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2010年2月 6日 (土)

スティーヴン・キンザー『すべてシャーの臣:アメリカによるクーデターと中東テロの起源』

Stephen Kinzer, All the Shah’s Men: An American Coup and the Roots of Middle East Terror, John Wiley & Sons, 2008

 1953年に起こったイランのモサデク政権転覆クーデターは、CIA主導の秘密工作のうち最も有名な事件の一つであり、現在に至るもその悪影響を引きずっている。本書はモサデク(Mossadegh)の人物像を中心に、イラン現代史、とりわけクーデターに至る経緯を描き出した歴史ノンフィクションである。初版は2003年だが、2008年ペーパーバック版には“The Folly of Attacking Iran”(イラン攻撃の愚かさ)という一文が追加されている。タイトルは昔のアメリカ映画「オール・ザ・キングスメン」を思い起こさせる(ショーン・ペン主演のリメイク版は以前にこちらで取り上げた)。すべてはシャーの背後にいたアメリカの思うままに見えたが、しかし…という意味合いでも込められているのだろうか。この映画の原作は『すべて王の臣』(ロバート・ベン・オーウェン、鈴木重吉訳、白水社、1966年)として邦訳されているので掲題訳はそれにならった。なお、Stephen Kinzer, Overthrow: America’s Century of Regime Change from Hawaii to Iraq(Henry Holt and Company, 2007)は前回取り上げた(→こちら)。

 まず、古代以来のイランの歴史を簡潔に概観。19世紀以降の帝国主義ゲームでイギリスとロシアの干渉を受け、とりわけ石油の発見はイランの運命を大きく変えた。カージャール(Qajar)朝の弱体化、1905年の立憲革命、政治的混乱の中から軍人のレザー・ハーン(Reza Khan)が台頭→1925年、シャーに即位してパフレヴィー(Pahlavi)朝が成立。レザー・シャーは世俗的近代化を推進(トルコのケマル・アタチュルクに触発された)する一方で、暴力的な専制支配は反発を受け、近代的価値観は一般レベルで共有されることがなかった。外国の影響を排除しようしたが、第二次世界大戦でナチス・ドイツと同盟→英ソの干渉→退位を迫られ、息子のモハンマド・レザー・シャー(Mohammad Reza Shah)が擁立される→イギリスの支配が再び始まった。

 イギリスの手中にある石油会社の国有化を主張して人々の支持を集めたのがモサデクである。彼は名門貴族の出身、ヨーロッパに留学して国際法を専攻、イラン人として初めて博士号を取得した知識人であり、外国の内政干渉からの脱却という民族主義と同時に、民主主義や言論の自由など近代的価値観をも信奉していた。1951年、国会(majles)の圧倒的な支持を集めて首相に就任、シャーは彼を反王政的だとして嫌っていたが、彼の首相就任を阻む権限はない。モサデクは石油会社国有化を宣言、すでに70歳近い高齢であったが、病躯をおしてイギリスと全面対決する。

 イギリスのアトリー政権(当時、労働党政権は産業国有化政策を進めていたので、モサデクは、自分たちが石油会社を国有化することのどこがいけないのか、と反論)は石油収入の分け前で妥協しようと交渉に臨んだが、モサデクにとっては利権以前に民族的尊厳の問題であり、一切の妥協には応じない。交渉は行き詰まり、業を煮やしたモリソン外相は武力によるモサデク政権打倒を検討、準備を始めたが、仲介役に立ったアメリカのトルーマン政権は暴走しかねないイギリスにブレーキをかけていた。ところが、イギリスでは保守党のチャーチルが政権に復帰、アメリカでも共和党のアイゼンハウアー政権が成立、イランに対する態度は一層強硬となる。イギリスは諸外国に圧力をかけて事実上の経済制裁を課し、イラン経済は混乱、そこに乗じて金銭や人脈を使ってイラン国内のモサデク支持勢力の切り崩しを進めた。アイゼンハウアー政権も、モサデクがいる限りイラン崩壊を食い止めることはできないと判断、またイラン問題でイギリスとの大西洋同盟に亀裂が走ることへの懸念もあり、政権転覆工作にゴーサインを出した。

 CIAの工作員カーミット・ローズヴェルト(Kermit Roosvelt、セオドアの孫)が暗躍。モサデクは言論の自由を抑圧してはならないと考えていたのに乗じて新聞の買収による世論工作も進めた。反モサデク勢力を結集して軍事クーデターを画策、一度はモサデク側に先手を打たれて失敗したものの、カーミットの執拗な活動により、1953年、モサデクたちを逮捕。モサデク自身はこうした動きを察知していたものの、もはや打つ手はなく、内戦を避けるため自分の支持者には平静を呼びかけていた。国外逃亡していたシャーは帰国、ザへディ(Zahedi)将軍の新政権はモサデク派の主要人物を処刑、モサデク自身は3年間の刑務所生活の後、秘密警察Savakの監視下で自宅軟禁され、1967年に84歳で逝去。石油会社は新たにアメリカ企業も含めて国際メジャーが勢ぞろいするコンソーシアムの形を取った。

 トルーマン政権、アイゼンハウアー政権ともに反共という点では同じだったが、トルーマン大統領やアチソン国務長官は第三世界におけるナショナリズムを味方につけようと考え、政権転覆工作はかえって悪影響を残すという見通しを持っていた。これに対して次の共和党政権では、アイゼンハウアー自身は交渉による妥協を求めたものの、第三世界への対応はジョン・フォスター・ダレス国務長官に一任、彼と弟のアレン・ダレスCIA長官は反共十字軍の手段として政権転覆工作を積極的に進めたという相違が指摘される。アメリカはシャーの専制政治に肩入れした結果、イラン国民の反米感情を高めてイスラム革命を招き、さらには中東全体を不安定化させてしまったという歴史の連鎖を見出すのも決して的外れなことではない。

 イスラム革命初期段階における暫定政権には、バニサドル(Bani-Sadr)大統領、バザルガン(Bazargan)首相、ヤズディ(Yazdi)外相などかつてモサデクを支持した人々が多数存在したが、急進派聖職者が実権を掌握するにつれて彼らのような世俗的リベラル派はすべて失脚もしくは国外亡命せざるを得なくなった。そもそも、モサデク政権成立時に聖職者たちの多くもその支持に回った中でホメイニ(Khomeini)はモサデクをイスラムへの裏切り者と非難し続けていた。モサデクの名前は民主主義や言論の自由と結びついているため、現行イスラム体制の中ではタブー視されているという。

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