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2009年8月23日 - 2009年8月29日

2009年8月29日 (土)

リチャード・J・サミュエルズ『日本防衛の大戦略──富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで』

リチャード・J・サミュエルズ(白石隆監訳、中西真雄美訳)『日本防衛の大戦略──富国強兵からゴルディロックス・コンセンサスまで』(日本経済新聞出版社、2009年)

 大陸戦略か、海洋戦略か。軍事力か、経済力か。アジアか、ヨーロッパか。大国か、小国か──。議論の手始めとして、近代日本の外交方針をめぐる様々な思想潮流が類型的に整理され、局面に応じてこれまで三つのコンセンサスにまとまったことがあると指摘される。第一に、追いつき追い越せ型の明治コンセンサス=富国強兵。第二に、帝国主義のロジックに乗った近衛コンセンサス=「東亜新秩序」。第三に、アメリカとの同盟を戦略的に選び取ることで軽軍備・経済発展を可能にした吉田ドクトリン。近代日本の対外構想をトータルな見取図として提示し、その枠内において現代の日本が直面している外交的課題を位置づける。思想史的に不正確な箇所もあるが、外交方針をめぐる対立図式の分析にあたって理念型を設定したものと割り切って読めばいいだろう。

 戦後日本の安全保障論争では国際環境への顧慮よりも国内的要因の方が大きな作用を示し、とりわけ平和主義の発言力が強かった。しかし、吉田ドクトリンは、この平和主義世論を口実として保守勢力内の自主防衛論を抑制しつつ、冷戦へ巻き込まれるのを避けて経済中心の政策を実質的に進めるという絶妙なバランス感覚を示した(内閣法制局の憲法解釈による抑制や、防衛庁への他省官僚出向という形での文民統制など制度的側面も指摘される)。本書はこうしたところに日本の戦略文化におけるプラグマティックな連続性を見出す。

 日本の外交戦略に底流するプラグマティックな流れを踏まえ、また、日本国内で防衛論議へのタブーが消えつつあり、対米同盟依存がアメリカの世界戦略に巻き込まれかねない危険と中国の台頭という状況を見据え、次に現われるであろう第四のコンセンサスを「ゴルディロックス・コンセンサス」と呼ぶ。それは各方面にリスク・ヘッジしながら、極端にハードでもソフトでもなく、アジアにも欧米にも偏り過ぎない外交戦略だという。一見、新鮮味に欠ける当たり前のことのように聞こえるかもしれないが、最も賢明であり、かつ高度な駆け引きの求められる路線であろう。なお、ゴルディロックスとは、「三匹の熊」という童話に登場する女の子の名前で、適度な均衡状態のたとえによく使われる。訳書にこの表現について注がないのは不親切だ。

 なお、戦後日本外交のプラグマティックな自主性に着目した議論としては、添谷芳秀『日本の「ミドル・パワー」外交──戦後日本の選択と構想』(ちくま新書、2005年)も良書である。以前、こちらで取り上げた。

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ヴィーリ・ミリマノフ『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』

ヴィーリ・ミリマノフ(桑野隆訳)『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』(未来社、2001年)

・本文中に登場する作品について100点のカラー図版が巻末に収録されており、ロシア・アヴァンギャルド美術史の簡潔な入門書として手頃な本。
・ロシア・アヴァンギャルド芸術の前時代との質的な転換点は1914年前後に求められるという。ちょうど第一次世界大戦が始まり、帝政ロシアとソ連体制との狭間に華ひらいた束の間の時代。西欧における世紀末芸術と軌を一にしているが、本書は同時発生というよりも西欧からの影響が先にあったと考えている。
・マレーヴィチのスプレマチズム→無対象芸術。あらゆる従属、あらゆるイデオロギーからの解放→社会的平等の極致という意図。
・同時に、スプレマチズムは合理主義的な未来の世界秩序というプロジェクトを芸術において具体化しようとしていた。背景には、全能の科学というイメージに基づくユートピア志向。科学信仰のオカルト的表現としてはフョードロフの〈共同事業〉の哲学も想起される。(さらに言うと、レーニン廟のミイラもオカルト的だ。当時のロシア知識人のオカルト志向はよく指摘されるところだが、ロシアにおける“科学的社会主義”なるものもこうした背景から理解する必要がありそうだ。)
・ただし、ロシア・アヴァンギャルドのユートピア志向と政治権力としてのユートピア志向とでは大きなギャップあり。訳者によるあとがき論文「ロシア・アヴァンギャルドの実相と虚構」によると、スターリニズム的“全体性”志向の源流としてロシア・アヴァンギャルドを捉える議論があるそうだが、知的遊戯としては興味深いにしても議論としては恣意的で成り立たないと指摘。
・このあとがき論文にロシア・アヴァンギャルドと社会主義リアリズムとの対立点が次のようにリストアップされている。
ロシア・アヴァンギャルド:①異化、デフォルメ ②難解にされた形式 ③グロテスク、反遠近法、ザーウミ等の例としての民衆芸術 ④芸術特有の約束事 ⑤プラカード性、時事評論性 ⑥構成 ⑦反心理主義
社会主義リアリズム:①古典的な理想 ②単純さ ③単純明快さとしての民衆性・人民性 ④美的イリュージョン ⑤モニュメンタルな一般化 ⑥有機的テーマ性 ⑦心理主義、リアリズム

