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2009年1月18日 - 2009年1月24日

2009年1月23日 (金)

ユリウス・クラプロートという人

…と言っても知っている人はあまりいないでしょうね。私も今日初めて知りました。いま、Charles King, The Ghost of Freedom: A History of the Causasus(Oxford University Press, 2008)という本を読んでいて、知らない人名が出てくるたびにwikipediaで検索してるんだけど、この人、どうやらジャパノロジストとしても知られている人らしい(wikiの記事はこちら。国際日本文化研究センターのサイトには彼についての講演要旨あり)。

 Julius Heinrich Klaproth (1783-1835)、ベルリン生まれ。若い頃からアジアの言語の専門家として注目されていたようで、サンクト・ペテルブルクのアカデミーによって1807年、コーカサスに派遣された。弱冠24歳のとき。上掲書では、コーカサスにまつわるオリエンタリズムとも言うべきイメージ形成にあたり、18世紀のギュルデンシュテット(Johann Anton Güldenstädt)とこのクラプロートの観察が源流となり、二人ともロシアでの知名度は低かったが、ブロネフスキなる人の著作によってそのイメージはロシアでも一般的となり、さらにプーシキン「コーカサスの虜」につながるという文脈だった。

 クラプロート、ギュルデンシュテット、二人ともドイツ人であったことに上掲書は注意を促しているが、そもそも言語学という学問が19世紀ヨーロッパで本格化した時代的雰囲気と符合する(詳しくは、風間喜代三『言語学の誕生』岩波新書、1979年を参照のこと)。①ドイツではナショナリズムの高まり→民族的源流はどこ?という問いかけ→印欧語族の比較研究、②イギリス・フランスの植民地拡大→とりわけインドの知識→印欧語族研究の進展、③未知なる領域への探究心→ロマンティストがホイホイ海外へ出かけていく、ざっくり言ってこんなところか。

 クラプロートはもともと中国語に興味を持ったようだが、さらには、満州語、チベット語、ペルシア語、クルド語、サンスクリット等々と様々な言語の研究に没頭した。博士論文はウイグル語の研究。日本語については、イルクーツクにいたシンゾウ(ロシア語名、ニコライ・コロティギン)なる人物から手ほどきを受けたらしい。林子平『三国通覧図説』をフランス語訳したり、琉球諸島の研究をしたり、シーボルトとも文通していたという。どんな人なのか詳しいことは分からないが、ユーラシア大陸を股にかけてほっつき歩いていたロマンティスト(勝手にそう思っている)がいたというのは非常に興味がひかれる。

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2009年1月21日 (水)

ミラーナ・テルローヴァ『廃墟の上でダンス チェチェンの戦火を生き抜いた少女』、ハッサン・バイエフ『誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』

 モスクワで弁護士のマルケロフ氏と新聞記者のバブロワさんが射殺されたという。例によってお蔵入りになるのだろう。マルケロフ氏が取り組んでいた、チェチェン人女性をレイプ・殺害したとされる元ロシア軍大佐の事件は、ポリトコフスカヤ(鍛原多惠子訳)『プーチニズム 報道されないロシアの現実』(NHK出版、2005年)で取り上げられている。パブロワさんの所属していた「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙には、かつてポリトコフスカヤもいた。

 チェチェン紛争はかつてほど耳目を引く激しさは伝わってこないが、ロシアの現政権が進める“紛争のチェチェン化”により、むしろ確実に日常化しているようだ。理由もなく人々を連行して身代金を要求するという非道が横行していることは、ポリトコフスカヤのルポルタージュやチェチェン人の手記で必ず出てくる話である。これはロシア軍ばかりでなく、チェチェン人の武装勢力までもがそうした“誘拐ビジネス”に手を染めている。武装勢力同士のいがみあいもある一方、あろうことか、ロシア軍と通じて“誘拐ビジネス”に励んでいる者も珍しくない。ロシア軍の軍事的プレゼンスは限定的となっても、敵か味方かという区別以前に、紛争そのものが経済的にも構造化してしまっている、その意味で日常化してしまっているところに、チェチェンの人々が置かれたやりきれない惨状がある。

