さは地方政府にとって失点であり、一度陳情するとそれをいやがる地方政府からにらまれ、仕事を失い、経歴書に明記され、もう退路はない。ノンポリ・ライターの描く彼らのアグレッシブな表情には屈託がないが、軽いノリの筆致からも精神的に追いつめられている焦りが浮かんでくる。

 中国社会に法治原則が確立されていないため、その結果として陳情へと駆り立てられていく問題は、例えば陳桂棣・春桃(納村公子・椙田雅美訳)『中国農民調査』(文藝春秋、2005年)、『発禁『中国農民調査』抹殺裁判』(朝日新聞出版、2009年)が具体的に描写している(→こちらで取り上げた)。先日読んだ佐藤千歳『インターネットと中国共産党──「人民網」体験記』(講談社文庫、2009年)でも、新華社に一時勤務していた著者が陳情書を受け取ったことで上層部とのトラブルに発展してしまった顛末が記されていた。

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2010年3月 6日 (土)

「フローズン・リバー」

「フローズン・リバー」

 雪の白さ以外には何もない町、厳寒の身を切るような冷たさは人の気持ちまでかたく閉ざしてしまうのか。アメリカ・カナダ国境を流れるセントローレンス川は凍りついて車でも渡れる。アメリカ事情には疎いのだが、先住民の保留地では一定の治外法権が認められているのは初めて知った。部族警察はアメリカ・カナダの警察と協調しているが、法のすき間を縫って密入国業者が暗躍しているらしい。

 白人とモホーク族の女性二人、それぞれ家庭的な問題を抱えており、生活費を稼ぐためやむを得ず密入国者手引きの仕事に関わり、トラブルに巻き込まれてしまうというストーリー。クライム・サスペンス風の設定だが、むしろ二人の母親が互いに抱いた感情的なわだかまりが事件をきっかけに雪解けしていくというヒューマン・ドラマである。監督も主演二人も女性。監督は、女性が主人公だとアクションドラマとして面白くないと言われて発奮したことがあるらしい。母子家庭の生まれで、生活費のやりくりをする母親にとっては毎日がアドベンチャーだったと語っている。そうした生い立ちがストーリーにも反映されているのか、当事者目線に立った切迫した焦りが描かれている。

【データ】
原題:Frozen River
監督:コートニー・ハント
2008年/アメリカ/97分
(2010年3月5日、渋谷・シネマライズにて)

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2010年3月 5日 (金)

イアン・テイラー『アフリカにおける中国の新しい役割』

Ian Taylor, China’s New Role in Africa, Lynne Rienner, 2009

 中国のアフリカ進出についてジャーナリズムを中心に中国非難の声が高いが、最近、アカデミズムの方では中国の果たしている役割のプラス面・マイナス面の両方を勘案する冷静な研究が増えている。確かに中国の行動には問題も多い。他方で、アフリカ側自身に構造的機能不全があり、欧米の資源獲得活動も中国と同様の構図を示してきたにもかかわらず、その言い訳的なスケープゴートとして中国が俎上に上げられている点も指摘される。

 本書は、アフリカにおける中国の活動、具体的には①石油など資源獲得目的の外交、②「安かろう悪かろう」の中国製品流入がもたらしたインパクト、③中国外交の非干渉主義が独裁国家における人権抑圧を黙認している問題、④アフリカを市場とした武器輸出、⑤近年拡大されつつある中国のPKO参加などのテーマを検討。それぞれ様々に問題含みではあるにしても、中国非難が必ずしもフェアとは言いがたい実情を示そうとする。

 中国政府の権威主義的性格のため、経済活動も政治的に一元化されているようなイメージを抱かれやすい。しかしながら、先日取り上げたDeborah Brautigam, The Dragon’s Gift: The Real Story of China in Africa(Oxford University Press, 2009→こちら)、Sarah Raine, China’s African Challenges(Routledge, 2009→こちら)でも指摘されていたが、改革開放以降の経済自由化の流れの中で、海外進出した中国企業に対する政府のコントロールが実は有効にきいていないことが議論の一番の焦点となる。複数の国有企業が競合しているためそれぞれが自律的に活動を展開。アフリカ進出した中国企業が劣悪な労働待遇、環境問題無視などの軋轢を引き起こしているが、それは他ならぬ中国自身の国内問題でもあり、それが海外に行ってもそのまま露わになっている点ではアフリカ蔑視というのとは次元が異なる。武器輸出は、かつてはイデオロギー的な動機から行なわれていたが、ポスト毛沢東時代に軍需産業は利潤動機で再編され、ニッチな市場を求めてアフリカに進出(それでも欧米やロシアよりシェアは低い)。「安かろう悪かろう」の中国製品は、一方でアフリカの産業競争力を圧迫しているが、他方で低所得層に受け入れられている。アフリカ自身の生産効率性やインフラの悪さ(流通コストがかかる)を再考する必要がある。