 なお、去年、渋谷の文化村ミュージアムで開催された「青春のロシア・アヴァンギャルド」展を見に行った時のコメントはこちら

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2009年8月28日 (金)

金子淳一『昭和激流 四元義隆の生涯』

金子淳一『昭和激流 四元義隆の生涯』(新潮社、2009年)

 近衛文麿や鈴木貫太郎から細川護熙まで歴代総理と関係を持ち、“総理の指南役”とも呼ばれた四元義隆。東京帝国大学中退後、井上日召に師事、いわゆる血盟団事件では牧野伸顕を狙ったが、果たせないまま逮捕された(なお、“血盟団”というのは警察がつけた呼び名で、四元は嫌がっている)。戦後は田中清玄の後を受けて三幸建設工業社長。著者は四元に私淑した弟子筋の人で、四元に対しては思い入れたっぷりだが、時代背景の認識には特に偏りは見られない。

 四元と同様に“総理の指南役”と呼ばれた人物として安岡正篤の名前も思い浮かぶが、血盟団事件は安岡の密告によって失敗したとも言われている。四元は日召と出会う前に安岡の金鶏学院に出入りしていたこともあるが、安岡の東洋哲学なんていうのは所詮“ハサミと糊”に過ぎないと手厳しい。四元は戦後保守政界の要人たちとの付き合いもあったが、田中角栄については金銭亡者と毛嫌いしていた。

 以前、『一人一殺──井上日召自伝』(日本週報社、1953年)に目を通したことがある。日召の若き日々の精神的彷徨に、そもそも自分はなぜここに存在するのかという哲学的煩悶の見られるのが印象的だった。大陸浪人、出家、国家主義運動という動き方には、その表面的なキナ臭さとは裏腹に、言語以前の確信を求めようという日召自身のもがきが底流していたようにも思われる。日召にしても、四元にしても、己を滅して見えてくる存在論的な何かの確信、私心のないひたむきな純粋さ、そういったところに人を見る際の判断基準を置いており、主義主張の是非は本質的な問題と考えていない。四元が戦時中に「平泉澄の皇国史観なんて嘘だ、共産党員だって国を思う気持ちは同じだ」と発言したり、宮沢賢治が好きでよく読み聞かせていたというのも肯ける。もちろん、純粋さ志向(右の方々お好みの表現だと“至誠”と言うべきか)が、受け止めようによっては主観主義に落ち込みかねないのは危なっかしいところではあるが。

 先日、ドイツ赤軍を描いた映画「バーダー・マインホフ」を取り上げた(→こちら)。ああいう輩は大嫌いだという趣旨のことを書いたので、お前は同じテロリストでも右翼に甘くて左翼に厳しい、と受け止められるかもしれないが、そういう問題ではない。ドイツ赤軍の英雄主義的な自己顕示欲の強さからうかがわれる人間としての浅はかさが鼻についてたまらないということ。獄中での振る舞いなど対照的だ。四元は静かに座禅を組み、勉強し、治安維持法で捕まった同囚の共産主義者とも話をしてその言い分も知った。ドイツ赤軍の受刑者は権利ばかり要求し、主義主張の政治メッセージを書きなぐり、要求が容れられなければ騒いで恫喝していた。彼らの行動に“純粋さ”など感じられない。従って、軽蔑の対象以外の何物でもない。ちなみに、日本赤軍の重信房子の父親が井上日召の門下生だったことはよく知られている。

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2009年8月27日 (木)

