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2009年9月6日 - 2009年9月12日

2009年9月12日 (土)

「女の子ものがたり」

「女の子ものがたり」

 行き詰って編集者にせっつかれている漫画家が目前の現実から逃避するように少女時代を振り返る。──海の見える田舎町、貧しい生活の中、周りの大人たちを見て、半ば当然のように半ばあきらめたように「自分もああなるのかな」と漠然と思いながら、それでも自分の道はきっとあるはずだともがいていた日々。バスに乗ったり、自転車に乗ったり、遠くへ行くシーンの開放感にそうした感傷が重ねあわされる。

 原作は西原理恵子。人間が業として抱えているとしか言いようのない汚らしく醜い猥雑さの中でもほのかに浮かび上がってくる切なさ、しんみりした哀愁、それが西原作品の魅力だと思っている。この映画の場合、演じている女の子たちがみんな結構かわいいので「貧乏!」「汚い!」と言っても全然ピンとこない。生きていく悲哀をそのまま残酷にさらけ出すストーリーのどぎつさを西原さんの雑な絵柄はうまくやわらげているのだが、その微妙な勘所を映像で表現するのはなかなか難しそうだ。脚本は原作を踏まえて構成されてはいるが、少女時代をいとおしく振り返るノスタルジックな眼差しそのものにテーマが置かれている点でむしろ別な作品だと割り切って観る方がいいかもしれない。

 なお、西原作品については、「西原理恵子『ぼくんち』」「西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』、他」「最近読んだマンガ」でそれぞれ取り上げたことがある。

【データ】
監督・脚本:森岡利行
原作:西原理恵子『女の子ものがたり』(小学館)
出演:深津絵里、大後寿々花、福士誠治、波瑠、高山侑子、森迫永依、板尾創路、奥貫薫、風吹ジュン、他
2009年/110分
(2009年9月11日レイトショー、角川シネマ新宿にて)

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2009年9月11日 (金)

『文藝台湾』と『台湾文学』と『民俗台湾』

 西川満をどのように評価するかは別として、日本統治期における台湾文化の最大の立役者の一人であることは間違いないだろう。早大在学時の恩師・吉江喬松から「地方主義文学に生きよ」と言われ、台湾日日新報に勤務するかたわら自ら著述・出版に精力的に取り組んだ。とりわけ造本・装幀へのこだわりはいまだに稀覯書マニアの間でよく知られている。

 西川は台湾文芸界の水準向上、中央文壇に従属した辺境ではなく独自色を持たせることを目指し、全島レベルでの組織化へと動いた。1939年9月に台湾詩人協会を設立して詩誌『華麗島』を創刊、さらに1940年1月には台湾文芸家協会へと発展的に再編し、『華麗島』は『文藝台湾』として台湾随一の文芸総合雑誌となる。この際、台北帝国大学や台湾総督府とつながりをつけたり、東京の著名文化人を賛助員として多数リストアップするなど雑誌の権威付けにも力を注いでいる。なお、『文藝台湾』をめぐる経緯については、垂水千恵『台湾の日本語文学──日本統治時代の作家たち』(五柳書院、1995年)、同「日本時代の台湾文壇と大政翼賛運動に関する一考察」(『横浜国立大学留学生センター紀要』2、1995年)、中島利郎「日本統治期台湾文学研究:日本人作家の抬頭──西川満と「台湾詩人協会」の成立」(『岐阜聖徳学園大学紀要・外国語学部編』44、2005年)、同「日本統治期台湾文学研究:「台湾文芸家協会」の成立と『文芸台湾』──西川満「南方の烽火」から」(『岐阜聖徳学園大学紀要・外国語学部編』45、2006年2月)、同「日本統治期台湾文学研究 西川満論」(『岐阜聖徳学園大学紀要・外国語学部編』46、2007年2月)などを参照のこと。

 『文藝台湾』には台湾の民俗的な事象への関心もうかがえる。西川は池田敏雄と共著で『華麗島民話集』(日孝山房、1940年)を出すなど民俗的なものへの関心を持ち、掘り起こしに努めたのは確かだが、後述するようにそのスタンスは池田とはだいぶ異なる。西川の文学観には耽美的な傾向が濃厚で、エキゾチシズムの対象として台湾をとらえる傾向があった。その点が佐藤春夫から評価されたり、『文藝台湾』の事実上の分裂後も台北大国大学の文学者・矢野峰人や島田謹二から支持を受けたわけだが、他方で、台湾人自身には表層的で自分たちへの理解が十分ではないという不満を抱かせたのではないか。

