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2009年11月1日 - 2009年11月7日

2009年11月 7日 (土)

正木恒夫『植民地幻想──イギリス文学と非ヨーロッパ』

正木恒夫『植民地幻想──イギリス文学と非ヨーロッパ』(みすず書房、1995年)

 ポカホンタス、コロンブス、シェイクスピア『テンペスト』、ロビンソン・クルーソー物語、キャプテン・クック、コンラッド『闇の奥』、シャーロック・ホームズ──。日本でもよく知られたエピソードや文学作品を読み直しながら、ヨーロッパが異世界と出会ったときにどのような眼差しを向けてきたのかを再検討する。

 意図的かどうかはともかく、“野蛮”イメージ(とりわけ“食人種”に注目される)を作り上げたことによる、相手文化に対して振るった暴力の後ろめたさへの正当化、さらにはキリスト教もしくは近代化の“偉大さ”の勝利。こうした発想によって欧米の植民地支配が“文明の福音”という名目で美化されていたことは周知の通りである。逆に、ルソーをはじめとしてよく見られる“高貴なる野蛮人”も、自分たち自身を批判するために作り出された他者イメージであった、その意味では相手文化の実際など閑却されていたという点ではやはりヨーロッパ中心的な視点がはらまれていた。いずれにしても、ヨーロッパからの一方的な他者規定が意識の奥底まで根深く巣食っていた様子が文学作品の些細な一節からも浮き彫りにされてくる。

 こうした眼差しは日本にとっても他人事ではない。本書の糸口となる竹山道雄『ビルマの竪琴』に現われた食人種の話や新井白石がシドッチを通して得た世界認識などは歴史上の一エピソードにとどまるかもしれない。だが、日本は近代化が不徹底だったから“侵略国家”になったのではなく、むしろ近代化=西欧化を進めてきたからこそ植民地主義的な眼差しをも内面化してしまったのではないかという問題提起はよく考えてみる必要があるだろう。

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2009年11月 6日 (金)

木畑洋一『イギリス帝国と帝国主義──比較と関係の視座』

木畑洋一『イギリス帝国と帝国主義──比較と関係の視座』(有志舎、2008年)

・イギリス帝国を視点の基軸に置きつつ、「帝国主義」をめぐる諸論点を考察。
・19世紀後半以降、「帝国」による世界分割。日本の登場は、この帝国主義世界体制をむしろ完成させた。
・帝国意識:民族・人種差別意識と大国主義的ナショナリズムの結び付き→「文明の使命」感。階級意識にかかわらず日常生活に見られた潜在的帝国意識を検討する必要。ナショナル・アイデンティティの強化という機能(1960年代以降、スコットランドやウェールズなどの「ナショナリズム」→国民国家が自明視できず→「イギリス人」統合の表象として「帝国意識」)。
・支配者側に多民族支配を当然視する意識がある一方で、被支配者側にも支配・従属を不思議に思わない依存意識・植民地意識が培養された(とりわけ文化面で)→政治的には独立してもこの点での脱植民地化が未完の課題として残った。また、経済構造の問題。
・他方で、旧支配者側に残った「大国意識」からの脱却も課題。イギリスの場合、ヨーロッパ統合に消極的となった原因。

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2009年11月 5日 (木)

ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』

ミハイル・バフチン(望月哲男・鈴木淳一訳)『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫、1995年)

 昔から気になってはいても敬遠してなかなか手がのびなかった本が色々とあるが、そうしたうちの一冊。先日、ピーター・バーク(原聖訳)『近世ヨーロッパの言語と社会──印刷の発明からフランス革命まで』(岩波書店、2009年)を読んでいたらミハイル・バフチンに言及されていたので思い出し、勇を鼓して読み始めたのだが、これがまた実に素晴らしい。

 “ポリフォニー”と“カーニバル”、二つのキーワードをもとにドストエフスキーの作品世界を読み解いていくという内容である。ドストエフスキーが何を言っているか、ではなく、どのように語っているか、つまり彼の作品の叙述構成そのものに思想としての迫力があることを鮮やかに示した着眼点が非常に面白い。ドストエフスキー評価という以前に、そのテクストを読み込んでいくバフチンの眼差し自体に思想としての説得力があって、久々に興奮しながら読み進めた。

「それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。」…「ここではまさに、それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独自性を保ったまま、何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆくのである。」…「作品構造の中で主人公の言葉は極度の自立性を持っている。それはあたかも作者の言葉と肩を並べる言葉としての響きを持ち、作者の言葉および同じく自立した価値を持つ他の主人公たちの言葉と独特な形で組み合わされるのである。」(15~16ページ)

「ドストエフスキーの世界は根本から多元的な世界である。もしかりにその世界が全体として志向しているようなイメージを、あえてドストエフスキー自身の世界観にそった形で求めるならば、それは互いに融合し合うことのない魂同士の交流の場としての教会、罪人も義人もともに集う教会であろう。あるいはおそらくダンテ風の世界──多次元性がそのまま永遠性につながり、悔いることなき者たちと悔いた者たち、罪人と救われた者たちがともに集う世界──であろう。」(55ページ)

 ドストエフスキーの小説世界に登場する人々にはすべて自律的なイデーがある、つまり自分らしさを持っている。ストーリー進行上の登場頻度という点では主役・脇役という配列が確かにあるかもしれない。しかし、彼ら一人ひとりの発する言葉には、その人でなければ言えないという必然性がある。ストーリー構成上のコマとして作者によって操られているのではなく、自分自身の言葉を語り始める彼らは時には作者の思惑をも超えた存在感を示す。すべての登場人物が主体的な意識を持っており、そうした複数の意識のありようを同時に描き分けることができたところにドストエフスキーの作り上げた小説世界の画期的な重要性があるのだとバフチンは指摘する。

 従来型の小説では作者が自らの意図なり思想なりを表現するという姿勢が打ち出されている。つまり、結論はすでに決まっており、話題をその方向へと流し込むための道具として登場人物は造型されている。作者の思想に反対するキャラクターは、反対する者という負の役割を担ってストーリーにメリハリをつけるために登場する。「モノローグ的世界では《第三の立場は許されていない》、つまり思想は肯定されるか否定されるかのいずれかしかない」(164ページ)。「モノローグ原理においては、イデオロギーが描写の結論すなわち意味上の総括の役割を果たしているために、描写された世界は不可避的に、その結論に対するもの言わぬ客体と化してしまう」(169ページ)。モノローグ型の小説があたかも一神教的な視点に基づき一方向的に世界を作ろうとしているものとたとえるならば、ドストエフスキーの場合には、そのように俯瞰する一元的な視点は最初から存在せず、多様な声がそれぞれ自律的に響き、相互に矛盾しながらも絡まり合っていくカオティックなありのままを小説世界において再現し得ているところに特徴がある。

「意識をモノローグ的に捉える姿勢は、思想的創造行為の別の分野でも支配的である。意義や価値を持つものはすべて唯一の中心、すなわちその担い手の周囲に集められる。あらゆるイデオロギー的創作は、一つの意識、一つの精神のあり得べき表現と考えられ、受け取られている。ある集団や、多種多様な創造力が問題となっている場合でさえも、例えば国民精神、民族精神、歴史精神といったような一つの意識の内に集め、単一のアクセントで縛ることが可能である。そしてそのようなまとまりに従わないものは、偶然的で非本質的なものとされるのだ。近代においてモノローグ原理が強化され、それが思想活動のあらゆる領域に浸透してきたことに力を貸したのは、単一で唯一の理性を崇拝するヨーロッパの合理主義、とりわけ啓蒙主義時代の思潮である。この時代に、ヨーロッパ散文文学の基本的なジャンルの諸形式が形成されたのである。西欧的ユートピア思想もすべてこのモノローグ原理に基礎を置いている。信念の万能性を信じたユートピア社会主義も、またその仲間であった。そしていつの世でも意味の同一性の表象とされるのは、単一の意識、単一の視点なのである。」(167~168ページ)

 理性中心の合理主義や啓蒙主義に淵源する西欧“近代”を文学というジャンルで体現していたのがモノローグ的な言説空間である。これに対して、ドストエフスキーが“ポリフォニー”を可能にすべく用意した舞台が“カーニバル”であった。それは、日常のヒエラルキーが崩され、常軌を逸した矛盾そのままに、あらゆる言葉が対等な立場で響き合う、そうした開かれた対話の空間である。