 欧米は個人の人権を重視するのに対して中国は国家という集団レベルでの発展を重視するという価値観の相違、また外交上の非干渉主義が結果として独裁国家による人権抑圧を黙認しているという問題はやはり抗弁しがたい。ただし、近年は人権問題による国際的イメージの悪化が自分たちの国益を損ねていることに中国政府自身が気づいており、徐々にではあるが政策方針を修正しつつある。G・J・アイケンベリーは、第一次・第二次世界大戦におけるドイツや革命初期のソ連が既存の国際秩序をひっくり返すことで勢力拡大を狙ったのとは異なり、現在における中国の台頭は既存の国際ルールの枠内にある、したがって必要以上に脅威視すべきではないことを指摘している(G. John Ikenberry“The Rise of China and the Future of the West : Can the Liberal System Survive?” Foreign Affairs, 2008 Jan/Feb)。イデオロギー的な野心をすでに捨てた中国の政治的性格はプラグマティックなもので自分たちに不利だと判断すればルールに適応しようとする柔軟さが想定可能である。いたずらな非難で反発の応酬に陥るよりも、むしろ中国を国際的枠組みへと組み込んでいくよう誘導する必要があるし、アフリカ諸国もこうした実利重視で動く中国相手の交渉でシビアに立ち回ってウィン・ウィン関係に持ち込んでいく賢明さが求められる。

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2010年3月 4日 (木)

「渇き」

「渇き」

 人の役に立ちたいと熱望するが虚しさを抱えているカトリックの神父、サンヒョン(ソン・ガンホ)。気持ちを吹っ切るようにアフリカの伝染病研究所へ行くが、そこで病気に感染、しかし何とか一命はとりとめた。帰国したものの、体の様子がおかしい。知覚が鋭敏になり、日の光が恐ろしく、人の血に激しい欲望を感じる──。ヴァンパイヤとなった彼の前に現われたのが幸薄き女性テジュ(キム・オクビン)、ファム・ファタールとも言うべき彼女の振る舞いはやがてサンヒョンの運命を狂わせていく。

 ところどころシュールな演出があって目を引くが、やはり印象的なのはテジュ役キム・オクビンの存在感。どこかあどけなさも感じさせる顔立ちだが、ストーリーの進行に伴ってその表情が目まぐるしく変化していくのが見所だ。最初は不幸な結婚に打ちひしがれて青白い顔色。この息苦しさから脱け出せるという純情そうな憧れ。性愛の喜びに嗚咽を漏らすなまめかしさ。体を血みどろに絡み合わせて彼女もヴァンパイヤとして生まれ変わってからは、嬉々として人の生血をすすりまくる。今までのジメジメとした人生をかなぐり捨てたような高揚感。インモラルというのを突き抜けたその奔放さは、サンヒョンの心中に疼く良心を対比的に際立たせる。ただし、抑圧された欲望の解放とモラルとの葛藤というこの映画に伏流するテーマにあまり深刻さが感じられないのは、韓国のキリスト教には結構カルト的なものが多いという先入観を私が持っているせいだろうか。

【データ】
原題:Bak-Jwi 英題:Thirst
監督:パク・チャヌク
2009年/韓国・アメリカ/133分
(2010年3月3日レイトショー、新宿・武蔵野館にて)

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2010年3月 2日 (火)

トーマス・W・シモンズ・Jr.『ユーラシアの新しいフロンティア:若い国、古い社会、開かれた未来』

Thomas W. Simons, Jr., Eurasia’s New Frontiers, Young States, Old Societies, Open Futures, Cornell University Press, 2008

 旧ソ連崩壊後に現われたCIS12カ国の現状を概観。カラー・レボルーションの評価について本書は慎重だが、本書刊行後にはグルジアの挑発でロシア軍侵攻を招いたり、ウクライナの大統領選でも結局親ロシア派が当選したりと、やはりどれ一つとして安定した国はない。12カ国の内情はそれぞれ異なるので単純化は禁物だが、clan政治、つまり氏族、党派性、仲間うち中心の政治→権力基盤としての人的ネットワーク保持が権力の目的となること、選挙はあっても市民社会が欠如しているのでエリート間の権力闘争という形を取るなどの問題点がおおまかな傾向として本書では指摘される。端的に言うと、ネイション・ステートが成り立っていないところに問題点が見出される(state-nationalismが欠けている一方で、ethno-nationalismによる紛争の懸念はくすぶっている)。旧ソ連時代の国境線自体が不自然だったため、国家へのロイヤリティーが根付いていないとも言える(近代的な市民社会ではこれが暗黙の前提で、日本や西欧などはこの「国家」という基礎的なインフラから計り知れないほどの恩恵を受けている)。ただし、アフリカの崩壊国家とは異なり、少なくとも旧ソ連時代に一定の政治機構は完備、政治エリート層も存在しているわけだから、これが貴重な出発点とはなり得る。ロシアもかつての帝国主義とは異なって政治目標の追求に軍事的手段ではなく経済的手段に移行しており、かつ国際的な評判を気にせねばならないので周辺国に対してあからさまな行動にも出にくい。情報化社会の進展によりかつてのような閉鎖性も崩れている(ただし、「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれたトルクメニスタンのような国もあるが)。西欧型の市民社会を基準にすると困難が大きいが、それぞれの国の内情に合った形で市民社会やナショナル・アイデンティティーの確立へと促していく必要が指摘される。ただし、それは閉鎖的なものではなく、旧ソ連時代からの民族的混住状態をむしろプラスの方向で考えて、相互依存的なものとしていける可能性もある。

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