 それから、台湾における読者人口から考えてそれほどの部数を売りさばけるわけでもなく、資産家の息子であった西川が私財を投じていた。当然ながら、西川個人の色合いが強くなってくる。西川の一種の貴族的態度に反感を持つ同人も多かったらしく、張文環は「有閑マダム的なままごとでもしているようで我慢が出来ない」と記している(張文環「雑誌『台湾文学』の誕生」『台湾近現代史研究』第2号、1979年8月)。

 こうした次第で1942年には分裂していき、戦争中という時世もあって、『文藝台湾』は皇民化運動に協力的な方向へと進む。ただし、西川の活動は日本人・台湾人を問わず作品発表の場を提供したこと、台湾に愛着を抱き、たとえエキゾチシズムが目的ではあっても台湾土着の独自性に注目したことについては一定の評価がある(たとえば、フェイ・阮・クリーマン[林ゆう子訳]『大日本帝国のクレオール──植民地期台湾の日本語文学』慶應義塾大学出版会、2007年)。

 台北放送局の文芸部長であった中山侑が自分たちで文芸雑誌を出そうと言い出したのをきっかけに同調者が集まり、1942年5月27日に張文環が中心となって啓文社を興して『台湾文学』が創刊された。弁護士の陳逸松が資金を出し、蒋渭川(蒋渭水の弟)が経営する日光堂書店が販売を引き受けた(ただし、蒋渭川とはその後もめたらしい)。読者層の大半は台湾人が占め、分裂騒ぎが一種のゴシップネタとなったせいもあるのかもしれないが、一時は『文藝台湾』をしのぐ勢いを見せた。台北帝国大学の中でも『文藝台湾』に好意的な矢野・島田に対して、中村哲(憲法学・政治学)や工藤好美(英文学)などは『台湾文学』を支持した。張は西川から新雑誌創刊をやめるよう直談判を受けたと記しているが、別の所ではそれは誤解だとも発言しているらしい(中島利郎「忘れられた作家たち・一 「西川満」覚書:西川満研究の現況」『聖徳学園岐阜教育大学国語国文学』12、1993年3月)。必ずしも絶交したというわけでもなさそうだ。

 張文環の作品を私は未読だが、リアリズムに立つ作風だそうで、龍瑛宗は田園生活の習俗描写にたけている作家だと評している。耽美的幻想趣味の西川とは文学的にも方向性は異なる。戦後は執筆の使用言語として日本語から中国語への転換がうまくいかず、会社員・銀行員等として生計を立て、定年後は日月潭の観光ホテルの支配人となった。晩年には再び日本語で小説を書き上げている。

 張文環の『台湾文学』立ち上げにあたり、龍瑛宗はその話を知らされず、西川の『文藝台湾』に残留する形になった。その折の孤独感を「『文藝台湾』と『台湾文藝』」(『台湾近現代史研究』第3号、1981年1月)につづっている。龍は客家であるため他の台湾人作家たちが閩南語で話し合っている席に出ても言葉が分からず、もともと内気な性格でもあったため無口になってしまう。だから『台湾文学』にも誘われなかったのだろう、という。客家であることについて張文環から差別的な発言を受けたことも記されている。張は性格的にそういう発言をするタイプではないため「満清時代の分類械闘がいまだに尾を引いているんだな」と驚いたようだ。一言で“台湾人”といっても一枚岩ではなかったことがうかがわれる。

 『台湾文学』グループの『文藝台湾』からの分裂騒動とほぼ同じ頃、1942年7月に『民俗台湾』が創刊された。池田敏雄が台北帝国大学の金関丈夫(解剖学・人類学)を訪ね、民俗学の雑誌を出したい旨を相談したところ、金関は岡書院発行の『ドルメン』のような雑誌にしたらいいと提案。金関を代表として、絵やカットは立石鉄臣(当時、台北帝国大学医学部で解剖画を描いていたらしい)、写真は松山虔三(プロレタリア写真家同盟に入っていたが、徴兵忌避で台湾に来て台北帝国大学の土俗人種学教室で写真のアルバイトをしていたという)、編集実務は池田が取り仕切ることになり、中村哲(専門は憲法学・政治学だが柳田國男と関係あり)や国分直一(考古学)らも積極的に協力、台湾全島から寄稿を募った。販売は三省堂系の東都書籍が引き受けた。『台湾文学』分裂時のような騒動はなかったようだが、『文藝台湾』の民俗部門理事としてあがっていた池田、楊雲萍、黄得時の三人の名前は消える。