松田康博編著『NSC 国家安全保障会議──危機管理・安保政策統合メカニズムの比較研究』

松田康博編著『NSC 国家安全保障会議──危機管理・安保政策統合メカニズムの比較研究』(彩流社、2009年)

 政府内において安全保障政策の総合的企画・立案・調整を担当する組織部門の比較研究をテーマとした論文集。アメリカのNSC(National Security Council、国家安全保障会議)が代表的だが、他に韓国、台湾、ロシア、中国、シンガポール、イギリス、日本を取り上げる(ただし、中国には該当する組織部門がなく、安全保障政策形成過程を示すことで比較対照)。それぞれの制度や設立経緯を紹介するだけでなく、運用上の問題にも目配りしている。執筆陣は防衛省防衛研究所の関係者が中心だが、純粋に学術的な内容。Ivo H. Daalder and I. M. Destler, In the Shadow of the Oval Office: Profiles of the National Security Advisers and the Presidents They Served─From JFK to George W. Bush(Simon & Schuster, 2009)という本を読んでいたのだが(途中まで読んでほったらかしだが)、たまたま本書を見かけ、この辺のことをよく知らないので勉強のため手に取った次第。関心を持った点をいくつかメモ書き。

・大統領直属という性格から、法的・制度的な裏付けのないケースが多い。
・研究者などの民間人を政治任用しているケースが多い。また、組織肥大化の傾向あり。
・制度的な問題もあるが、どんな制度であっても、人的要因によってその運用が左右される。
・アメリカの現在のNSCの特徴は、In the Shadow of the Oval Officeでも指摘されているが、チームワーク重視と非公然活動の抑制。かつてニクソン政権の安全保障問題担当大統領補佐官キッシンジャーが国務長官を無視して華々しい外交成果を挙げたが、カーター政権のブレジンスキー補佐官は国務長官と対立して外交活動が頓挫→補佐官は省庁間の誠実な仲介者としてチームワーク作りを行なうことが重要な任務と期待されるようになった。キッシンジャー型の独断専行を嫌ったレーガン政権においてNSCの存在感は低下→表舞台ではない所でNSCが勝手に非公然活動→イラン・コントラ事件→NSCの建て直し、という経緯あり。(なお、In the Shadow of the Oval Officeの著者による要約がForeign  Affairs, January/February 2009に掲載されており、こちらを読めば歴代補佐官の活動を通してアメリカのNSCの歴史が概観できる。着実な調整活動によって政策決定上のリーダーシップを発揮した例としてパパ・ブッシュ政権のスコウクロフト補佐官が高く評価されていた。)
・韓国は金大中・盧武鉉の対北朝鮮“太陽政策”、台湾は中国からの圧力が多元化するようになった→軍事対決というだけでなく、接触・交渉も含めて総合的な安保政策を立案する必要からNSC型組織を重視。
・安保政策を立案する上では、様々な政策分野を一元的に統合する強力なリーダーシップが理想的。その補佐として企画立案・関係省庁の調整にあたるのがNSCの役割。当然ながら、大統領の権限強化が目指されるため、独走しないように常にアカウンタビリティーが必要。
・中国はかつての毛沢東独裁のトラウマがあるため集団指導体制を取っている→NSC型組織を現時点では持っていない。安保政策は中央軍事委員会で決定されており、国家次元で意思統一が図られているのか不透明だと指摘。
・イギリスは議院内閣制だが歴史的に政府・与党一体化しており、首相のリーダーシップがもともと強い。政府・与党(自民党)二元体制の日本とは異なる。
(※なお、民主党のマニフェストを見ると国家戦略局なるものを創設するらしいが、NSCを目指しているということか? そう言えば、安倍政権の時にも日本版NSCを作ろうという動きがあったな)

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2009年8月26日 (水)

有馬哲夫『アレン・ダレス──原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』

有馬哲夫『アレン・ダレス──原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』(講談社、2009年)

 アイゼンハワー政権で国務長官を務めたジョン・フォスター・ダレスの弟で、自身もCIA長官となったアレン・ダレス。若い頃のキャリアは国務省から始まっているが、辞職して弁護士法人に入った。第二次世界大戦が始まると、ほとんどボランティア的に戦略情報局(OSS、戦後のCIAの母体)へ参加、金融問題担当大統領特別代表という肩書きでインテリジェンス合戦真っ只中のスイスへ赴任する。本書は、第二次世界大戦におけるインテリジェンス活動をアレン・ダレスの視点から描き出す。学術的なクオリティーを備えた政治裏面史だが、駆け引きのせめぎ合いにはドラマのような緊張感があってなかなか読ませる。

