« 台湾南部旅行②1月2日 台南、高雄 | トップページ | 台湾南部旅行④1月3日 竹田、鳳山、高雄 »

2010年1月10日 (日)

台湾南部旅行③1月3日 恒春、枋寮、佳冬

【バスで移動】
・1月3日(日)。朝、テレビの天気予報では台湾全土で曇りときどき雨。
・高雄車站脇のバスターミナルへ行く。墾丁方面へ行く墾丁列車88快速という高速バスは30分間隔で意外と本数は多い(なお、台湾のバスやMRT・KRTなどの時刻表では始発・最終便の時間だけ示し、あとは約何分間隔という表示になっていることが多い)。窓口で乗車券を購入(恒春まで308元)、私は7:35頃に乗車。切符を運転手さんに渡すと、端っこを切り落としてから戻される。この時に停車地を確認しているのだろう。戻された券はなくさず手元にとっておき、降車時に運転手さんに渡す。
・あいにくの曇天で、バスが動き始めた途端に雨が降り始めた。高雄市街地を出て高速道路に入る。椰子や檳榔樹など丈の高い木々が栽培される緑の海の中を通る。棕櫚系の葉が幅広い植物も目立つ。丈の低い栽培植物の実には白い袋がかぶせられていて、何の果物なのか分からない。ため池が多い。高速道路を降りてからは墾丁に向けて海沿いの国道を走る。せっかく南国の海の光景が広がっているのに、雨なので残念。道路脇には檳榔のお店が目立つ。それから、黒珍珠の売店も目立ったが、どんな果物なのだろう?
・前の座席に座っている台湾人女性と白人男性の二人組みは英語で会話していたが、途中で中国語の数字の発音練習。とりわけ、十(shi)と四(si)の違いを繰り返しやっていた。このお二方は恒春の手前の保力で降りる予定だったらしいが、運転手さんがうっかり通り過ぎてしまった様子。恒春市内に入り、降車する人が多い地点でお二方も私も下車。
・バス停の前にあったコンビニで屏東縣の地図を購入。持参した観光ガイドを見てもどうも様子が違うと思っていたら、私が降りたのは目的地に想定していた恒春の一つ手前の恒春電信所前というバス停だった。ここから南へ歩けば、恒春古城の城門を外から中へとくぐる形になるので、むしろ好都合。

