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2010年1月26日 (火)

李欽賢《追尋台灣的風景圖像》

李欽賢《追尋台灣的風景圖像》台灣書房、2009年

 著者の《台灣美術之旅》(雄獅図書、2007年→こちら)は、美術家たちそれぞれゆかりの土地でのエピソードと、彼らの時系列的な位置付けとを組み合わせる構成がよく出来ていて、台湾を旅しながら台湾美術史の流れを把握できるという面白い本だった。恰好な入門書だと思う。

 本書《追尋台灣的風景圖像》も、台湾の風土とそこに向けられる眼差しとしての美術という取り合わせは同じだが、むしろ前者の風土の方に重きが置かれている。眼差しのあり方としては美術ばかりでなく、絵葉書とスタンプ、鉄道やバスと観光、近代建築の出現と街並みの変化など様々な視点を取り上げ、当時におけるエピソードも合わせてつづった歴史エッセイ集に仕上がっている。台湾人の美意識を掘り起こすというコンセプトは、民主化以降の本土化の流れを体現していると言える。

 近代化へと向けて風景が大きく変わり始めた日本統治期の話題が多い。近代西洋画の技法を身に付けた台湾人の画家たちはこの時代から輩出したという事情がある。それから、台湾人が当たり前に思っていた目前の風景に、外来者である日本人がエキゾチックな美を見出し、そうした眼差しに今度は台湾人も触発されたという側面もあったのだろうか。台湾で多くの弟子を育てた石川欽一郎は水彩画で南国的な田園風景を描いた。フォービズムの鹽月桃甫は原住民に関心を寄せたらしい(霧社事件の報復爆撃で逃げ惑う原住民の母と幼な児を描いた「母」という作品が目を引く)。立石鐵臣は生活光景や民具をシンプルな版画のカットで表現した(立石は『民俗台湾』の主力メンバー。彼については以前にこちらで取り上げた)。

 話が脱線するが、梅原龍三郎が台展(台湾美術展覧会)の審査員として来るなど意外と台湾と縁がある。以前、三峡の李梅樹美術館に行ったら、李宛ての梅原の葉書が展示されていた。梅原は李が東京美術学校で学んでいた時の恩師で、三峡の実家まで案内したらしく、その時のお礼状だった。それから、師範大学教授として北京へ行った郭柏川はやはり北京訪問中の梅原と交流があり、郭の作品には梅原の影響が濃厚に表われているという。別の関心事だが、江文也も当時北京師範大学の教授で郭の同僚だったし、梅原とも知っていたはずだから、この辺の交友関係もどんなものだったのかという興味がわいた。

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コメント

不意にこのブログを拜見しました おおほめてぃただぃて御記事をよんで 嬉しながら光榮と思っております
ありがとうござぃます

投稿: 李欽賢 | 2012年7月10日 (火) 22時51分

わざわざコメントをいただきまして、恐縮です。台湾美術史についての日本語の本はあまりないので、先生の本で勉強させていただきました。こちらこそ、ありがとうございました。

投稿: トゥルバドゥール | 2012年7月10日 (火) 23時39分

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