 スイスには多彩な人物群像がうごめいていた。OSSと協力関係にあったMI6、ユダヤ人協会、国際決済銀行の人脈、動機も様々な民間人。ユングとも接触し、ナチス指導者の精神分析を聞いたりしている。反ナチスの立場をとるカナリス提督が統括するドイツ国防軍の情報部員とも接触、ヒトラー暗殺未遂事件でこのルートが途絶えると、今度はイタリア北部駐留ドイツ軍の降伏を狙ったサンライズ作戦。カウンター・パートナーである親衛隊幹部ヴォルフはヒトラー、ヒムラーたち相手に綱渡り。日本側とは、岡本清福陸軍中将をはじめとしたスイス駐在武官、公使の加瀬俊一、横浜正金銀行の北村孝治郎・吉村侃といった人脈とパイプを持つ。

 ドイツ、日本の敗色が濃くなるにつれて、局面はすでに米ソ間の戦後における勢力争いへと移っていた。アメリカの原爆投下、ソ連の対日参戦はこうした思惑の中で決定されている。アメリカ政府中枢においては、トルーマン大統領をはじめハード・ピース派がソ連に対する軍事的優位を誇示するため日本への原爆投下を急いでいた。対して、ソフト・ピース派のグルー国務次官(元駐日大使)やアレン・ダレスたちは、戦後のソ連に対する牽制のため日本の国力を温存して反共の防波堤にすべきと考えており、原爆投下には反対、日本軍の組織的降伏をスムーズに進めるため天皇制も残すべきと主張していた。ソフト・ピース派はダレスたちのルートを使って日本に対し、無条件降伏とはあくまでも軍事的なものであり、戦後も日本の主権は認める、従って天皇制も維持される、とほのめかすメッセージを送った。しかし、日本からの反応は芳しくない。グルー、ダレスらの努力もむなしく、原爆は投下された。ただし、天皇制存置のメッセージが伝わったからこそ、日本側でポツダム宣言受諾が可能となった。

 インテリジェンス活動とは、単に戦略的優位に立つために情報収集するというレベルにとどまらない。戦争状態にある以上、公式見解として言うことはできないが、破滅的な結果を双方とも回避するために様々な裏のメッセージを発する。それを受け止め損ねない、つまり裏のメッセージを正確にキャッチボールできる能力が肝心な局面で不可欠となる。原爆投下はその失敗であったし、ポツダム宣言受諾の決断がなければ日本はさらなる破滅を迎えたかもしれない。

 アレン・ダレスの培った対日インテリジェンス人脈は戦後も続く。それは戦後政治を動かす秘かな力となったが、本書とは別のテーマとなる。人脈的に戦中・戦後と連続性があるため、ダレスの戦中の活動については努めて秘匿されてきたらしい。

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2009年8月25日 (火)

佐野眞一『小泉政権──非情の歳月』『凡宰伝』『新 忘れられた日本人』、他

 佐野眞一『小泉政権──非情の歳月』(文春文庫、2006年)。異形の秘書官・飯島勲、外相に任命されたものの更迭された田中真紀子、姉で日常的な采配を振るう小泉信子、こうした三人を通して小泉の人物像を間接的に浮き彫りにしていく構成。かなり厳しい家庭環境からはいあがった飯島勲という人のバイタリティーに驚く一方で、ガードの極めて高い田中家、小泉家をすき間から垣間見た印象はちょっと尋常ではない。肝心なテーマであるはずの小泉純一郎へのインタビューはなく(小泉家の閉鎖性はインタビューを受け付けない)、小泉の描き方がいまいちピンとこなくて、佐野さんの作品にしてはもの足りない。

 小泉純一郎、田中真紀子などマスコミでもてはやされる政治家の人物像が魅力に乏しいのに対して、悪役扱いされた方にかえって人情味ある苦労人がいることに時々驚くことがある。例えば、魚住昭『野中広務 差別と権力』(講談社文庫、2006年)によって抵抗勢力の首魁のような印象があった野中という人を見る眼が完全に変わったし、佐藤優の書くもので鈴木宗男の意外な側面に驚いたりもした。

