上原善広『日本の路地を旅する』
上原善広『日本の路地を旅する』(文藝春秋、2009年)
もう十年近く前になるか、熊野の新宮に行ったことがある。中上健次に特に思い入れがあるわけでもなかったが、せっかくここまで来たのだから彼ゆかりの地を歩いておこうと思い立った。すでに夕方五時過ぎ、薄暗くなり始めた頃合だった。中上作品に登場する「路地」だったとおぼしき場所へ行くと、真新しい公営住宅が整然と並んでいる。一角に社会教育会館があり、中に入ると玄関ホールに中上に関する展示があった。時間も時間だから職員らしき人は見当たらず、警備員の方に中上の生家はどこか尋ねてみたら、だいたいの場所を教えてくれたが、「記念碑とかそういうのは何もありませんよ」と付け加えられた。
本書の「路地」とは、中上の表現による被差別部落のことである。北海道から沖縄まで日本全国の路地を旅して、それぞれの歴史的由来と、そこで出会った人々との語らいがつづられている。彦根藩では藩をあげて牛屠が行なわれていて、明治になって東京に進出、近江牛ブランドが有名になったこと、沖縄のエイサーと遊行芸人としての京太郎とのことなどは初めて知った。吉田松陰に身分解放の思想を見出す指摘にも興味を持った。
著者自身も同様の出自であることを明かすと胸襟を開いて話してくれる人々がいる一方で、それでも堅く口を閉ざす人がいるのはやむを得ない。人の傷口に塩を塗りつけるような取材が果たして良いのかと悩むこともある。しかし、他ならぬ著者自身にとって自らの生い立ちに向き合う気持ちを整理する旅でもあり、そうした思い入れが行間からにじみ出ている。その点では政治的に生硬な気負いは感じさせず、素直に被差別部落の歴史を考えさせてくれる。
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コメント
いつも興味深くブログ拝見させていただいております。まさか、自分の故郷がトゥルバドゥールさんのブログで出てくると思っていなかったので特に内容が無いにも関わらずコメントしてしまいました。
その社会教育会館は小学校の時に人権教育の一環で見学に行った記憶があります。当時は何がなんだか分かりませんでしたが…
投稿: Sho | 2010年2月11日 (木) 16時49分
Sho様、コメントありがとうございます。
新宮のご出身ですか。熊野というと「独特」なイメージがありますが、そんな中にも西村伊作のモダンな洋館があったのが印象に残っています。佐藤春夫の家も移築されていましたね。また行ってみたいと思いつつ、東京からですと交通の便がちょっと…、なかなか機会がありません。
投稿: トゥルバドゥール | 2010年2月11日 (木) 21時20分