 台湾の民俗的なものへ目を向けた点で池田は西川と共通しているが、やはり気質的なところが大きく相違する。西川は台北の下町とも言うべき萬華には興味がなく、東洋文化と西洋文化とが混じりあった趣のある大稲埕の方が好きだったと回想しているが、対して池田は萬華の庶民生活にこそ関心を寄せ、後に結婚する黄氏鳳姿の実家を拠点に隈なく歩き回っていた。

 総督府による同化政策によって台湾伝統の習俗が消えつつある、それを何とか記録しておかねばならないという問題意識を『民俗台湾』は持っており、投書欄「乱弾」では金関が「金鶏」、池田が「黄鶏」という変名で皇民化運動を諷刺している。そのため総督府からにらまれていた。戦争末期に池田も立石も応召されたのはそのためであろうか。日本人が運営する雑誌であったため人種偏見的なものもあったのではないかと勘繰る向きもあろうが、戦後、同人として参加していた楊雲萍や黄得時はそうした気配は全くなかったと断言している。川村湊『「大東亜民俗学」の虚実』(講談社選書メチエ、1996年)は日本を中心とした同心円的な民俗学の構想の中で辺境化する試みとして『民俗台湾』についても位置付けているが、池田たちの意図を汲み取っていないと呉密察(台湾大学)は批判している(呉「『民俗台湾』発刊の時代背景とその性質」、藤井省三・黄英哲・垂水千恵編『台湾の「大東亜戦争」』東京大学出版会、2002年)。『民俗台湾』をめぐる具体的な経緯については『台湾近現代史研究』第4号(池田敏雄氏追悼記念特集、1982年10月)を参照のこと。

 台湾も戦時体制一色に染まりつつある中、『文藝台湾』と『台湾文学』の両誌が自主的に解消するという形式で、1944年に台湾文学奉公会(台湾文芸家協会の再編された組織)から『台湾文藝』が刊行される。編集委員は『台湾文学』出身の張文環以外はすべて日本人で占められた。『民俗台湾』は池田・立石らが応召されても金関の編集によって何とか続けられたが、印刷所が爆撃を受けたため物理的に刊行できなくなってしまった。

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2009年9月 8日 (火)

中村佑介『Blue』、他

 書店の美術書コーナーをぶらぶらしていたら目に入った新刊、中村佑介『Blue』(飛鳥新社、2009年→アマゾンの画像はこちら)。見たことのある絵柄だと思ったら、森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店、2006年→こちらでコメントした)のカバーを描いていた人だ(アマゾンの画像はこちら)。

 見本をパラパラめくったら、これがもう私のツボに思いっきりはまってしまい、ただちに衝動買い。くっきりと明瞭な線にカラフルな色使いはポスター画と言ったらいいのか、くどさは全然なくてすっきりした透明感がある。適切な表現が見つからないんだけど、おさげ髪でセーラー服の少女のレトロモダンなイメージを今現在の感覚で描くとこうなるのかなあ、とそんな感じのところが好きですね。

 『夜は短し~』は実はジャケ買いした。このカバーデザインも『Blue』に収録されている。主人公の天真爛漫な黒髪の美少女の雰囲気にピッタリで結構好きだった。マンガ版も書店で見かけたことがあるけど、表紙を見る限りイメージとしてどうもしっくりこない。

 ついでというわけでもないけど、絵本・イラストの専門誌『MOE』10月号も購入。こちらは酒井駒子さんの特集が組まれていたんで。酒井さんの絵については以前にも何度か触れたことがあるが(→『イラストレーション』No.177(2009年5月号)『酒井駒子 小さな世界』)、黒を基調に輪郭がぼんやりと浮かび上がってくる構図が好き。暗い=愁い、というわけでは必ずしもなくて、しっとりと静かに抑えた情感がにじみ出てくるのが際立っていると言ったらいいのかな。酒井さんの絵も最初の出会いはジャケ買いで、world'send girlfriend「The Lie Lay Land」というCDだった。絵本ももちろん良いんだけど、書籍等の装画が私は好きで、そういうのをまとめた画集を出して欲しいと願っています。

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本田由紀『「家庭教育」の隘路──子育てに強迫される母親たち』

本田由紀『「家庭教育」の隘路──子育てに強迫される母親たち』(勁草書房、2008年)