 悪口を書かれるかもしれないのに敢えて取材に積極的に協力する姿勢を見せたのが小渕恵三である。佐野眞一『凡宰伝』(文春文庫、2003年)。この人も悪役とまでは言わないが、在任中はずっとバカにされ続けていた。しかし、彼自身がバカにされていることを知っており、自らを戯画化さえしてみせた。バカにされていれば警戒はされない、それを逆手に取って相手の懐に飛び込んでいくというしたたかさが小渕の侮れないところである。気配りの小渕ではあるが、性格的な芯はかなりきつい。「自分は凡人だから、とにかく一つのことに一生懸命になるしかない」という発言は当時の新聞記事で読んだ覚えがあった。凡人であっても、そのことを自覚して、むしろ凡人であることに徹して意識的に努力すれば“非凡”であり得る、この不思議な逆説が興味深い。大学受験に失敗して浪人中、太宰治の研究をしていたというのが意外だった。

 佐野眞一『新 忘れられた日本人』(毎日新聞社、2009年)。佐野さんがこれまで取材してきた中で強烈な印象が忘れ難い人物群像を点描する。タイトルはもちろん、宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫、1984年)を意識しており、そのいわば現代版という自負があるようだ。これは私も好きな本だが、宮本の描く庶民の姿は美しすぎるという感想をもらす人もいるし、民俗学的な聞き書きというよりは、私はむしろ登場人物の魅力にひかれて文学作品のように読んだ覚えがある。単に昔のことを記録するというのではなく、人々の息づかいが文章に写しこまれているという意味で。良いとか悪いとかいう価値判断を超えた次元で、各人各様の生き様があるものだとつくづく思う。そうした迫力を見極めていく眼力が佐野さんの作品の魅力だと思っている。本書の中でで興味を持った人物が見つかれば、それを手がかりに佐野さんの他の著作を手に取ってみるとまた奥行きが広がっていくだろう。

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2009年8月24日 (月)

ロナルド・トビ『「鎖国」という外交』、大石学『江戸の外交戦略』

 私が小中学生くらいの頃の歴史教科書には、江戸時代を鎖国で特徴付ける記述が普通だったように思う。長崎の出島や朝鮮通信使は例外扱いされた。しかし、この“例外”という表現が曲者で、当時でも海外との外交ルートはこの時代に独特な形ではあっても確固としてあったというのが現在では通説となっている。具体的には、松前氏を通して蝦夷、対馬の宗氏を通して朝鮮、薩摩の島津氏を通して琉球、長崎の出島ではオランダ東インド会社、唐人屋敷では中国商人、という“四つの口”。これらは“例外”だったのではなく、幕府の外交方針として窓口に指定されていたのである。そこには、中華的華夷秩序から離脱した、“日本型華夷観念”を見出すこともできる。

 ロナルド・トビ『「鎖国」という外交』(全集日本の歴史第9巻、小学館、2008年)は、当時の記録・説話類の分析、とりわけ図像学的な知見をもとに、当時の日本人の対外認識を読み解いていくところが非常に面白い。たとえば、ヒゲの変遷。江戸時代の国内統制政策→ヒゲと総髪をシンボルとした浪人たちを取り締まり→月代・髻・ヒゲなしという日本人の身体的特徴が定着。他方、清では漢人にも辮髪を強制、ヒゲはあり→髪の形とヒゲが“唐人”の特徴として図像的にも認識される。さらに“毛唐人”という表現にもつながる。また、富士山遠望奇譚から対外認識を読み取っていくところも興味深い。

 大石学『江戸の外交戦略』(角川選書、2009年)は、海外との接触をシャットアウトしたのではなく、国家が国民の出入国を管理・制限する体制として“鎖国”を把握。国内・対外関係の両面における安定維持を図っていた点で“国民国家”形成過程にあったと位置づける。こうした観点に基づき秀吉の朝鮮出兵から幕末に至るまでの外交的対応を概観し、“鎖国”体制においても海外の文化を摂取・成熟させていたことを指摘する。

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2009年8月23日 (日)