「カーニバル化は常に様々なジャンル、様々な閉じられた思想体系、様々な文体といったもの相互間のあらゆる障壁の撤去に力を発揮し、あらゆる閉鎖性や相互的な無視を一掃し、遠いものを接近させ、ばらばらなものを統合してきたのであり、そこにこそ文学史におけるカーニバル化の偉大な機能は存するのである」(270ページ)

「カーニバル化──それは出来合いの内容の上にかぶせる表面的な不動の図ではなく、芸術的なものの見方の非常に弾力性に富んだ形式なのであり、それまで見たことのない新しいものの発見を可能にする、一種の発見の原理なのである。交替と更新のパトスを伴ったカーニバル化は、表面的に堅固な、完成された、出来合いのものをすべて相対化し、ドストエフスキーに人間および人間関係の最深層をのぞき込ませたのである。」(335ページ)

カーニバル的形象においては「両極端が互いに出会い、互いを互いの中に見出し合い、反映し合い、知り合い、理解し合っている」。ドストエフスキーの「創作世界に生息するものはすべて、自らの対立物との境界線上に立っているのである。愛は憎悪との境界線上に生息し、憎悪を知り、理解しているのであり、一方憎悪は愛との境界線上に生息し、同じように愛を理解しているのである」。…「また信仰は無神論との境界線上に生息して、無神論の中に映る自分の姿を見、無神論を理解するのであり、一方無神論は信仰との境界線上に生息し、信仰を理解するのである。崇高や高潔は、堕落や卑劣との境界線上に生息している(ドミートリー・カラマーゾフ)。生に対する愛は自己消滅の欲望に隣接している(キリーロフ)。純粋無垢と賢智は背徳と肉欲を理解しているのである(アリョーシャ・カラマーゾフ)。」…「カーニバル化は、大きな対話の開かれた構造を作り出すことを可能にした。すなわち従来は主として単一かつ唯一のモノローグ的意識が、つまり(例えばロマン主義のおけるように)単一不可分で自己増殖的な精神が支配していた精神と知の領域の中に、人間の社会的な相互関係を持ち込むことを可能にしたのであった。カーニバル的世界感覚の助けがあればこそ、ドストエフスキーは倫理的および認識論的な独我論を克服できるのである。自分自身とのみ取り残された人間は、自らの精神生活のもっとも深奥の内面的な領域においてさえ、ものごとに決着をつけるということができず、他人の意識なしにはにっちもさっちもいかないのだ。人間は、自分自身の内側だけでは、けっして完全な充足を見出すことができないのである。」(354~356ページ)

 あらゆる登場人物が脇役ではなく自律性を備えた主体である、と言っても、それぞれが自己完結した単位であるかのようにイメージしてしまうと間違ってしまう。“自分”なるものの内部にも“他者”の視線が入り込み、その入り組んだ自己内分裂の自覚から言葉がにじみ出てくる。たとえば、『地下室の手記』の語り手についてこう述べられる。

「自分に対する他者の意識の支配から逃れ、自分自身のための自分自身にどうにかしてたどり着こうとする最終的で絶望的な試みとして、他者の内にある自分のイメージを破壊し、他者の内なる自分のイメージを汚染すること──これこそ、《地下室の人間》の告白全体の狙いである。だからこそ彼は故意に、その自分自身についての言葉を醜悪なものにしようとする。そして彼は、他者の目に(かつ、自分自身の目に)英雄として映りたいという、自分の内なる欲望をすべて抹消しようとするのである。」(478ページ)

 カーニバル的な対話空間は、こうした自己内分裂をも白日の下にさらけ出してしまう。そもそも、自分が一体何者なのか? 一つ一つの言葉が呼びかけ、呼びかけられ、相互応答する中ではいずりまわる。作者自身も上から目線で彼らを操るなどということはできず、同じ地平に巻き込まれて対等な立場で登場人物たちとの結論なき対話に応じ、さらには読者もまた、作者をも含めた彼らの呼びかけに向かって真摯に呼応せざるを得なくなる。そのような応酬で切り結ばれた言葉にこそ、読み手の肺腑をえぐり、不安に陥れるリアリティーがあった。

