« 2009年11月8日 - 2009年11月14日 | トップページ | 2009年11月22日 - 2009年11月28日 »

2009年11月15日 - 2009年11月21日

2009年11月20日 (金)

アレクサンドラ・ハーニー『中国貧困絶望工場』、レスリー・T・チャン『ファクトリー・ガールズ』

 アレクサンドラ・ハーニー(漆嶋稔訳)『中国貧困絶望工場──「世界の工場」のカラクリ』(日経BP社、2008年)の原題は“The China Price”。中国製品の低価格による競争力は世界経済の中で大きな存在感を示す一方、健康被害や環境問題なども引き起こしていることは周知の通り。経済成長を最優先させる中国自身が払わざるを得なくなっている代償は何かを取材したノンフィクションである。低コスト→安い労働力→苛酷な労働環境という因果関係は邦題からもうかがえるだろう。

 中国の工場は、取引先の外国企業から労働条件等の社会規範遵守を迫られてはいる。しかし、そのまま守ろうとすると、高コスト→競争力は落ちる。だから、双方とも見て見ぬふり。高コスト→価格に反映→それでも海外の消費者は買ってくれるのか? 生活に余裕のある人ならともかく、低価格商品を求めるのは低所得層である。それに、低コストのしわ寄せが国内のことであれば世論の喚起もしやすいが、国境の外である中国のことはなかなか目に見えない。労働問題に取り組む弁護士や待遇改善を進める工場経営者の努力には何とか希望をつなげられそうでも、行く手はなかなか難しそうだ。目先のコスト計算をもとに法の抜け穴をかいくぐろうとする動きが必ず出る。劣悪な労働環境→生産効率の低下や社会不安の増大→長期的には市場にとっても不利、という考え方が中国社会全体のコンセンサスとして定着するかどうかがカギか。

 どんなに苛酷な工場労働であっても、“新しい何か”を都市に求める農村の貧しい若者たちを引き付けてやまない。『中国貧困絶望工場』でも工場から不動産業に転職してチャンスをつかんだ少女の話が出てくるが、たとえ稀ではあってもそうした実例があればこそなおさらだろう。

 Leslie T. Chang, Factory Girls: From Village to City in a Changing China (Spiegel & Grau, 2009)の著者は中国系アメリカ人の女性ジャーナリスト。香港と広州の間に位置する新興工業都市・東莞に住み込み、この地の工場で働く少女たちに密着インタビューしたノンフィクションである。現代中国版「女工哀史」のようなつもりで読み始めたのだが、むしろ不利な条件の中でもポジティヴに生きようとする姿が描かれる。とりわけ二人の女性に的が絞られ、一人からは日記を読ませてもらい、もう一人には春節の里帰りにまで同行している。

 男性に比べて従順で扱いやすいという理由で工場労働の7~8割ほどは女性で占められているという。過去を置き忘れたように目まぐるしく変わり続ける都市部、故郷から離れてツテもない中、頼れるのは自分だけ。成功するにはチャンスをつかめ! 貪欲に、時には失意にうちひしがれて疲れた表情を見せながら、追い立てられるように慌しい彼女たち。スキルをみがき、もっと広い世界を見たいという思いは英語学習熱に表われる。あるいは、マルチ商法に自己啓発セミナー、それから出会い系サイトで結婚相手を探したり。

 里帰りすれば、都市と農村との落差が明らかになる。彼女たちは、家族に会えるのは嬉しくても、退屈な故郷に戻ることなどもはやできない。『中国貧困絶望工場』でも指摘されていたが、出稼ぎ第一世代が生活のため仕方なく都市に出てきたのに対し、現在の第二世代はむしろ自己実現志向が強い。別世界に行ってしまった娘とそれに戸惑う親とのギャップを目の当たりにしながら、著者も自身のルーツに思い当たる。著者の祖父はアメリカ留学経験のある技術者であったが国共内戦の混乱で殺されてしまい、台湾に逃れた祖母は子供たちをアメリカ留学に送り出した。つまり、故郷を離れて新しい生活を築き上げようとした人たちであったという点でイメージを重ね合わせる。他方で、現代史の流れの中で祖父母の世代と比べると、現代のファクトリー・ガールズの個人主義志向の強さも際立つ。良い悪いは別として。