ETV特集「シリーズ戦争とラジオ(2) 日米電波戦争」

ETV特集「シリーズ戦争とラジオ(2) 日米電波戦争」

・アメリカ国立公文書館で発見された、太平洋戦争中にアメリカで傍受されていたラジオ・トウキョウの記録。ベアーテ・シロタも傍受に動員されていた。
・東京ローズの蓮っ葉な感じのディスクジョッキー→単純な戦意高揚宣伝よりも、東京ローズのくだけた口調の方がアメリカ兵の郷愁を誘って一定の効果あり。
・アメリカ側スポークスマンのザカライアス海軍大佐による放送と、日本側の同盟通信・井上勇による応答→日米双方の意図の探りあい。具体的には、「無条件降伏」とは言っても、その中での「条件」は何か? アメリカ側には大西洋憲章を基礎とする意向があるのを知り、日本側も対応を検討できた。
・日本は、どんなに被害があっても常に「軽微」と表現していたが、原爆投下後、その残虐性を強調する対外放送。
・8月10日の夜、ラジオ・トウキョウは、「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾の用意あり、と放送。8月11日には世界中に知れ渡る。
・ザカライアスは日本滞在経験があり、高松宮の訪米時には三ヶ月間随行した。番組のメインテーマではないが、戦争終結にあたり、アメリカ側における知日派の存在が大きな和役割を果したことを改めて考えさせられた。例えば、平川祐弘『平和の海と戦いの海』(講談社学術文庫)や五百頭旗真『日米開戦と戦後日本』(講談社学術文庫)なども参照のこと。

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「縞模様のパジャマの少年」

「縞模様のパジャマの少年」

 街にカギ十字がはためく戦時下のドイツ。緊迫した空気が漂うが、子供たちは相変わらず元気にはしゃいで飛び回っている。お父さんの転勤が急遽決まり、友達と離れ離れにならねばならないブルーノは不満顔。新しいおうちは退屈なので裏庭から冒険に出ると、川を渡った向こうに鉄条網で囲われた“農園”があった。ブルーノはそこにいた同い年の少年と仲良くなる。だけど、この“農園”、どこか様子が変だ。みんな縞模様のパジャマみたいな服を着せられて、態度も怯えたようにオドオドしている。高くそびえる煙突から時折吹き出す煙はものすごく嫌な臭い──。お父さんはここの“所長”をしているらしい。制服に付けられた徽章はゲシュタポのドクロマークである。

 家に出入りする中尉はユダヤ人の囚人につらくあたる。彼の父親はナチスに反対して国外亡命したという。彼の冷たい無表情も、ユダヤ人への暴力も、反ナチスの父親を持ったことで自分も破滅するかもしれないという恐怖心に由来する、一種の“抑圧の移譲”であろうか。

 ブルーノの無邪気さに偏見はなく、だからこそユダヤ人の少年とも友達になれた。だが、彼の無邪気さは同時に、ホロコーストの事実を知っている後世の我々の眼には時に残酷にも映る。所長邸の用役に来ているユダヤ人元医師の無念、ブルーノの何気ない一言を聞いて、絶望と悔しさとで表情が悲しく歪むシーンが忘れられない。この映画の結末をここで明かすわけにはいかない。ただ、純真さは同時に無知でもあり、その無知こそが事態を破滅に追い込みかねない、この映画の結末はそうした一つの寓話としてほのめかされているようにも思われる。

【データ】
監督・脚本:マーク・ハーマン
2008年/イギリス・アメリカ/95分
(2009年8月22日、恵比寿ガーデンシネマにて)

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東京都写真美術館「ジョルジュ・ビゴー展──碧眼の浮世絵師が斬る明治」「心の眼──稲越功一の写真」

「ジョルジュ・ビゴー展──碧眼の浮世絵師が斬る明治」

 横浜開港150周年記念で日本近代を振り返るイベントが今年は多いが、この企画もそうした一つであろうか。明治期日本にやって来て、江戸期の風俗が近代へと移り変わる様を観察、風刺画を描いたフランス人画家ジョルジュ・ビゴーの展覧会。来日前の水彩画、離日後の仕事も含め、彼の画業をトータルに展示。日本生活に慣れてからの作品には「美好(びこう)画」という署名を見かける。下岡蓮杖の人物写真、磐梯山噴火、日清戦争など当時の写真も展示して対照させる試みが面白い。

「心の眼──稲越功一の写真」

 今年の2月に逝去された写真家・稲越功一の作品を総まとめ的に展示。稲越功一という名前は知ってはいたが、作品を意識して見たのは今回が初めて。風景も、その中にある人物も、どっしり構えて撮ったというよりもその時時の思いのままの目線で切り取った感じか。モノクロで、遠景にかすみがかった構図で撮った写真がいくつか私の好きな感じで印象的だった。それから、下町の路地裏を中心に撮った『記憶都市』も興味がひかれて、写真集を改めて手に取ってみたいと思った。
(いずれも、恵比寿ガーデンプレイス、東京都写真美術館にて)

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