「主人公の対話に介入せず、中立的に、客観的にその完結した形象を紡ぎ出す当事者不在の言葉というものを、ドストエフスキーは知らない。人間の個性を総括してしまうような《当事者不在》の言葉というものが、彼の構想に入り込むことはないのである。自らの最後の言葉をもはや言いきってしまった確固とした、生気のない、完結した、返答のないものは何一つ、ドストエフスキーの世界には存在しないのである。」(525~526ページ)

 話はかわるが、私自身の基本的な関心事は、東アジア世界における日本の近代思想史を自分なりの視点で捉えてみたいというところにある。右翼とか左翼とか、保守派とか進歩派とか、体制派とか反体制派とか、そうやって画然と分類して、一方を是として他方を論難するような議論というのが昔から大嫌い。と言うか、肌に合わない。真摯な言葉であれば、その人がどんな立場にあろうともそう語らざるを得なかった必然性というのがやはりあるわけで、それぞれに多様な思想が互いに矛盾しつつも絡まり合って、総体として、それこそポリフォニーとして響き合っている、そうしたあり様を描き出した思想史があれば是非とも読んでみたいし、なければ出来得るならば自分自身で書いてみたい(言うまでもないが、教科書的にこんな思想があった、あんな思想もあったと無味乾燥に列挙するのとは次元が根本的に異なる)。バフチンを読みながらそんな気持ちに駆られたという次第。

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2009年11月 4日 (水)

酒井駒子『BとIとRとD』

酒井駒子『BとIとRとD』(白泉社、2009年)

 大人にとっては当たり前な日常の出来事とか、他愛のない夢とかに、いちいち驚いたり、おびえたりした幼稚園の頃。そうした感じやすさを連作エピソードにした絵本。酒井さんの絵の、黒い色調をベースに輪郭のぼやけたタッチ、そこから漂う独特に淡い感傷が好きで手に取った。ボール紙の風合いが黒と相性が良いとのことで、ボール紙に直接描かれた作品が多い。この絵本もボール紙を意識した装丁になっている。私が初めて酒井さんの絵を見て一目惚れしたのはworld’s end girlfriend「The Lie Lay Land」というCDのジャケットだったが、これもボール紙の風合いを強調したつくりになっていた。

 先日、台北に行った折、誠品書店信義店5階の絵本売場をのぞいたら、酒井さんの絵本の小コーナーが設けられていた。中国語訳も出ており、台湾でもファンは結構いるようだ。

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2009年11月 3日 (火)

ベネデット・クローチェ『思考としての歴史と行動としての歴史』

ベネデット・クローチェ(上村忠男訳)『思考としての歴史と行動としての歴史』(未來社、1988年)

・「あらゆる歴史的判断の根底に存在する実践的欲求は、あらゆる歴史に「現代史」としての性格を与える。というのも、そこに含まれている諸事実がたとえ年代的にどれほど古く見えようとも、それはつねに現在の欲求と状況とに関わっている歴史なのであり、それらの諸事実がその鼓動を伝えるのは現在の状況のなかにおいてであるからである。」…「わたしはそれらの歴史を文章にしてあるいは頭の中で書くことによって、わたしが現在置かれている状況の歴史を書いていることになるのである。」

・アーノルド・トインビーが、大学でトゥキュディデス『戦史』の講義をしていた時に第一次世界大戦の勃発を目の当たりにして、はじめてトュキュディデスの受けたであろう衝撃に思い至ったというエピソードを思い起こす。この体験が彼の比較文明論のきっかけになったというのは有名な話。

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2009年11月 2日 (月)

なぜポスコロに関心を持ったかというと

 なぜポストコロニアリズムに関心を持ったかというと、きっかけは『民俗台湾』について調べ始めたこと。戦後になって“大東亜共栄圏”イデオロギーや優生学などを批判するという観点から『民俗台湾』も取り上げられた(→詳細はこちらを参照のこと)。

 しかしながら、戦時下という時代風潮の中で雑誌を継続して出し続けるためには当局に迎合する発言もしなければならないし、むしろ『民俗台湾』の同人は皇民化政策には反対していた。ところが、戦後の研究者は誌面に現れた文字面だけを読む。当局の検閲を意識せざるを得なかった表現をとらえて、いわば揚げ足取りをするような形で、『民俗台湾』も植民地批判という議論の中に組み込まれていった。

