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2010年1月20日 (水)

周婉窈「想像の民族性──江文也の文章作品における台湾と中国についての試論」

周婉窈〈想像的民族風──試論江文也文字作品中的臺灣與中國〉,《臺大歷史學報》第35期(2005年6月)

 今年は江文也生誕百周年だ。私が江文也に関心を持っていることは前回こちらに書いたし、彼の著書『上代支那正楽考──孔子の音楽論』(平凡社・東洋文庫、2008年)も以前に読んだ(→こちら)。

 最近、周婉窈さんの著作をいくつか読んで(→『図説 台湾の歴史』、『「海ゆかば」の時代』、『日本統治期の台湾議会設置請願運動』)、他にどんなものを書いておられるのかと台湾大学のホームページで著作目録を眺めていたら、上掲論文を見つけた。PDFをダウンロードできるので読んでみたら、これがまた私の興味関心のど真ん中。周婉窈さんは、江文也の理解にしても、あるいは『「海ゆかば」の時代』で言及された日本語世代の老人たちについても、彼らの意図とは関係なく妙な具合に絡み付いてしまった政治性を解きほぐし、彼ら自身が生きざるを得なかった時代状況そのもの中で内在的に抱えていたものへ虚心坦懐に迫っていく。そうした眼差しがひたむきで感心している。

 江文也は1910年、日本の植民地支配下にあった台湾で生まれた。父の商売に従って廈門の旭瀛書院に学んだ後、1923年から日本に留学。専門の音楽教育を受けていなかったが、声楽家・作曲家として認められ、1936年のベルリン・オリンピックの音楽部門で「台湾舞曲」が入選、国際的な名声を得た。1938年には日本占領下の北京で師範大学の教授となるが、日本の敗戦後は「漢奸」として拘束される。釈放はされたものの、その後も反右派闘争や文化大革命で迫害を受けた。1978年に名誉回復、1983年に北京で逝去。

 彼は台湾出身で初めて国際的な知名度を得た音楽家という位置付けになるが、戦後も中国大陸に留まり、それは国民党政権下ではタブーであったため、戦後世代の台湾人の間ではほとんど忘れ去られていたという。1980年代から江文也リバイバルが始まった。その際、中国アイデンティティー、もしくは台湾アイデンティティー、いずれにせよ彼を民族主義の観点から捉える風潮が強まった。しかしながら、それは非歴史的な決めつけに過ぎず、江文也自身に内在的な芸術的感性のロジックは無視されていると著者は批判する。彼が生きていた当時の歴史的脈絡の中で捉えなおそうとするのがこの論文の趣旨となる。

 江文也が過ごしていた当時の日本の音楽界では、とりわけアレクサンドル・チェレプニン(齋爾品)の存在が大きい(チェレプニンについても前回こちらで触れた)。チェレプニンは西洋とは異なる伝統的・土着的感性に根ざした音楽を求めて日本・中国で若手の発掘に努め、彼によって見出された清瀬保二、伊福部昭たちはその後、“日本民族楽派”と称されるようになる。そうした雰囲気の中で江文也もチェレプニンによって見出されたわけだが、ただし、彼は“純粋な日本人”ではない。清瀬保二は、江文也の音楽の中国的なものを賞賛、日本的なものがあることを残念がっていたそうだから、江に対して君自身のルーツを音楽にすべきだという意見もあったのかもしれない。いずれにせよ、自分の音楽的インスピレーションをどこに求めるのか? そうした模索の中、故郷台湾へ戻ったとき、あるいは北京に赴いたとき、彼は大きな感動を受ける。

 ただし、東京を捨てて北京へ行った→民族的アイデンティティーの回帰と捉えることに著者は疑問を呈する。北京行きの背景としては、中国に芸術的インスピレーションを求めていたこと、東京で疎外感を味わっていたこと、正規の音楽教育を受けていなかった彼にとって師範大学教授のポストは破格であったことが挙げられる。東京で再び上演したいという意欲も持っており、東京か北京かという二者択一的な選択ではなかった。さらに、旧満州・北京などが日本軍に占領されたことで生じた空白状態へ、少なからぬ台湾人が活動の余地を求めてやって来ていたという背景も指摘される。

 彼の文章で表現されている台湾の原住民、北京の街並み、中国大陸の広大さなどの印象が検討されるが、それらはある意味表面的なもので、むしろ彼自身の内面に潜む感激性の芸術的情熱が台湾・中国といったイメージによって触発されている様が見て取れる。彼の本領はロマン主義にあった。政治的・文化的アイデンティティーとして台湾・中国を選びなおしたというのではなく、チェレプニンの示唆に従って西洋音楽の模倣ではない、東洋の伝統に根ざした音楽を求め(1940年には「西洋文明は行き詰っている」と彼は発言していたそうで、当時の日本の知識人に蔓延していた“近代の超克”の風潮も想起される)、そうした芸術的インスピレーションの源泉として自身とも血縁関係のある台湾・中国に関心を抱いた。それは、ロマンティックに想像された“台湾”“中国”であった(当時の日本の知識人の間には、国力的には日本が上回っていると思いつつも、やはり中国文化への尊敬や憧れがあり、そうした知的風潮の中に江文也もいたことが指摘される)。

 このように、後世の民族主義的視点に偏った江文也イメージをいったん突き崩し、彼個人の芸術的感性を彼の生きていた当時の歴史的コンテクストの中で理解していこうと努めているところにこの論文の建設的な説得力がある。日記等の一次史料の利用がままならないようだが、いずれ一冊の伝記研究に是非ともまとめて欲しい。

 なお、江文也については、『上代支那正楽考──孔子の音楽論』に附された解説論文、片山杜秀「江文也とその新たな文脈──1945年までを中心に」も秀逸で、日本語で書かれた江文也研究としてはこれが一番良い。

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