【恒春】
・恒春古城と記された観光案内板に従って進むと、西門へ出た。映画「海角七号」の冒頭でここが出てくる。撮影のため台北から来たモデルたちの乗るバスがこの西門を通過しようとしても通れない。田中千絵扮する友子が「無理でもいいから通りなさいよ!」と怒鳴りちらすシーン。実際に、普通の車でも片側通行となるためつまっていた。この西門を通って老街へと進むのが昔のメインストリートだったようだが、路線バスは先ほど私の下車したあたりからそれて、城壁のとぎれている大通りを通る形になっている。
・私がちょうど西門をくぐって恒春古城内に入り込んだ頃、雨があがり、雲間から青空が顔をのぞかせた。城壁の向うの空高く、虹が見える。恒春の街は私を歓迎してくれているようだ。
・1874年の日本によるいわゆる台湾出兵(牡丹社事件)の際、西郷従道率いる部隊がこの近くを通ったはずだ。台湾出兵とは、台湾南部に漂着した宮古島民が原住民族のパイワン族に殺害され、日本政府が抗議→しかし清朝側は原住民のことは関知しないと対応→日本軍が上陸した事件。当時、日清両国間で琉球王国の帰属問題が係争中であったが、この台湾出兵の処理を通じて日本への帰属が固まったことは日本史の教科書にある。日本の台湾出兵で危機感を抱いた清朝は洋務官僚の一人である沈葆楨を派遣、恒春古城の城壁は彼の指示で造られたという。
・観光案内標示板に従って石碑公園へと行く。ちょっとした岩山の上に忠魂碑・○○碑など三つの日本統治期の石碑があった。一つはもぎ取られて現存せず、あとの二つは銘文の部分が削られている。自動車で来た家族連れの観光客。小さな子供二人が歓声をあげながら石碑の基壇によじのぼり、お母さんが記念撮影。私も石碑を撮影しようと思って、脇のところでぼんやり待っていたら、私がデジカメを持っているのを見てそのお母さんが「撮ってあげましょうか?」と声をかけてくれた。私は基本的に自分入りの写真は撮らないことにしているので「No, thank you、謝謝」と笑顔でお断り。そのお母さんは「あらあら、台湾の人かと思っていたわ」という感じに笑いながら子供たちの方へ行った。台湾を歩いていると、「写真撮ってあげるよ」と向うから結構気軽に声をかけてくれる人がいる。
・恒春にとって映画「海角七号」は格好のまちおこしの題材である。「海角七号」のロゴ入り観光標示板に「阿嘉之家」と記されている方向へ行く。きれいにペインティングされた小さな家で、「阿嘉の家」(「の」はひらがな)という看板がかかっている。映画の主人公・阿嘉は台北でミュージシャンとなる夢に挫折してこの実家に戻っているという設定。まだ午前10時ちょっと前だが、周りで屋台がいくつか準備を始めていた。観光客らしいのも数人来ている。50元払って中に入れるようだ。ドア前にいたおじさんに渡して入ると、中は明らかに人が生活している雰囲気である。ドア前にいたのはご主人か。小学生くらいの息子さんが所在なげに立っている。奥の台所では奥さんが食事の支度中。急な階段を上ると、二階は阿嘉の部屋。映画中で使われていた日本語の手紙が机の上に置いてあり、写真に撮った。娘さんが観光客相手に案内していた。出るとき、おじさんが「写真撮ってあげるよ」と声をかけてくれた。例によって「No, thank you、謝謝」とやっていたら、私に意味が通じていないと思われたのか、居合わせた別の観光客の人が「シャシン」と日本語で声をかけてくれた。
・南門(写真)まで行くと、そのすぐ脇に臨時バスターミナルがあるのを確認。工事による暫定的なものらしい。もちろん、ガイドブックにあるのとは違う場所である。場所だけ頭に入れておく。東門は現存しないが、大きな門を復元工事中。城壁に沿って北門へ。ここはきれいに整備されており、観光バスなどの待機する駐車場となっており、観光客向けのお出迎えはここのようである。市の中心部に向けて進み、再び最初に来た西門近くまで戻り、それから中山老街をブラブラ歩く。特に屋台などが出ているわけではなく、人通りはそれほどない。
・写真は南門から東門に、写真は東門から北門に向かって歩いている途中に行きあった猫。写真を撮ろうと私が身構えているのを見ても全く動じない。写真は商店街で見かけた子犬。目が合った人ごとにトコトコついていく姿が何とも愛らしいのだが、台湾は狭苦しい路地でもバイクが平気で通り抜けていくので、心配にもなる。
・私は回り道したので少々時間がかかったが、恒春の街を普通に見ながら一巡するには1時間ほどあれば十分ではないか。城壁や城門に年経りた風情を感じさせる、こぢんまりとしているが静かで穏やかな街だ。街の人々を見ていると、原住民系の目鼻立ちのくっきりした顔立ちの人も割合と見かけた。
・南門脇のバスターミナルへ戻り、チケットを買ってバスを待つ。11:30過ぎにバスが来た。

【枋寮】
・枋寮までバスで移動。今朝は雨降りも覚悟していたが、くもりがちとはいえ時折雲間から晴れ間ものぞき、天気としてはまずまず。車城を過ぎると海岸沿いを走る。海の色は明るいエメラルド・グリーンに見える。さすがに海水浴客はいなかった。海沿いでは養殖用の池垣も見かけた。
・枋寮車站に行くと、タッチの差でちょうど列車が出発してしまったばかりであった。次まで1時間ほど待たねばならない。街を歩く。うらぶれた感じの漁港。商店街があるにはあるが、人通りは少なく、どこかで昼食を摂ろうにも、目ぼしいお店は見当たらない。屋台はあちこちに置いてあるから、夜になればそれなりに活気も出るのだろう。書店が文具屋・玩具屋を兼ねて子供たちが集まっているのは日本の田舎でも見られる光景だ。
・駅前の通りに、枋寮の歴史を記した説明表示板が並んでいた。ざっと見たところでは、下関条約(1895年)後の日本による台湾接収にあたり、乃木希典率いる部隊がここから上陸したこと、民族学者の鳥居龍蔵と森丑之助、移川子之蔵と宮本延人がそれぞれここを通過したという記述が目についた。
・海辺に出る。海の向うに見える島は小琉球か。ぶらぶら歩いていたら、小型漁船の密集する内湾状の船着場に出た。入口あたりではおっさんが椅子の上に足を投げ出して新聞を読みふけっており、私がそばを通り過ぎても見向きもしない。女の子が一人、漁船の甲板の上から船のすき間に釣り糸を垂らしている。コールタールの独特なにおい。近くの家からは、昼食の準備だろうか、鍋をカシャカシャこする音が聞こえてくる。のどかなお昼時。気温は体感的に言って20度を越しているはずだ。
・駅前のセブンイレブンでパンとコーヒーを買い、列車に乗り込んで車中で軽く昼食を済ませた。