 仕事や人間関係に悩む女の子たちの普段の表情がこまやかに観察されているのが本書の魅力だが、著者がこれまで避けてきた自身のルーツ探しのエピソードも絡められ、そこを通して中国現代史の一端も描かれる。意外と奥行きのある作品で、なかなか読み応えはあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月18日 (水)

まど・みちお百歳

 詩人・童謡作家のまど・みちおさんが今月、百歳の誕生日を迎えたそうな。ピンと来ない人もいるかもしれないけど、「ぞーうさん、ぞーうさん、おーはながながいのね」とか「いっちねんせーいになったーらー~ともだちひゃくにんできるかな」とかの人ね。今でも作品をつくり続けているらしい。「ぞうさん」の作曲が團伊玖磨というのは初めて知った。

 まどさんは1909年、山口県生まれ。親の転勤で台湾に渡ってこちらで育ち、学校卒業後も台湾総督府に勤務。学生の頃から同人誌に詩を発表していたが、西川満たちが1939年に立ち上げた『文藝台湾』(刊行は翌年1月)に参加。同人名簿に本名の石田道雄で記載があるのを見たことがある。このことはwikipediaにも記述がないので取りあえずメモしとく次第。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月17日 (火)

蒋介石関連で5冊

 野村浩一『蒋介石と毛沢東──世界戦争のなかの革命』(岩波書店、1997年)は、地域割拠や国共対立といった国内の分裂、日本からの軍事的圧迫などの危機に直面した1920~40年代の政治状況について蒋介石・毛沢東の二人(前者に重きが置かれている)を主軸に描く。最終的に国民党が共産党に敗れたのはなぜなのかというテーマは中国現代史の大きな論争点の一つである。蒋介石の南京国民政府は、三民主義に基づいて中国の近代化を目指しつつも、統治体制の再編にあたって旧来的な政治文化をひきずっていたため、抗日戦争の中でそのほころびが表面化した。対して共産党は農民世界における郷村秩序の再編成を通して支持を集めたとされる。

 家近亮子『蒋介石と南京国民政府』(慶應義塾大学出版会、2002年)は、従来主流であった共産党中心の歴史解釈の中で国民党の位置付けが閑却されてきたという問題意識をもとに南京国民政府(台湾移転まで)をめぐる政治過程を分析する。地域割拠や国民党内の路線対立などで蒋介石の権力基盤は必ずしも強固ではなかったが、近代国家建設を担う政権としての正当性を内外に示すことを目指していた。国民党敗退の原因として、党の権力組織が国の末端まで行き渡っていなかった点を挙げる。孫文が示した軍政→訓政→憲政という政治プログラムは抽象的で、現実の政治状況は想定されていない。後継者が三民主義の解釈件を確立できなかったため情勢の変転に対応できなかった。各地の指導者が独自に三民主義を解釈して中央の方針と矛盾を来すことも生じた。上掲野村書では蒋介石政権の特徴として恩顧主義が挙げられていた。本書ではその恩顧主義が蒋介石への忠誠を強いるだけの片務的なものであり、国民党は中国国内の社会的資源を独占できず、従ってその配分ができなかったことが弱点になったとされる。他方で、南京国民政府期において国家建設に必要な基礎用件(とりわけ、人的資源の動員や対外的地位の確立)はすでに用意されており、中華人民共和国はこれらを引き継いだという意味で政治的継続性があると指摘される。

 パターナリスティックな訓政から国民主権の憲政へと移行するには、それにふさわしい近代的な国民を創出しなければならない。蒋介石は1934~49年まで新生活運動を発動した。段瑞聡『蒋介石と新生活運動』(慶應義塾大学出版会、2006年)はこの新生活運動に着目して蒋介石の政治理念や政治構造を分析する。思想的には、①儒教(→中国の伝統重視)、②ファシズム(→大衆動員)、③キリスト教(→欧米へのアピール)、④日本留学体験を通して武士道への関心(清潔と規律を重視。日本の武士道はそもそも中国の陽明学に起源があると認識→三民主義の儒教的解釈に影響)といった特徴が指摘される。新生活運動を大衆レベルで展開することで蒋介石のリーダーシップによる国家建設と現代的戦争形態に対応できる国家総動員を目指していたが、必ずしも成功したわけではなかった。蒋介石自身の直接的号令で行なわれたことは一見すると独裁者的だが、これを裏返すと、国民党組織を通じた指令が国の末端まで浸透していなかった、その意味で彼の権力基盤が国レベルでも党レベルでも弱かったことが浮き彫りにされる。