・市場メカニズムにより経済的・社会的機能の効率化→中間組織・共同体の弱体化→秩序維持の規範強化という流れの中で、「家庭教育が重要」という言説により、子供・若者を社会化する上での家庭・親の責任を強調する風潮→かえって問題をこじらせてしまうという疑問から、インタビュー調査や統計分析により実証的研究。
・「勉強」によって習得可能なものよりも内面的・人格的特性が「選抜」の重要な要因→内面性涵養の場として「家庭教育」が重視される。しかし、社会階層によって家庭の質的相違→教育に有用な資源を持つ階層の自己正当化、格差再生産の可能性、それが「自己責任」言説で処理されてしまう問題。
・社会階層→子育てのあり方、中3時点の成績、最終学歴、雇用形態、収入へと重層的な連鎖→家庭教育を通した再生産のメカニズム。
・子育てには必ずしも正解はないが、様々に「理想」を語る家庭教育論の氾濫→高い要求水準→母親は暗中模索、自信喪失、ストレス、子育てからの撤退。母親自身の自己実現と子育てとの両立の苦心。
・コミュニケーション能力、ポジティブ志向:ポスト近代型能力→家庭教育で左右される度合いが大きい(本田由紀『多元化する「能力」と日本社会──ハイパーメリトクラシー化のなかで』NTT出版、2005年)。子育てのあり方としても、「きっちり」→学力、「のびのび」→ポスト近代型能力の二つの要素があって、その二つの間で母親に葛藤あり。社会階層との対応度合いは「きっちり」で顕著だが、高階層の母親は「のびのび」にも積極的な傾向。
・教育態度の点で、日本では、海外のように中産階級対労働者階級という明確な断層は見られないが、連続的なグラデーション型の格差。
・家庭教育を媒介とした格差再生産の構図が認められる→だからといって家庭に直接介入できるわけではなく、子供世代に及ぼす影響を、いかに家庭外の制度で軽減するかという問題意識。

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2009年9月 7日 (月)

寺島実郎・飯田哲也・NHK取材班『グリーン・ニューディール──環境投資は世界経済を救えるか』、ヴァン・ジョーンズ『グリーン・ニューディール──グリーンカラー・ジョブが環境と経済を救う』

寺島実郎・飯田哲也・NHK取材班『グリーン・ニューディール──環境投資は世界経済を救えるか』(NHK出版生活人新書、2009年)

・NHKの番組で取り上げられたテーマをまとめた内容。特にアメリカでの取り組みを紹介。
・太陽光発電、風力発電、電気自動車など化石燃料に頼らない技術を紹介。自然エネルギーによる電力供給は小規模・分散型で不安定だが、IT技術によって発電量を把握・コントロールするスマート・グリッドが注目される。
・ブッシュ政権は京都議定書から離脱。しかし、州レベルでは環境政策への取り組みがあり、そうした動きをオバマ政権は取り込んだ。オバマ政権は、化石燃料依存から脱却するエネルギー構造転換への投資を雇用創出(例えば、戸別にソーラー・パネル設置・メンテナンス、風力・潮力発電所の建設、断熱化工事など)に結び付けるグリーン・エコノミー政策を推進。
・産業政策と環境政策とでは意見がぶつかりやすいが、その両立を目指す。

ヴァン・ジョーンズ(土方奈美訳)『グリーン・ニューディール──グリーンカラー・ジョブが環境と経済を救う』(東洋経済新報社、2009年)

・著者のヴァン・ジョーンズの名前は上掲NHK取材班の本にも出てくるが、アメリカの著名な社会活動家。オバマ政権のアドバイザーとしてホワイトハウス入りしたらしい。
・本書の主張の一番の特色は、エコの不平等、環境による人種差別という問題意識だろう。劣悪な居住環境、ジャンクフード等による不健康、ハリケーン・カトリーナの被害は黒人や貧困層に集中した。従来の環境運動は富裕層の余暇活動的な側面があった。彼らは生活に困っていないので、熱帯雨林の消滅やホッキョクグマの溺死など外の地球環境問題に関心を寄せる余裕がある。身近な環境問題にも目を向けて、一般の人々全体の生活水準を高めるため、エコ・エリート主義を超えてエコ・ポピュリズムへという問題意識。ただし、両者を対立関係で捉えるのではなく、立場の異なる者同士が協力すべきという視点。マイノリティーや貧困層もグリーンカラー・エコノミーの運動に巻き込んでいく必要を主張。環境政策+経済政策+社会政策というトータルな視点。
・生活に直結する環境問題→エネルギーだけでなく、食物、水、ゴミ、輸送インフラなど様々な問題。
・グリーン投資によって創出される雇用:グリーン・ジョブ→職業訓練→貧困層の生活上の自立につなげる。
・フランクリン・ローズヴェルト政権がニューディールで経済危機を切り抜けたように、グリーンカラー・エコノミー政策でも整合性のとれた包括的プログラムによって官民ともに社会全体で問題解決を図る→政府のリーダーシップが必要。