 誤解しないで欲しいのだが、“植民地批判”そのものに異議を唱えているわけではない。私が言いたいのはそういうことではなくて、“植民地批判”の議論の枠組みそのものが、戦前とは異なる形ではあるが、戦後という一時代においてもまた学知的に制度化されている。その構造的に生硬な視点で過去を振り返ると、必然的に断罪の口調を帯びる。見方を変えれば、戦後の思考枠組みで戦中の思考枠組みを批判する形式になっており、そうした議論を進めるコマとして『民俗台湾』は利用されているに過ぎない。通史的な議論としてはそれなりに意義のあることだとは思うが、抽象化された図式対図式の議論の中では具体的に生きた人間像は欠落しており、『民俗台湾』同人の抱えざるを得なかった葛藤は無視されてしまう。コマとして使われただけの当事者としてはたまったものではない。

 日本の植民地支配下に置かれ皇民化政策が推進された台湾のマージナルな位置は、政治的にだけではなく意識形態においてもアイデンティティ抹消の危機に直面した点でポストコロニアルの議論に適合的であろう。学知的あり方の非対称性が抑圧的な権力を帯びてしまう問題を検討するポストコロニアリズムの視点からは、日本人学者=知的権力者、植民地民衆=被抑圧者、という図式が導き出され、とりわけ民族学・民俗学などは標的にされやすい。

 ところで、『民俗台湾』編集同人は、日本人でありつつも、抑圧の対象であった台湾文化を理解したいと思っていた。支配‐被支配という関係において日本人と台湾人との間に大きな壁が立ちはだかっていたのは確かである。ただ、彼らの主観的な善意も社会的構造に絡め取られてしまっては無力であった、所詮は自己満足に過ぎない、そう言ってしまうのは簡単だが、このような矛盾に直面していることを自覚していた点では、彼らもまた同様にマージナルな存在だったとも言える。たとえば『民俗台湾』同人だけでなく、朝鮮半島にとっての柳宗悦や浅川伯教・巧兄弟なども含め、日本人でありながらも被支配者側の文化に共感を寄せた人々の位置付けはどう考えればいいのか。抑圧‐被抑圧という二元論的構図では奥行きをもって考えることはできない。

 三尾裕子「植民地下の「グレーゾーン」における「異質化の語り」の可能性──『民俗台湾』を例に」(『アジア・アフリカ言語文化研究』第71号、2006年3月)は植民地主義と人類学の関係という問題意識を踏まえて『民俗台湾』をめぐる従来の議論をレビュー、「構造的加害者の側に立つ人間であっても、彼らには多様な思いや植民地支配に対する不合理性への懸念などがありえたのではないだろうか?」と問いかけ、「我々は、とかく明確な立場表明を行った抵抗以外の言説を植民地主義的である、と断罪しがちであるが、自分とは違った体制下の人の行動を、現在の分析者の社会が持つ一般的価値観で判断することは、「見る者」の権力性に無意識であるという点において、植民地主義と同じ誤謬を犯している」と指摘していた。こうした観点に私も共感している。