 大陸ではリーダーシップを確立できなかった蒋介石だが、国共内戦に敗北後、皮肉なことに撤退先の台湾で強固な独裁体制を確立する。松田康博『台湾における一党独裁体制の成立』(慶應義塾大学出版会、2006年)は、豊富な史料を活用しながら複雑に錯綜する政治力学を丹念に解きほぐし、国民党の権力機構が台湾で確立されていく過程を詳細に描き出している。国民党の中央集権化を阻んでいた最大の要因は軍事力を持って割拠する地方派閥の存在だったが、これらの軍隊は台湾に逃げ込んだ時点で縮小・解体され、地方派閥は完全に消滅した。“法統”にも危うい問題があったが、蒋介石はわずかなスキをついてギリギリの神経戦を勝ち残った。党の改造があらかた終わると、その大鉈を振るっていたC・C派の陳兄弟を実質的にパージ、蒋介石による“領袖独裁”が確立される。それは、中華民国総統と国民党総裁という二つの職務を兼任することで、総統として国軍と特務機関(中共との対立→スパイの不安→蒋経国が指揮する特務機関の活動→党や軍も見張る)を掌握、総裁として党を通じて中央・地方の行政にも指導を貫徹させる体制であった。他方で、①自律的・技術的に政策立案を追求するテクノクラートの存在、②アメリカの目を気にして“憲政”の建前、③“法統”維持という建前から立法院を存続(大陸で選挙できないから改選なし→不逮捕特権があるため蒋介石も手出しできなかった。民意の反映という点でたとえ不完全な方法であっても、いったん選出されたら体制内部でダイナミズムを引き起こす潜在力を秘める。かつては強硬派であったC・C派が、党中央との対立を契機に民主化を求める体制内野党に転じたという政治力学が興味深い)、④外省人支配の体制ではあったが地方議会選挙では台湾の地域派閥と妥協、以上のように国民党独裁体制ではあっても後の民主化につながる初発条件を内在していたとも指摘される。

 日本との関わりも含めて蒋介石の生涯をたどるには、保阪正康『蒋介石』(文春新書、1999年)が読みやすいだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月16日 (月)

「母なる証明」

「母なる証明」

 若干の知的障害を持つ青年トジュン(ウォンビン)は母親(キム・ヘジャ)と二人暮らし。母は貧しい生活をやりくりしながらせっせと息子の世話を焼いている。ある晩、町で女子高生が殺され、事件発生時に近くを歩いていたトジュンが逮捕された。母は息子の冤罪を晴らそうと自分で事件を調べ始める。

 ──と書くと、肝っ玉母さんの熱血探偵物語みたいな感じかもしれないが、実はそんなに単純なストーリーではない。金をゆすりに来たトジュンの悪友は、事件の真相調査に協力しながらも「俺を含めて誰も信用してはいけない」と言う。拘置所に入れられたトジュンは失われた記憶を少しずつ取り戻していた。母が二度と思い出したくなかった、幼少時のある出来事も…。疑心暗鬼とストーリーのどんでん返しに緊張感があって、サスペンス・ドラマとして見ごたえがあった。

 真相を突き止めたとき、母はどうするか。邦題「母なる証明」の意味合いがそこにある。そして、彼女は“真犯人”の青年が孤児であったことを知る。殺された女子高生の家庭環境も悲惨で、二人は心を通い合わせていたであろうこともほのめかされる。“真犯人”の青年に母はいない。そして、母である彼女自身はトジュンを思うあまり何をしたのか。寒々とした野山の中、母が一人歩いていく姿を遠くから捉えたシーン、哀しげな表情で狂ったように一人踊り狂うシーンが時折挿入され、これらの映像から漂ってくる彼女自身のやるせない孤独感が印象的だった。

【データ】
監督・原案:ポン・ジュノ
2009年/韓国/129分
(2009年11月14日、新宿バルト9にて)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年11月8日 - 2009年11月14日 | トップページ | 2009年11月22日 - 2009年11月28日 »