【佳冬】
・枋寮から列車に乗り、一つおいて次の佳冬で下車。1940年代の皇民化運動の最中に建てられた神社の鳥居が現存しているらしいので、それを見るのが目的。
・檳榔樹その他の木々が青々と繁る中にひっそりとたたずむ二つの駅舎(写真)。一つは現在使われているものだが、もう一つはおそらく戦前に建てられたものだろう。
・人通りはほとんどない。大通りに出る。台湾の国道。午前中、恒春に向かう高速バスの墾丁列車に乗って通った所だ。道路に沿っていくつかお店が並んでいるが、檳榔の売店、それから客家料理のお店が目立つ。ここは客家系の集落のようだ。
・駅を出て右側の方向へ進む。檳榔や果物の畑が広がる中をまっすぐつっきるようにのびる道路。文字通り郊外に典型的なほこりっぽい風景で、バスや大型ダンプがビュンビュンとばしていく。20分ほどひたすら歩いて、それでも何もないので、そろそろ諦めて引き返そうかと思った頃、ようやく鳥居を見つけた(写真)。左斜めの方向に小道が続いている。かたわらには台湾土着のお堂があり、道路の反対側にはセブンイレブン。
・鳥居をくぐって小道を進む。犬が2匹待ち構えていて、私の姿を認めるやいなや、けたたましく吠え立て始めた。私が進んでいくと道路脇によけて吠え続けている。パタパタ尻尾を振っているし、表情もむしろ嬉しそうで、「珍しいお客さんが来たよ!」と周囲に知らせようとしているように見える。草むしりをしているおじいさんは、私があたかもそこにはいないかのように、平然と作業を続けている。
・道路脇を見ると、両側に一対の丸いくぼみのある石の台座らしきものが規則的に並んでおり、この道に沿って複数の鳥居が並んでいたことが分かる。築山状のところにつけられた小さな階段の上にも鳥居があり、そこをくぐると、社殿跡が目に入った。針金状の鉄芯が飛び出たコンクリートの台座以外には何もなく、それも鬱蒼とした木々の中に埋もれるように隠れている。
・佳冬車站に向けて、畑の中のほこりっぽい一本道を引き返す。両側に広がるのは果樹園らしいのだが、実にはすべて白い袋がかぶせられていて、何の果物なのか分からない。近寄って確かめようと思い、念のため写真を撮っていたら、スクーターに乗ったおばさんが近寄って来て止まった。年の頃は50~60代くらいか。以下、会話を超意訳すると、「ここはオラんちの畑だども、おめさん、何してるだ?」「ワタシ、ニッポンジン、チューゴクゴ、ワカリマセン。コレ、水果(果物)?」「そうそう、水果、水果」「ナンノ水果?」「レモン」(と聞こえた)。私は中国語をしゃべれないから、とっさに思いつく単語と構文を滅茶苦茶に結び付けてタドタドしい。言葉が出てこなくて、もどかしくて苦しそうに手を動かしていると、おばさんも笑っていた。「中さ入って見ていかんかね?」「謝謝、ワタシ、ジカン、アリマセン。車站ニイカネバナリマセン」「どこさ行くだ?」「カオシュン」「ああ、カオシュン。佳冬車站ならこの道をまっすぐ行きんしゃい」「謝謝、謝謝、再見」時間が潤沢にあればご好意にあまえたいところなのだが、仕方ない。心残りのまま歩き始めた。
・駅近くまで戻ったとき、ある家の前で車から降りてきた女の子とお母さん。すれ違ったとき、「わかった?」「わすれたあ」「なに?」という会話が耳に入った。えっ、と驚いて振り向いたら、もう家の中に入ってしまった。私の聞き間違いか?

|

« 台湾南部旅行②1月2日 台南、高雄 | トップページ | 台湾南部旅行④1月3日 竹田、鳳山、高雄 »

台湾」カテゴリの記事

旅行・町歩き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197828/47249447

この記事へのトラックバック一覧です: 台湾南部旅行③1月3日 恒春、枋寮、佳冬:

« 台湾南部旅行②1月2日 台南、高雄 | トップページ | 台湾南部旅行④1月3日 竹田、鳳山、高雄 »