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カルスタとかポスコロとか

 カルスタとかポスコロとか、あまり関心を払ってこなかったのでちょっとお勉強。

上野俊哉・毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』(ちくま新書、2000年)
・登場の背景:バーミンガム大学現代文化研究センター。1980年代、労働者階級にとって不利なのにもかかわらずサッチャリズムへの支持。旧来型左翼の啓蒙的議論が有効性を失っていた→サッチャリズムによる政治的再編成に期待。むしろ、社会的に疎外されていた若者たちの怒りはレゲエやパンクロックに代弁されているとして支持された。
・大学においてディシプリンの自明視→知的生産の権力性→これを疑う。しかし、「黒人研究」「フェミニズム」「クィア・スタディーズ」といった学部を創設しても、アカデミズム内のゲットー化にすぎない。「カルチュラル・スタディーズとは「汚い」世界の問題をアカデミズムという「清潔な」空間に持ち込むこと」(スチュアート・ホール)
・コード化‐脱コード化:コードを受け止める側の階級・性別等の属性に応じて異なり、一方通行ではない→「読み」の多様性→均質的に想定された「大衆」など存在しない。
・サブカルチャー:高級文化でも大衆文化でもない、しかしそうなることもあり得る曖昧な文化領域→この動的かつ不安定なあり方に注意を払う。本質主義的な定義はなじまない。
・人種主義:対抗言説化すると、裏返しの人種主義として共犯関係に陥る危険。例えば、ムスリムの伝統を守るための分離教育は極右からも支持されてしまう。
・ポストコロニアリズム:知的構造の非対称性→権力性という観点でカルチュラル・スタディーズと共通。抑圧への抵抗だけでなく、政治性に注目するあまりにその文化の中にある「喜び」「楽しみ」といった自発的・自律的な側面を過小評価しないよう留意すべき。
・カルチュラル・スタディーズの制度が進む→既存のディシプリンと同種の一領域になりさがってしまうのではないか? マイノリティ・差別・貧困・暴力といった、もともとアクチュアルな関心からアカデミズムの動向とは関係なく取り組まれていたテーマが、一見ラディカルに見えても、アカデミズム内部だけで流通する知的商品になりさがっていないか?
・カルチュラル・スタディーズは、「わかりやすく」説明することではなく、日常生活の中で直面する不条理の「わからなさ」のありかをはっきりさせること。

本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波新書、2005年)
・歴史(正史)や文学(正典)の見直し、その中でオミットされてきた記憶をどのように聞き取るかという問題意識。
・他所を一方的に野蛮化して否定する論理→その生成の具体例として「食人種」。
・フランツ・ファノン。
・エドワード・サイード。
・ガヤトリ・スピヴァク:戦略的本質主義(「弱者」という性質をいったん「本質」と認めることで抵抗の糸口とする。その「本質」を共有することで他者と連帯)。「知る」者自身の特権性を自覚→「学び捨てる」。(※G・C・スピヴァク[上村忠男訳]『サバルタンは語ることができるか』[みすず書房、1998年]は去年読んだのを思い出した→こちら

ロバート・J・C・ヤング(本橋哲也訳)『1冊でわかる ポストコロニアリズム』(岩波書店、2005年)
・様々な国や地域の様々な具体例やテーマをパッチワークしながら、ポストコロニアリズムの大枠としてのイメージを浮かび上がらせていく構成。
・「理論」を打ち出してしまうと、それによってまた別の問題が新たに排除・生成してしまう。多様な営みをいかにそれぞれに適切なやり方で把握していくかというところにポストコロニアリズムの問題意識があるわけで、そうした性格に合った叙述方法をとっている点でなかなか良い本だと思う。

※「理論」(=上から目線)で裁断される以前の、いまここで具体的に生きられている生身の問題を把握→解決につなげていこうという姿勢はまっとうなのに、これが日本のアカデミズムを通して提示されると「よそよそしい」のは一体どうしてだろう? そのあたりの違和感の一つは李建志『朝鮮近代文学とナショナリズム──「抵抗のナショナリズム」批判』(作品社、2007年)、『日韓ナショナリズムの解体──「複数のアイデンティティ」を生きる思想』(筑摩書房、2008年)で吐露されており、興味深く読んだ(→こちら)。

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2009年11月 1日 (日)

平野千果子『フランス植民地主義の歴史──奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで』

平野千果子『フランス植民地主義の歴史──奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで』(人文書院、2002年)

・フランス人権宣言→当初は植民地に適用されず。
・植民地の領有と奴隷制とは別物、悪いのは後者だと考えていた。
・フランス革命の最中、サン=ドマング(ハイチ)で奴隷の反乱→白人植民者はイギリスと同盟→革命政府は奴隷制廃止で植民地の確保を図る→しかし、ナポレオンが奴隷制復活→ハイチは独立→フランスには、奴隷制廃止=植民地崩壊という強迫観念。
・1848年の二月革命→奴隷制の廃止=“文明化”(自由・平等の共和主義が共和国フランスへの同化を意味するようになる)。シュルシェール「王政は奴隷にしたが、共和国は自由にする」→革命の理念と“文明化”言説が結び付く。他方で、アルジェリアには奴隷制があった→やめさせるのも“文明化”→アルジェリア征服を正当化。同化政策を明確に表明。限定条件付で植民地に参政権を与えたが、差別は残る。
・19世紀は“進歩”の時代→植民地拡張という形で「外の文明化」、貧困層も含めて公教育→「内の文明化」が同時進行。
・フランスは革命の国、人権の国である“にもかかわらず”植民地支配をしたのではなく、むしろ革命の理念こそが“文明化”という形で植民地支配を正当化した。

