北京について8冊
もともと中国の政治的・文化的重心は黄河流域のいわゆる中原にあった。対して現在の北京は辺境であり、北方遊牧民族とせめぎ合う最前線であった。いわゆる征服王朝の南下により、遼(契丹)の副都・南京、金(女真)の首都・中都として政治中心機能を担うようになり、そしてフビライが元の首都として整備した大都が現在の北京の基礎を形作る。例えば、胡同(フートン)はモンゴル語に由来すると言われているし、盧溝橋はマルコ・ポーロが絶賛したことから「マルコ・ポーロ・ブリッジ」と呼ばれている。陳高華(佐竹靖彦訳)『元の大都──マルコ・ポーロ時代の北京』(中公新書、1984年)は世界帝国モンゴルの中心として花開いた大都=北京の都市構造や社会史的・文化史的たたずまいを描き出している。
林田愼之助『北京物語──黄金の甍と朱楼の都』(集英社、1987年/講談社学術文庫、2005年)、竹内実『世界の都市の物語9・北京』(文藝春秋、1992年/文春文庫、1999年)は、北京原人や古代の薊、燕から中華人民共和国の成立まで北京を主軸として中国史を通史的に概観。文学作品の引用や生活風俗の描写もまじえ、エピソード豊かに読ませてくれる。春名徹『北京──都市の記憶』(岩波新書、2008年)は北京オリンピック開催に合わせて刊行されたのだろうか、北京の名所歩きをしながら歴史的背景を手際よくまとめていく構成。北京旅行に携行するならうってつけだ。
倉沢進・李国慶『北京──皇都の歴史と空間』(中公新書、2007年)は、サブタイトルに「皇都」とあるので王朝時代の話題のような誤解を招きかねないが、実際には社会学的な都市問題として北京を考察するのがメイン・テーマとなっている。戦後中国では食料配給の問題から農村戸籍と都市戸籍の別が制度化され、それによる流動性への縛りは現在の社会的ひずみの一因となっている。都市に流入した農民工が劣悪な労働条件を強いられていることは近年よく指摘されているが、そうした彼らの存在について都市住民は感情的にも拒否感を抱いているらしい。Community=「社区」を中心とした生活形態は、かつては地方出身者ごとに集まった「会館」という形を取ったが、現在でも職場組織の「単位」という形で続いている。四合院はもともと大家族的な生活共同体に適合した住居形態であるが、戦後における国有化方針、さらに文化大革命の時の強制収用で複数世帯の雑居状態になった。このため、文革時には密告等で相互不信、改革開放以降は権利関係でトラブルが頻出。伝統的家屋構造の中で、社会状況の変化に応じて人間関係のあり方も変わってきていることがうかがえて興味深い。
陣内秀信・朱自煊・高村雅彦編『北京──都市空間を読む』(鹿島出版会、1998年)は、『乾隆京城地図』など古地図も参照しながら都市空間としての北京を成り立たせているコスモロジーを読み解こうとした共同研究。中庭を中心とした住居形態である四合院へのこだわり、この伝統の上に近代化の影響がかぶさっている。皇帝権力のロジックから内城が中心となる一方で、外城ではこうしたロジックを無視して商業空間が展開、両者のせめぎ合いから北京の街並みがトータルとして現出している様子が浮かび上がる。
藤井省三『現代中国文化探検──四つの都市の物語』(岩波新書、1998年)は中国文化圏における四大都市、北京・上海・香港・台北それぞれの近代社会としての変貌について文学や映画の話題を絡めながら語る。北京の魯迅邸に寄寓していたエロシェンコの鬱屈については藤井省三『エロシェンコの都市物語──1920年代 東京・上海・北京』(みすず書房、1989年)が北京大学の学生たちの軋轢に注目していたが、『現代中国文化探検』の方では、地方出身者ごとに集まる四合院共同体に分割された北京の人的ネットワークとしての偏狭な空気がコスモポリタンたる彼にとって寂寞たる思いを味わわせていたのではないかと指摘されているのが目を引いた。
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