ドミトリー・V・トレーニン『ロシアを正しく理解する』
Dmitri V. Trenin, Getting Russia Right, Carnegie Endowment for International Peace, 2007
本書は、ロシアの今後の動向を考える前提として、現代ロシアの社会経済的状況を概観(価値観は良くも悪くもソ連時代とは異なって個人主義的傾向が強まっているという)、さらに正教会分立からソ連崩壊に至るまでの歴史を西欧との関係を軸にして簡潔に分析。その視点の背景には、そもそもロシアはヨーロッパなのか?という問いが伏在している。ページ数としては薄い本だが、内容的には濃密に充実している。著者はカーネギー国際平和財団モスクワセンター所長。
ソ連崩壊後、NATOの拡大傾向は東欧にまで及び、旧ソ連圏のウクライナやグルジアでも加盟への期待感が高まったが、こうした動きはどんなに最大限見積もってもロシア国境で止まる(欧米側にはロシアに対する敵意はないが、ロシア側は過剰反応してしまっているというギャップが指摘される)。東方正教会の分立によるキリスト教世界の分裂、19世紀におけるヨーロッパの憲兵、20世紀における共産主義の旗頭、いずれにしてもロシアは歴史的にヨーロッパの一員というよりは対抗関係にある大国として自己規定してきた。
本書は地理的・文化的アイデンティティーとしての「ヨーロッパ」と文明としての「西洋」(the West)とを使い分けている。ここで言う「西洋」については、ヨーロッパに起源を持つ資本主義及びこれを成り立たせる要因としての私有財産、法の支配、政府のアカウンティビリティーなど近代的制度が念頭に置かれており、非「ヨーロッパ」でも自分たちの文化的特徴を維持しながらこうした意味での「西洋」にはなれると言う。明治維新以降の日本、ケマル・アタチュルクによって世俗的近代化が進められたトルコ、現在経済的に台頭しつつある中国やインドを具体例として挙げ、著者は「新しい西洋」(the New West)と呼ぶ。そして、経済発展の後に民主化はついてくるという発展段階説的な立場を取る。
以上を踏まえて、ロシアは「ヨーロッパ」には入らないが、ただし「西洋」にはなりつつあるという主張に本書のポイントがある。欧米はロシアの権威主義的政治体制への悲観論から民主主義に失敗した国とみなしがちであるが、むしろ台頭しつつある資本主義国としての側面に注目し、ロシアを脅威視するのではなく国際政治経済の枠組みの中に組み込んでいくことで、しばらくは試行錯誤が続くにしても将来的には国内の民主化も進むはずだという展望を示す。
なお、トレーニンは“Russia Reborn,”Foreign Affairs, vol.88 no.6,(Nov/Dec 2009)という最近の論文でロシアがキャッチ・アップすべき目標としてヨーロッパではなく中国、日本、韓国など東アジア諸国を挙げ、「もしピョートル大帝が生きていたら、バルト海(つまり、ペテルブルク)ではなく日本海側に遷都するだろう」という面白い言い回しをしていた。
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