 ミラーナ・テルローヴァ(橘明美訳)『廃墟の上でダンス──チェチェンの戦火を生き抜いた少女』(ポプラ社、2008年)は、ロシア軍の襲来で廃墟と化したチェチェンを抜け出し、フランスでジャーナリズムを学んでいる女性の手記。サラッと読み物風の筆致でも、そこにつづられている彼女の見たこと、聞いたことの重みはひしと感じる。

 チェチェンの首都グローズヌイではロシア軍による封鎖は日常茶飯事。彼女の通っていたグローズヌイ大学がいつものように包囲され、たまたま外に締め出されて門前で様子を見ていたときのこと。中に閉じ込められた娘が喘息持ちとのことで発作の薬を持ってきたある母親がロシア兵に「入れてください! そうしないと娘が死んでしまう!」と泣き叫ぶ。その若い兵士は「命令なんです、すみません、お助けしたいんですが、ぼくにはどうにもなりません」と弱々しく答える。ロシア軍の若年兵は二者択一を迫られてしまう。良心を押し殺して精神的に戦場と一体化するか、さもなくば、上官からリンチを受けるか。チェチェンの人々が被っている惨状と同時に、彼ら末端の兵隊たちにも逃げ道がない。

 ハッサン・バイエフ(天野隆司訳)『誓い──チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』(アスペクト、2004年)は、紛争下、“ヒポクラテスの誓い”に忠実に、チェチェン人かロシア人かを問わずあらゆる負傷者の救護に尽力したチェチェン人医師の自伝。そうした彼の態度は、ロシア軍からはチェチェン過激派への幇助、チェチェンの武装勢力からはロシア人を助ける裏切り者とみなされ、彼は結局、アメリカに亡命せざるを得なくなってしまう。

 チェチェンの人々には来訪者は必ず歓待するという風習があり、ロシア軍の脱走兵をチェチェン人がかくまうというケースも結構あったらしい。バイエフの家にも三人の脱走兵が来た。かくまわれている間、彼らがチェチェンの風習に何とか合わせようと努力する姿が微笑ましい。チェチェン側にはモスクワの「ロシア兵士の母親の委員会」と何らかのコンタクトがあるようで、ここを通じてロシア兵の実家と連絡を取る。そして母親自身に息子を迎えに来てもらう。第一次紛争の時点では、女性が来る分にはまだ怪しまれなかったらしい。昨年末、アレクサンドル・ソクーロフ監督「チェチェンへ アレクサンドラの旅」を観たのだが(まだ感想メモをアップしてませんが)、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ演ずる老女がグロズヌイの基地へやって来るという筋立てには、この辺りの事情も意識されているのだろうか。

 第二次世界大戦中、チェチェン人・イングーシ人が対独協力の容疑でカザフスタンやシベリアへ強制移住させられた過去について、テルローヴァもバイエフも祖父母や両親から話を聞いており手記に書き留めている。この世代には、憎しみという次元はもはや通り過ぎ、チェチェン人である以上、差別されることに慣れなければならないという諦めがあったようだ。他方、子供や孫の世代はソ連=ロシアの体制に馴染んでおり(チェチェン語にはロシア語の語彙がだいぶ混じっており、サウジアラビアに行ったバイエフが、ヨルダン出身のチェチェン人と出会い、彼らが純粋なチェチェン語を保持していることに驚くエピソードが象徴的だ。ロシアの圧迫を逃れたチェチェン人は多数ヨルダンに移住している)、ロシア人の友達だっている。ロシア軍の横暴への憤りと同時に、板ばさみになってしまう苦悩もある。

 チェチェンの過激派武装勢力の自分勝手な乱暴は一般のチェチェン人からも反感を買っている。他方で、ロシア連邦軍やFSB(ロシア連邦保安局)に勤務するチェチェン人でも、ロシア側の内部にいるからこそチェチェン人を助けることができるという信念を密かに持ち続けている人もいる。バイエフを逃すのに一役買ってくれたFSBのチェチェン人大佐は、その後、何者かによって夫妻ともども殺されてしまったという。彼はそうした重みも抱えながら生きていく。

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2009年1月20日 (火)

