セルジュ・ミッシェル、ミッシェル・ブーレ『アフリカを食い荒らす中国』、デボラ・ブラウティガム『ザ・ドラゴンズ・ギフト:アフリカにおける中国の真実』
アフリカでの中国の存在感の高まりを私が初めて意識したのは、確かポール・コリアー『最底辺の10億人』だったろうか。最近のアフリカ関連の本を読むと必ずと言ってもいいほどこの問題が取り上げられている。ダルフール問題でも中国批判の国際世論が盛り上がっていた。
セルジュ・ミッシェル、ミッシェル・ブーレ(パオロ・ウッズ写真、中平信也訳)『アフリカを食い荒らす中国』(河出書房新社、2009年)はアフリカ諸国を回って中国企業の旺盛な活動を取材したルポルタージュである。「欧米人は説教をたれるが、中国人は目に見える成果をもたらしてくれる」と政府関係者は歓迎的。他方で、天然資源の奪い取り、中国資本の工場で使い捨てにされる労働者たちの問題にも目は向けられる。ワーカホリックの中国人労働者にスローペースのアフリカの人々は追いつけないようだ。現地に溶け込まないのでコミュニケーションがとれておらず、経済摩擦以上に文化摩擦の方が大きいような印象を受けた。
このようにアフリカに進出した中国の経済活動を脅威視する国際世論が高まっているが、Deborah Brautigam, The Dragon’s Gift: The Real Story of China in Africa(Oxford University Press, 2009)は、それは果たして事実なのか?と疑問を投げかける。誇張された中国脅威論の「神話」をデータや実地調査に基づいて解きほぐしていくのが本書の趣旨である(2010年1月発行らしいが、手持ちの本の書誌事項は2009年になっている)。
経済関連の細かい議論は私にはよく分からないのでななめ読みだが、おおまかに読み取ったところから言うと、1960年代以降、アフリカ諸国が次々と独立していく流れの中で、イデオロギー的な動機から第三世界に広くウィングを広げようと毛沢東の主唱でアフリカ諸国に積極的な援助活動を開始、とりわけ台湾との外交合戦では多額の金もばらまかれた。こうした活動によって早くから中国はアフリカ諸国とのつながりを持っていた。1980年代以降、改革開放に伴って鄧小平は中国企業の海外進出を奨励、援助を通してつながりのあったアフリカが注目された。それまで政府主体だった援助も、企業を主体とする活動へと変化(ただし、国有銀行を通して政府のバックアップ)。世界銀行等がアフリカ諸国に自由化圧力をかけるがかえって経済環境の混乱、労働効率の悪さなどで欧米企業は撤退、そうした中で中国の存在感が際立つことになる。
現在の中国のアフリカでの活動は援助とビジネスとを融合させた形が中心であるが、これは日本をモデルにしていると指摘される。かつて中国市場に入ってきた日本や欧米は援助をテコに市場開拓→中国はこの受け手としての経験を今度は供給側としてアフリカに対して応用しているのだという。例えば、財政状況が最悪でも、天然資源を担保にしてインフラ整備、つまり、中国がアフリカの資源を奪おうとしているのではなく、資源の裏づけで信用供与→経済発展に必要な初発条件の準備を可能にしていると捉える。また、借款→中国のモノやサービスを導入するのに使わせる→アフリカの独裁者に金を直接渡して他の目的(政治腐敗)に流用されてしまうのを回避。農業指導ではグリーン革命への寄与も指摘される。欧米とは異なってヒモなし援助→ダルフール問題を抱えるスーダンなど独裁国家の延命に手を貸しているという批判もあるが、近年は中国も仲介者としての役割にシフトしようと方針を変えつつあるという。
中国側が現地の慣習を無視して軋轢を生み、秘密主義的な態度によって誤解が増幅されているとも指摘される。経済活動というのはプラス・マイナス様々な要因が複雑に絡まりあっており、どの側面に注目するかによって違ったイメージが生み出され、何が「真実」なのか黒白はっきりと断定するのは難しい(著者は黒澤明「羅生門」をたとえとして挙げる)。分かりやすく単純化された図式的批判はかえって問題解決の芽を摘んでしまうことにもなりかねない。もちろん中国の行動にも問題が多々あるわけで、それは当然批判されるべきにしても、現実に何が実効性を持っているのか、違う視点から考えていくことも必要だろう。
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