浜井浩一『2円で刑務所、5億で執行猶予』、浜井浩一編著『家族内殺人』、芹沢一也『暴走するセキュリティ』、他
統計的に過去と比較すると凶悪犯罪は減少しているにも拘わらず、マスコミを中心に「治安が悪化している、それはモラルの低下に問題がある」といった趣旨の話が巷間流布している。浜井浩一『2円で刑務所、5億で執行猶予』(光文社新書、2009年)は、そうした“神話”を具体的な根拠に基づいて解きほぐしていく。タイトルからは何の本だかよく分からないが、犯罪学の知見から様々な論点を提起しており、犯罪・司法・更生という一連の流れを概観する上でとっかかりになる。犯罪抑止に関して経済学者と犯罪学者とでは同じ統計的手法を用いても想定する人間像が異なる(前者は合理的人間モデルを取るのに対し、後者は人間存在の不合理な側面を考慮に入れる)ので結論も違ってくること、判決以前に犯罪者と関わる警察官・検察官・裁判官と以後に関わる矯正職員・保護観察官とでは犯罪者へのイメージが異なること、といった論点に関心を持った。
凶悪犯罪が減少しているにも拘わらず、なぜ体感治安が増加しているのかについては河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス──治安の法社会学』(岩波書店、2004年)が一つの試論を提示していた(→こちら)。社会に居場所がなく刑務所に入らざるを得ない触法障害者や「刑務所太郎」(刑務所生活では優等生なのに、社会的に適応できない人々)については、浜井浩一『刑務所の風景──社会を見つめる刑務所モノグラフ』(日本評論社、2006年)、山本譲司『獄窓記』(新潮文庫、2008年)、同『続 獄窓記』(ポプラ社、2008年)が具体的な状況を描いている。
浜井浩一編著『家族内殺人』(洋泉社新書y、2009年)は親殺し、児童虐待、嬰児殺、高齢者の殺人、無理心中やDV、更生といった問題についてそれぞれ現場を知っている専門家が執筆。家族内殺人は昔からある。それは家族という濃密に閉じられた人間関係の中で生じた複雑なトラブルに起因する問題で、時代的なモラルとは次元が異なる。統計的にはむしろ減少傾向にあるにも拘わらず、やはり上掲書と同様に「家族の絆が崩れている」と通俗化されてしまった“神話”が実際の状況から乖離しており、かえってその実像がなかなか理解されないという問題が指摘される。
芹沢一也『暴走するセキュリティ』(洋泉社新書y、2009年)は、廃刊された『論座』連載「犯罪季評 ホラーハウス社会を読む」を基にまとめられている。“犯罪”に向けられた社会的な眼差しの内在構造を腑分けしていく論点を示していく。江戸時代の死刑は見せしめのための公開処刑として権力誇示のセレモニーだったのに対し、現代の刑罰観は囚人の矯正→しかし、死刑=生命の剥奪は矛盾してしまう→死刑へのためらい、隠蔽、という論点に興味を持った。
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