アンナ・ポリトコフスカヤの三冊

 アンナ・ポリトコフスカヤ(鍛原多惠子訳)『ロシアン・ダイアリー 暗殺された女性記者の取材手帳』(NHK出版、2007年)は、2003年12月から2005年8月まで、プーチン再選に向けての選挙キャンペーンの喧しかった季節からウクライナのオレンジ革命、キルギスのチューリップ革命と続いた時期に重なる。

 大統領選挙と言っても、プーチン再選初めにありきで、体裁を整えるために泡沫御用候補を並べるのはともかく、有力な野党候補が拉致されてしまうというのはやはり異常だ。同時に、民主派勢力が仲違いしてまとまらないことにもアンナは苛立ちを隠さない。プーチン政権は暴力に買収、そして情報操作とあらゆる手段を使って統制を進めているが、ロシア人の忍耐強さがかえってこうした動きを助長してしまっているとも指摘する。民主派指導者の一人、ヤブリンスキーへのインタビューではこんなやり取りもあった。「あなた方は政権と妥協して、見返りに議席の確保を狙っているのではないのか?」というアンナの問いかけ、対してヤブリンスキーは「冗談じゃない、それを言うなら、あなたの新聞はなぜつぶされていないんだ? 政権はあなたの新聞をEUに持っていって、ほら、わが国にも言論の自由がある、そう言い訳するのに利用しているのではないか?」と返す。その後、ヤブリンスキーは議席を失い、アンナは殺されてしまうわけだが。こうした軽口のたたき合いから、「あいつも政権に取り込まれたんじゃないか?」と疑心暗鬼が渦巻いている様子が窺える。

 モスクワでタジク人の誰それが殺された、チェチェンで誰それがFSB(=連邦保安局、KGBの後身)に連行された──こうしたことが毎日書きつけられている。それぞれ簡潔な一文であるだけに、日常茶飯事と化した現実の恐ろしさを感じさせる。だが、それは報道されない。ベスラン事件でアンナは仲介役に指名され、まさに当事者だったわけだが、その時の手帳は素っ気ない。FSBに毒を盛られ、意識不明で病院に担ぎ込まれたからだ。

 アンナのライフワークはチェチェン問題である。『チェチェン やめられない戦争』(三浦みどり訳、NHK出版、2004年)は、ロシア軍がやりたい放題、文字通りの無法状態に投げ込まれてしまったチェチェンの人々の惨状をつぶさに見聞きして、戦争を押し進めるロシアの体制の矛盾を告発する。チェチェン人の受難については本書を読んでもらうしかないが、他方で、こうした体制はロシア人にも犠牲を強いている。たとえば、『プーチニズム 報道されないロシアの現実』(鍛原多惠子訳、NHK出版、2005年)では、入営したロシア人の若者が上意下達の軍隊文化の中でリンチを受けて殺されてしまったにも拘わらず、司法は口を閉ざしていることを彼女は報告する。「ロシア兵の母の会」とチェチェン人の犠牲者の母親たちとの合同デモを実現できたのは、アンナのように双方の人々と誠実に向き合ってきた人がいたからこそだ。また、チェチェンから帰還してモスクワ勤務に戻った兵士が何の意味もなく“掃討作戦”を行なうということにも考えさせられてしまう。チェチェンの戦場に駆り出されて精神に異常をきたしてしまっている。見方を変えれば、彼らだって犠牲者だと言える。

 チェチェン人の老人ホームに援助物資を届けに行く際、ついて来た若いロシア軍将校のことが印象に残る。彼は、こういう状況は初めて知った、と涙を流してアンナに感謝した。ところが、その不規則行動のゆえに彼は解雇されてしまった。事実さえ知らせることができれば何とか希望をつなぐことはできる。しかし、上からの圧力によってロシア国内の報道機関は肝心なニュースをにぎりつぶす。そもそも『ロシアン・ダイアリー』『プーチニズム』の二冊は英語版からの翻訳で、ロシア語版は刊行されていない。そして、2006年10月7日、アンナは自宅アパートのエレベーター内で射殺された。享年四十八。

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2009年1月19日 (月)