・混血児イスマイル・ユルバンのアイデンティティをめぐる葛藤。

・第三共和制のジュール・フェリー首相:脱カトリックの教育改革→共和主義的国民意識の形成。人種主義的な風潮の中、フランスが「野蛮で」「劣った」民族を「教化する」ことが“文明化”→植民地拡張を正当化。これは共和主義者が推進。
・保守派は経費負担の重さから植民地に反対し、むしろアルザス・ロレーヌ奪還を優先すべきと主張。しかし、1890年前後以降、劣勢にあったため保守派も共和政を受け入れてから、植民地拡張に賛成。
・“文明化”言説の重層性:共和主義者が掲げる革命の理念だけでなく、保守派のキリスト教化という理念も許容された。

・戦間期には植民地の領有は自明視。第一次世界大戦で植民地の有用性が確認された。
・ブルム・ヴィオレット法案:植民地の権利面での同化を認める法案だが、アルジェリア入植者階層の反対で廃案(権利の同化→支配関係が崩れてしまう)。この法案の背景として、アルジェリアの民族運動家は独立よりも政治的地位の向上を優先させていた。当初、アルジェリアではフランス市民権を得るにはイスラムの棄教が条件とされていたが、その条件なしの同化を目指す→フランス市民になりつつも、文化的拠り所は維持したいという思い。提案者ヴィオレットの発言「アルジェリア『原住民』には、まだ祖国がない。彼らは祖国を求めている。フランスという祖国を求めているのだ。速やかにそれを与えよ。さもないと、彼らは別の祖国を作るだろう」。
・アンドレ・ジイドは改良主義的→植民地の白人による過酷な支配形態を批判はしたが、植民地支配そのものを批判したわけではない。他方で、フェリシヤン・シャレは植民地の解放を主張(ただし、彼は第二次世界大戦で対独協力を容認した経緯があるため、戦後は忘却された)。
・フランスで自由と平等を学んだ留学生がこの矛盾に気付いた、つまり民族解放の理念を学んだのはフランスにおいてであったという言い方にはフランス中心の偏りがないか?と指摘。そうでないケースとして、ファン・ボイ・チャウを例示。
・セネガルのブレーズ・ディアニュは、兵役=「血の税金」こそが完全同化への道だと主張。ただし、アフリカは自前の国家を持つ前に植民地化された→従属から脱する方法としてまず支配者と対等の立場を目指したという側面が強い。

・第二次世界大戦で、ヴィシー政権とドゴール派のそれぞれが植民地に自分側につくよう働きかけ→カリブ海出身でチャド総督のフェリックス・エブエの主導でアフリカ植民地はドゴール派についた→コンゴのブラザヴィルが自由フランスの首都。対独抵抗運動の基盤としての植民地の存在。
・戦後の植民地は、フランスの外交方針としての“大国意識”に翻弄され、“文明化”言説とは関係ない。
・「フランス連合」から「共同体」への再編:植民地の自発的意志により、不参加は独立という建前だが、独立を選んだ場合には経済援助なし。
・フランスの植民地支配が日本のそれよりも批判を受けていないのはなぜか? 日本の場合にはスローガンに天皇制→フランスが(現実はともかく)掲げた理念の普遍性がなかった。ただし、フランスは、その掲げた普遍性が植民地主義の免罪符として作用、かえって植民地支配の問題点を自ら問い直す契機がなかったとも言える。
・被植民地側にも“オクシデンタリズム”の問題。ヨーロッパ文明への憧憬から、フランスを価値序列の上位に位置付け、社会的ステータス上昇のため自ら進んで“同化”を目指したという側面も指摘され得る。
・被植民地側の特徴として“クレオール”、つまり複数意識を肯定する考え方→これに対して、“ネグりチュード”の問題。“クレオール”的な複数意識の中から黒人としてのアイデンティティのみを抽出・単一化させて(それもまた虚構であっても)植民地主義へのアンチテーゼにしてしまう志向性。

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