ジョン・W・リンバート『イランとの交渉:歴史の亡霊に取り組む』
John W. Limbert, Negotiating with Iran: Wrestling the Ghosts of History, United States Institute of Peace Press, 2009
本書はイラン現代史における4つの事件の分析を踏まえて、膠着状態にある対イラン交渉打開のための提言を行なう。そもそも敵対し合う国同士が「交渉」を進めるに当たってその成否を分ける要因は何か? そうしたケース・スタディとして興味深く読んだ。著者はイラン問題の専門家で、1979年のアメリカ大使館人質事件で拘束された当事者の一人でもある。
1945年に第二次世界大戦が終わった時点で、イラン北部はソ連軍に、南部はイギリス軍に占領されており、ソ連はイラン領内アゼルバイジャン独立派やトゥーデ党(共産党)を支援していた。当時のカヴァム(Qavam)首相は、ソ連の目的は石油利権にあると正確に把握して交渉を進め、石油利権と引き換えにイラン領アゼルバイジャンから撤退させる。他方で、国会(majles)ではモサデク(Mosaddegh)たちナショナリストの主導で外国の占領中は石油の件で交渉をしてはならないとする法律が制定されており、結果として、まんまとソ連軍を追い払うことに成功した。
1951年にモサデク首相はイギリス資本の石油会社の国有化を宣言。英米側は利権問題としての妥協を図ろうと交渉を進めるが、モサデク側としては利権問題以前にイギリス支配からの脱却という民族的尊厳の問題であった。何が「公正」なのか、妥協の基準が出発点から異なるため交渉そのものが成り立たない。モサデクの主張の背景を理解できなかった英米側は、パーセプション・ギャップの連鎖から感情的な応酬に陥る中で、彼を「非理性的」であるとみなす(懸案全体を彼個人の問題としてすりかえられた誤りが指摘される)。結局、1953年、CIA主導のクーデターでモサデクは引きずりおろされた。こうした一連の経過は外国の干渉という汚辱としてイランの人々に印象付けられた。とりわけ、英ソと違ってアメリカはイランに好意的だと期待を寄せていただけに裏切られたという思いが強まり、以降、反米感情が定着してしまった。
反米感情の噴出したクライマックスの1つが1979~81年のアメリカ大使館人質事件である。革命後の暫定政府はすでに実質的な力を失っており、事態を収拾できる人物として交渉すべき相手はホメイニだけであった。しかし、肝心のホメイニ自身は交渉にまったく関心がないという困難があった。この時、ホメイニは一連の混乱を通して世俗派を追い落とし自らの権威を確立しようと図っており、情勢の落着が人質解放の交渉に取り掛かるタイミングであった。また、仲介役に立ったアルジェリアの適切なアドバイスが役に立ち、よい仲介者を見つけることの大切さが指摘される。
1980年代、レバノンのシーア派民兵によるアメリカ人人質事件をめぐっての交渉において、イラン側はアメリカ製最新兵器の入手が目的であったのに対し、アメリカ側には人質解放だけでなくこの取引をきっかけにイラン体制内の穏健派に働きかけて対米姿勢の軟化を引き出そうという思惑があった。ところが、イラン側の体制内穏健派はこの取引に関与しておらず、むしろイラン側交渉当事者は人質は取引に使えると判断、そうした内情をアメリカ側は把握していなかった。結局、単なる人質と武器との取引にすぎなかったのだが、体制内穏健派に働きかけているつもりのアメリカ側は認識のギャップから泥沼にはまり込んでしまった。これがレーガン政権の一大スキャンダル、イラン・コントラ事件である。当時、アメリカ国内では大使館人質事件の悪印象から世論も大物政治家(シュルツ国務長官、ワインバーガー国防長官)もイランとの交渉に拒否感が強く、レーガン政権の補佐官たち(マクファーレン、オリヴァー・ノースなど)は秘密裏に行動、怪しげなブローカーに頼らざるを得なかったという背景がある(同時に、強硬な空気の中で身動きがとれなかったのはイラン側のラフサンジャニも同様で、対米交渉の話を切り出したら失脚のおそれがあった)。これに対して、次のブッシュ(父)政権、具体的にはスコウクロフト補佐官は賢明にも交渉チャネルを国連にしぼった。デクエヤル事務総長はイラン・イラク戦争終結の仲介によってイラン側から信頼されていたため交渉はうまくいった(ここでも適切な仲介者の大切さが指摘される)。
イランには、古代文明にルーツを持つという大国意識があると同時に、列強の侵略を受けてきたという被害者意識も複雑に絡み合ったナショナリズム感情が強い。1953年のモサデク政権転覆クーデターは反米感情を強め、他方で1979年のアメリカ大使館人質事件はイランを狂信的とみなす印象をアメリカ側に刻み付けてしまった。双方が相手を「悪」と決め付ける「神話」が形成され、相互不信のスパイラルは現在に至るも交渉を阻む障碍となっている。そうした「神話」形成の歴史的経緯を解きほぐすことが本書の大きなテーマである。交渉相手を「悪」「非理性的」と決め付けると、それはかえって相手側を「予言の自己成就」へと追いやってしまう結果をもたらしかねず、相手側の内在的ロジックを(受け入れないまでも)理解した上で交渉のきっかけをつかむことが必要である。
なお、イラン情勢に関しては、Ray Takeyh, Hidden Iran: Paradox and Power in the Islamic Republic( Holt Paperbacks, 2007→こちら)、Ray Takeyh, Guardians of the Revolution: Iran and the World in the Age of the Ayatollahs(Oxford University Press, 2009→こちら)も最近読んだ。
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