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2010年1月17日 (日)

周婉窈『「海ゆかば」の時代──日本植民統治末期台湾史論集』

周婉窈《海行兮的年代──日本殖民統治末期臺灣史論集》允晨文化出版、2003年

 日本による台湾の植民地支配、特にいわゆる“皇民化運動”が強行された1930年代後半から1940年代前半を中心とした時期をテーマとする論文8篇が収録されている。とりわけ、言語、エスニシティ(族群)、ナショナル・アイデンティティ(国家認同)の関係に焦点を合わせて日本統治期の特徴を分析、それが日本の敗戦後も含めて台湾社会にもたらした影響について論じられている。

 第1章「日治末期『国歌少年』的統治神話及其時代背景」、第2章「『莎勇之鐘』的故事及其周辺波瀾」では、それぞれ“君が代少年”と“サヨンの鐘”といった植民地教育における“物語”の形成過程が検討される。

 第3章「従比較的観点看台湾與韓国的皇民化運動」は“皇民化運動”について台湾と朝鮮半島を比較。「国語」=日本語教育に関して、台湾では土着言語が体系的に禁止されたわけではなかったのに対し(もちろん抑圧はされたが)、朝鮮半島では韓国語を話すこと=民族主義者として徹底的に弾圧されたという相違が目を引いた。

 第4章「台湾人第一次的『国語』経験」は植民地支配下における「国語」=日本語教育の展開を分析。かつての台湾社会においては閩南語、客家語、原住民の南方系諸語、それぞれの話者はバラバラであったが、共通語としての「国語」=日本語→互いの意思疎通が可能→台湾大の共同意識が形成された。他方で、日本語は統治者が持ち込んだ外来語であった→被統治者としての一体感も同時にもたらされたと指摘する。

 第5章「日本在台軍事動員與台湾人的海外参戦経験」は1937年以降、中国大陸から南洋諸島まで海を渡っていった台湾人日本兵・軍属の広がりを概観する(この問題は、最近では龍應台《大江大海 一九四九》[天下雑誌、2009年]でも取り上げられていた→こちら)。出征にあたっての「血書」文化の研究も必要だと問題提起される。

 第6章「美與死」は戦時期におけるシンボリックな言語表現(「散華」「玉砕」etc.)に注目し、こうした日本文化の美意識に基づく戦時用語が台湾でも日本人に対するのと同じ効果を持ち得たのか?と問題提起。それは、日本文化がどの程度まで台湾人の精神面にまで浸透していたのかという問題で、解答は難しいが、著者は効果があったと判断する。

 第7章「実学教育、郷土愛與国家認同」は主に第三期公学校国語読本を分析。第一に、実学教育は相当の効果があり、それは(戦後も含めて)台湾の近代化や経済発展に一定の役割を果たしたこと、第二に、台湾の郷土重視の課文が多い一方で、台湾の歴史には触れられていない→「愛郷即愛国」というロジックの下、歴史を日本史にすり替え→ナショナル・アイデンティティ形成における歴史認識の問題を指摘する(なお、郷土教育に関して日本統治期と国民党政権期との比較については林初梅『「郷土」としての台湾──郷土教育の展開にみるアイデンティティの変容』[東信堂、2009年]を参照→こちら)。また、台湾人日本兵の研究に触れて、国家としての日本への忠誠心があった=日本人であったが、同時に、民族的には日本人ではないという自覚が並存していた二重性も指摘される。

 第8章「失楽的道徳世界」は修身教科書を取り上げて道徳教育の植民地的性格を検討するが、同時に、台湾の伝統的な価値観念も執拗な影響力を失っていなかったこと、さらに光復後においても日本の公学校教育による道徳観念がただちに消えたわけでもなく、価値観が様々に影響し合うダイナミズムのあったことを指摘する。

 近代国家は内的な均質化を志向し、その際には標準語としての「国語」が不可欠な手段となる。台湾のように外来者によって統治された場合、土着の母語は「国語」によって抑圧される。台湾近現代史は、たかだか百年も経ない間に「国語」の強制を二度体験したところに大きな特徴がある。日本の領台当初は抗日闘争が激しく、日本語への抵抗感が強かった。日本の敗戦後、国民党政権によって新しい「国語」=北京語がもたらされたが、台湾人にとってはそれも改めて学び直さねばならない言語であり、台湾人にとっての母語=閩南語、客家語、原住民の南方系諸語の地位は低くおとしめられたままとなった。作家の張文環は二・二八事件で逃げ回った末に、北京語=抑圧のシンボルとみなして拒絶するようになったという。

 戦時下に青春期を送った日本語世代の老人たち、彼らが日本語を流暢に使いこなすことに私も驚いたことがあるし、それを“親日的”だと無邪気に喜ぶ日本人もいる。しかし、著者は彼らを“ロスト・ジェネレーション”と表現する。日本統治下で懸命に学んで身に着けた「国語」=日本語は、1945年を境に無意味どころか敵性言語としてマイナスの刻印を帯び、新しい「国語」=北京語に適応できなかった彼らは、事実上文盲同然として沈黙を強いられた(国民党による戒厳令下、元日本兵だった台湾人は自分たちの体験や心情を語ることを恐れていたという)。本書は世代経験に注目し、とりわけ基本的な精神形成のなされる青春期が重要な意味を持つ。戦時下、台湾も爆撃にさらされ、海を渡った親戚知己の戦死公報が次々と届く。戦果華々しい時にはラジオは「軍艦マーチ」をがなり立てたが、敗色濃厚、「玉砕」の言葉も飛び交う沈痛な空気の中では信時潔作曲「海ゆかば」が流れた。そうした、“ロスト・ジェネレーション”の台湾人が青春期を過ごした悲愴な時代的気分のシンボルとして「海ゆかば」が本書のタイトルに用いられている。彼らがこのように過酷な青春期を送らざるを得なかったことは、後世の後知恵で良い悪いと判断できるようなものではなく、一つの厳粛な歴史的事実であった。それがたとえ現代の我々の価値観からは了解しがたいものであっても、彼らの置かれた事情を虚心坦懐にみつめていきたいという視点に著者の真摯さがうかがわれる。

 本書は台湾史を理解する上ではもちろんのこと、日本近現代史研究にとっても益するところが大きい本だと思う。日本語訳の刊行予定はないのだろうか?

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