「耳に残るは君の歌声」

「耳に残るは君の歌声」

 1927年、ロシアの農村。幼い少女フィゲレが父親に肩車される、林の中の牧歌的な風景。ソ連時代に入ってもポグロムは尾を引きずっているのか、ユダヤ人である彼女の村は焼打ちされた。父親はアメリカに渡り、フィゲレは孤児としてイギリスにもらわれてスージーと名前を変えた。父親譲りの美声に恵まれた彼女はパリのオペラ団に入り、ジプシー(ロマ族と言うべきか)の青年と出会う。折りしも、第二次世界大戦が勃発、パリはナチス・ドイツに占領された。ユダヤ人である彼女は、父がいるはずのアメリカへと発つ。

 イギリスで育った彼女はロシア語もイディッシュ語も分からない。名前は変わり、定住場所もない。生きるよすがとなるのは、握り締めた父の写真と、耳に残った父の歌う子守唄。動乱の時代、同様に故郷喪失した人々もおりまぜ、時代に翻弄されつつも前向きに生きようとする女性の姿を描いている。

 この時代を背景としたヒューマン・ドラマは基本的に好きでよく観る。この映画も決して出来は悪くないし、バックに流れるオペラの朗々たる歌声は良い雰囲気を出しているとも思うのだが、私にはそれほど深い印象も残らなかったな。

【データ】
原題:The Man Who Cried
監督・脚本・音楽監修:サリー・ポッター
出演:クリスティーナ・リッチ、ジョニー・デップ、ケイト・ブランシェット、ジョン・タトゥーロ
2000年/97分/イギリス・フランス
(DVDにて)

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2009年1月18日 (日)

キム・ギドク監督「弓」

キム・ギドク監督「弓」

 陸も見えない波間に漂う船の上。老人と、拾われてきた少女、二人きりの世界。時折訪れる釣客にいたずらされても少女は全く動じず、余裕のある微笑みを崩さない。老人が弓矢で守ってくれるからだ。絶対の信頼。少女が17歳になるのを待って二人は結婚するのだという。老人は、その日の来るのを心待ちに、一日一日とカレンダーに印をつけている。ところが、釣客に交じっていた青年と出会って、少女は外の世界を知る。老人の束縛を疎ましく感じるようになった彼女の惑い。二人の関係にきしみが萌し、老人はこのどうにもならぬ成り行きに焦り始める。

 モチーフとなっている弓の意味合いは両義的だ。矢をつがえれば相手を傷つける凶暴さを示すが、他方で、胡弓として旋律を奏でれば二人の穏やかな情愛をも醸しだす。二人は一切言葉を発しない。寓話的なストーリー構成を二人の表情の揺れ動きだけで見事なまでに雄弁に語らせる。

 とりわけ、少女役のハン・ヨルムが目を引く。清楚なあどけなさに、柔らかそうな肌の白さ。「サマリア」で見せていた彼女の穏やかな笑顔は印象に残っていたが、この「弓」でも、老人に守られているという余裕のある笑み、弓を構えた時の凛々しい笑み、男を挑発する時のコケティッシュな笑み、一つ一つのシーンに応じて表情を演じ分けているのが素晴らしい。この映画全編を通して卑猥さを全く感じさせない清潔なエロティシズムが漂っているのは彼女の存在感のおかげだ。

 キム・ギドクの映画には時折グロテスクな演出も目立つが、それもひっくるめて緊張感がピンと張りつめた美しさが魅力的である。私が初めて観たのは「魚と寝る女」、その頃はミニシアターのレイトショーでのみ上映される程度にマイナーで、グロテスクで痛々しい映像が私にはちょっときついという印象が強かった。その後、「サマリア」「うつせみ」と続けて観てキム・ギドク映画のファンになった(こちらを参照のこと)。とりわけ「サマリア」は好きな映画だ。援助交際少女の話、なんて言うと怪訝な顔をされそうだが、彼女たちの心象風景の切なさを映し出す映像が実に美しくて、その映像そのものに気持ちが強くひかれた。「春夏秋冬そして春」は「弓」と同様に寓話性の濃厚な映画だが、これについてはこちらに書いたことがある。

【データ】
監督:キム・ギドク
2005年/90分/韓国
(DVDにて)

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