エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』
エミール・デュルケム(宮島喬訳)『社会学的方法の規準』(岩波文庫、1978年)
・「社会的諸事実を物のように考察する」というのが基本命題。もちろん物理的な意味で言っているわけではなく、社会現象を所与の条件として捉えることで、客観的考察の対象とし得るということ。社会現象とは個々人の振る舞いの集合体であり、人々が何らかの形で振る舞う際に従っている思考的枠組み=規範は各人の頭の中にあるわけだが、だからと言って、個人の主観的な動機によってその規範を動かし得るわけではない。むしろ、頭の中にある観念的な行動規範であるはずなのに、それがむしろ私の意図にはかかわりなく強制的な影響力を及ぼしている。そうしたズレを感じたときに、自分自身をも含めて動かしている社会的規範を対自的に把握していくところに社会学的視点。「社会現象の本質的属性は諸個人の意識のうえに外部からある種の圧力をおよぼすという力に存する以上、社会現象は諸個人の意識から派生するものではない。」「社会現象は強制的にか、あるいは少なくとも多少の重圧をおよぼすことによってしかわれわれの内部に入りこむことができない以上、その拘束力は、社会現象がわれわれ[個人]のそれとは異なる性質を呈するものであることを証明しているからである。」「個人が社会的に行動し、感覚し、思考するとき、かれがしたがう権威は、その点でかれを支配するのであるから、この権威は、すなわち個人を超えた、したがって個人の説明しえない諸力の所産であるということである。」(205ページ)
・「共通の感情の動きにわれわれがたとえ自分なりに自発的に参加した場合でも、そのなかで感じる印象は、われわれがたったひとりでいるときに感じるであろうそれとはまったく別ものである。だから、いったん集会が解散し、その社会的影響がわれわれのうえに作用することをやめ、われわれが自分ひとりに返るや否や、さきほどまで経験していた諸感情は、あたかも、われわれのもはやあずかり知らないよそよそしい何ものかであるような効果をおよぼす。そのような場合、これらの感情を、自分たちがつくりだしたものとしてよりは、はるかに自分たちがその影響をこうむってきたものとして認知するのだ。これらの感情がわれわれの本性に反するときには、どうかすると恐怖をもよおさせることさえある。こうして、そのほとんどがまったく害をなす意志をもたない諸個人でも、群集をなすとき、凶暴な行為に身をゆだねてしまうことが起こりうるわけである。」(57ページ)→ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』を想起させる。
・正常なものと病理的なものとの区別。共同体の集合感情とのズレとして顕在化したものが「犯罪」と規定される。もし「犯罪」がない状態を想定すると、それを抑えこんでしまうほどに集合感情が強力である状態=画一的な社会であることの証拠→社会の変容があり得なくなってしまう。「通念に反して、犯罪者は、もはや根本的に非社会的な存在、社会のなかによび入れられた一種の寄生的な要素、すなわち同化しえない異物などではなく、まさしく社会生活の正常な主体としてあらわれる」(160ページ)。「およそ道徳意識が変化しうるためには、個人の独自性が実現されることが必要である。とすれば、世紀に先んじることを夢みる理想主義者の道徳意識が表明されるためには、その時代の水準にも遅れをとっている犯罪者の道徳意識の存在をもゆるされなければならないことになる。つまり、一方は他方なくしては存在しえないということである」(158ページ)。
・「自由をも決定論をも肯定する必要はない。およそ社会学が要求するものは、因果律の原理を社会諸現象に適用することが承認されること、そのことに尽きるのである。」(262ページ)
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