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2009年9月 6日 (日)

出張で福岡へ

・9月の第1週は出張で福岡へ。遊びじゃないから時間が取れないのは当然だが、到着初日に2時間ほど、用事が終わって飛行機が出るまでに4~5時間ほど空いたので、自分のために効率活用。

・羽田~福岡間の航路。窓際の席、快晴で下界がきれいに見下ろせた。太平洋岸・瀬戸内沿岸、いわゆる太平洋ベルトの上空を飛んでいたので、富士山、名古屋、琵琶湖、京都、大阪、神戸、広島、下関…と主要スポットが一つ一つ確認できた。まさに地図帳通り。人文地理学の知識があれば色々なことが読み取れるのだろうなと思いつつ窓にずっとへばりついていた。航空写真を読み解くという趣旨で宮本常一『空からの民俗学』(岩波現代文庫)という本があったな。広島上空からは、原爆ドーム前のエノラゲイが原爆投下の目印にしたT字型橋もはっきり見えて、64年前にまさにここできのこ雲があがったのかと思うと複雑な気分。

・福岡市博物館。地下鉄西新(にしじん)駅下車、徒歩で15分ほどはかかった。修猷館高校や西南学院大学の前を通り、途中、「長谷川町子・サザエさん発案の地」なる碑文も見かけた。博物館の建物は比較的新しい。館内には通史的な展示。日本史の教科書で有名な「漢委奴国王」の金印が目玉。イメージしていたのより割合と小さく感じた。玄洋社記念館が去年閉館され、その収蔵品がこちらの福岡市博物館に移管されたらしいので、関係する展示はないかどうか受付の人に尋ねたところ、まだ資料の整理が終わっていないらしく、少なくとも現時点では玄洋社関連の展示はない、とのこと。展示はなかなか充実しており、じっくり見ていきたいところだったが、時間なし。20分ほどで急いで回って退館。かわりに図録を2冊購入。

・紀伊国屋書店福岡本店の郷土出版コーナーへ行き、読売新聞西部本社編『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』(海鳥社)を購入。福岡市内の玄洋社関連の史跡の位置を示した地図が掲載されていたが、見て回る時間的余裕はなし。

・九州国立博物館。西鉄で天神駅から大宰府駅まで乗り換え含めて25分ほど。下車後、徒歩10分。太宰府天満宮のすぐ近くにある。開館は2005年、4つの国立博物館のうちで最も新しい。これで4つの国博を制覇(京都国博と奈良国博は今までにそれぞれ2回ずつ行ったことがある。東京国博は毎年2回以上は行く)。ちょうど興福寺阿修羅展を開催中。随分と行列ができており、私が到着したのは夕方の4時頃だが、その時点で待ち時間80分というプラカードが見えた。私は平常展示だけ見る。阿修羅展から流れてきた人でにぎわっていた。大広間を小部屋が取り囲むという形の展示室。他の3つの国博に比べると展示資料の数は少ないが、九州の土地柄を意識して、アジアとの対外交流の窓口というテーマを打ち出し、これに従って展示配列に大きなストーリーが組み立てられているのがここの特色。石器・土器・稲作文化における大陸との関係、仏教美術、遣唐使(積荷に触ることができる)、元寇(モンゴル軍の船の碇があった)、キリシタンと南蛮文化、オランダとの通商(東オランダ会社の通貨やオランダ船の船首にあったエラスムス像があった)、江戸時代における中国文化の影響、朝鮮通信使(対馬の宗氏の印章があった)、開国など。資料映像も工夫されていて、私が行った時には敦煌の石窟群、南蛮屏風などのテーマで上映されていた。ミュージアムショップで『「海の道、アジアの路」ビジュアルガイド Asiage』(九州国立博物館)と『いにしえの旅 増補版 九州国立博物館収蔵品精選図録』(西日本新聞社)を購入。

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